♪40 二宮金次郎 21・01・02

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『音もなく香(か)もなく 常に天地(あめつち)は書かざる経を繰り返しつつ』
と 書きとめている金次郎
(善栄寺)

 音とは読経する僧の声、香とはお線香の香り、書かざる経とは文字になっていないお経のことで、「天地(宇宙)の大きな力は、読経の声もなくお線香の香りもないが、文字に書いていないお経を毎日我々に届けてくれている」

 酒匂川(さかわがわ)の氾濫にあって一家離散(母は1年前、父は3年前に没)した金次郎は、伯父の家に居候していた(13歳と4歳の弟は母の実家へ)16歳の頃、一日の仕事を終えてから夜遅くまで書物を読んでいたら、行灯(あんどん)の油を無駄に使うなと伯父から叱られた

 そこで、友人から菜種一握り(100ミリリットル)を借りて、川の土手に蒔き、それが翌年の春になって12リットル以上の収穫となって、使い切れない程の油ができた。このことを通して 『 積小為大 』 (小を積んで大と為す)という自然界の真理を学んだのであった。 

♪二宮金次郎
(作詞・作曲 不詳、文部省唱歌 明治44年)
一、
柴刈り 縄ない 草鞋(わらじ)をつくり
親の手を助
(す)け 弟(おとと)を世話し
兄弟仲良く孝行つくす
手本は 二宮金次郎

二、
骨身を惜しまず 仕事を励み
夜なべ済まして 手習い読書
(せわ)しい中にも たゆまず学ぶ
手本は 二宮金次郎

三、
家業大事に 費(ついえ)を省き
少しの物をも 粗末にせずに
遂には身を立て 人をも救う
手本は 二宮金次郎


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築250年の生家 (二宮尊徳誕生地)

 金次郎は酒匂川と狩川に挟まれた相模国足柄郡栢山(かやま)村に1787年(没年1856年、享年69)に生まれた江戸時代後期の農政家。この生家は16歳になるまで住んでいた家で、足柄地方の典型的な中流農家(築約250年)である。

 二宮金次郎というと、 「大学」を素読しながら薪(まき)を背負って小田原城下へ売りに行くところの石像を思い浮かべる。そして勤勉努力、倹約の人だとういことで、かつて国定教科書の修身に取り入れられた。
 そのため軍国時代のイメージが残っているせいか、もう過去の人ということであまり関心がないのが現状です。


「大学」は、儒教の基本聖典「四書」(「大学」 「中庸」 「論語」 「孟子」)の一つで、孔子と弟子との問答を通しての「論語」を体系化したもの。

 しかし、二宮尊徳が唱えた「報徳思想」はこれからの時代を切り開いていくうえで重要なのです。チャイナの小学校では教科書で二宮尊徳の名前を出してその考え方を教えている。また、北京大学の日本文化研究所が中心となって国際二宮尊徳思想学会が設立され、大連民族学院には二宮尊徳研究センターが設立されている。
 このように二宮尊徳の考え方は初めて触れる人々には新鮮で優れた教えであると、強い関心がもたれている。

 我々は改めて二宮尊徳に教えを乞わねばならない。二宮尊徳は人間、動植物、自然など万象に 「良さ」 が備わっているとし、その良さをうまく使って人のため、世のために尽くすことが大切と考えた。その 「良さ」 を 「徳」 と呼び 「あらゆるものに徳がそなわっている」 と考えた。


「報徳」の「徳」とはあらゆるものに良さが潜在しているという可能性を指している。「報」とはこれらの「徳」を工夫や努力によって顕在化して経済的・社会的な付加価値を引き出すこと。即ち「報徳」とは徳を以て(もって)徳に報いること。
例えば、藁(わら)の「徳」に工夫を加えて俵や草履を作り出すことが「報」。

 二宮尊徳資料館の前には 「万象具徳」 (ばんしょう ぐとく)の碑がある。

      万象具徳
    (元報徳博物館館長 作)
どんな物にも 良さがある
どんな人にも 良さがある
良さがそれぞれ みな違う
良さがいっぱい 隠れてる
どこか取り柄(とりえ)が あるものだ
物の取り柄を 引き出そう
人の取り柄を 育てよう
自分の取り柄を 捧げよう
取り柄と取り柄が 結ばれて
この世は楽しい 増え世界


・増え世界 : 元館長の造語のようだ。無限の広がりある、と言いたいようだ。
・碑文はどういうわけか、全てひらがなで表記されていて、読みにくい。

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富士山、矢倉岳、小田原城北工業高校、酒匂川

 「♪ 仰げば 富士は 麗しく ~ 」 と城北工高の校歌にも歌われている富士山(3,776m)は雪化粧。

♪富士の山
〔作詞〕 巌谷小波 〔作曲〕 不詳 文部省唱歌 明治44年
一、
頭を雲の 上に出し
四方の山を 見下ろして
雷さまを 下に聞く
富士は 日本一の山
二、
青空高く 聳え立ち
体に雪の きもの着て
霞の裾を 遠く引く
富士は 日本一の山


 富士山の手前に見える矢倉岳。その裏手にある足柄峠。江戸時代には江戸赤坂門から足柄峠を経て沼津宿を結んでいた矢倉沢往還(青山通り、国道246の原型)が東海道の脇往還として機能していた。

 酒匂川(さかわがわ)は丹沢山地と箱根山の間の谷を抜け、足柄平野を南下して小田原市で相模湾に注いでいる。この辺りは河口に近いので、川幅も広くゆったり流れている。

 1842年、老中・水野忠邦によって幕臣に登用され、57歳の時に金次郎改め尊徳(たかのり)と名乗る。
 
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二宮尊徳 座像 (小田原市西大友の新鮮館前)

 経済を忘れた道徳は単なる寝言であるが、道徳を忘れた経済は罪悪である。

 二宮尊徳は合理主義者であると同時に、とても人情家であった。そして、道徳の理論と実践(生きた哲学)、そしてリーダーシップ能力が桁外れだった。

 二宮尊徳の教えを伝える大日本報徳社(掛川市)の門柱には「経済門」、「道徳門」と刻まれているという。

 経済と道徳の二本柱をいかにバランスさせ統合させるかが「一円融合の教え」である。時は今、二宮尊徳の教えを学び、迫り来る恐慌を乗り切ろうではないか!

日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は、二宮尊徳の教えを学び「道徳経済合一説」を唱え実践した。すなわち論語と算盤(そろばん)で、明治から大正初期にかけて多種多様な企業の設立・経営に関わった。

・・・今年のキーワードは 『解』 ・・・
(チビの日記!!チビの愛唱歌 ♪40 )

 
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by chibi-papa | 2009-01-02 20:06 | チビの愛唱歌  

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