♪ 27 北国の春 19・03・04
2007年 03月 04日
大田区の地形は池上通りに沿って北西部の武蔵野台地と南東部の低地に区分できる。低地は多摩川三角州低地と東京湾海岸低地とから成っている。武蔵野台地北部の上池台や馬込あたりには坂が多い。上池台(かみいけだい)という地名は上池上(かみいけがみ)の高台という意味。
東急・池上線の長原駅から300mほど坂を下りきったところに小池釣堀、その脇に小さな上池台小池公園がある。チビはジャングルジムを水平移動と上に登ることはできるが、降りることができない。
近くの庭木では辛夷(こぶし)が一斉に白い花を咲かせていた。辛夷が咲くと千昌夫の 『北国の春』 が口を突いて出てくる。
♪ 北国の春
[作詞] いで はく [作曲] 遠藤 実 [唄] 千 昌夫 (昭和52年)
一
白樺 青空 南風
辛夷咲く あの丘 北国の
あゝ 北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
辛夷はモクレン科の落葉広葉樹の高木で、辛夷の漢字はチャイナでは木蓮を指す。3月下旬から4月上旬にかけて咲くが今年は半月ばかり早いようだ。花は香りのある大きな白いへら形の六弁花。葉に先立って開花した後はだんだん瘤状(こぶじょう)に膨(ふく)らんで9月になるとゴツゴツした実になる。それが子供の握り拳(にぎりこぶし)に似ていることから「こぶし」と名付けられたようだ。だから辛夷を拳とも書く。花言葉は「信頼」。
1億年前の白亜紀(はくあき、恐竜の全盛期)の化石からもモクレン科の花が多く出てくる。きっと恐竜たちも辛夷の花の匂いに、待ち焦がれていた春を感じていたことだろう。
作詞家いではく(本名:井出博正)は作曲家の遠藤実に師事し作詞の道に入り、杉良太郎の 「すきま風」 、森昌子の 「信濃路梓川」 などがある。出身地の信州・佐久をイメージして生まれたのがこの 『北国の春』 なのだ。
終戦後に成長が早い落葉松(からまつ)を植林したので、信州には落葉松が多い。
二
雪解け せせらぎ 丸木橋
落葉松の 芽が吹く 北国の
あゝ 北国の春
好きだとお互いに 言い出せないまま
別れてもう五年 あの娘はどうしてる
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
この釣堀は古くは灌漑用水(かんがいようすい)として利用されていたが、昭和4年の耕地整理(こうちせいり)の際に池の一部が埋め立てられた。昭和9年(1934)に釣堀として開業し、市ヶ谷フィッシングセンター(JR市ヶ谷駅からみえる釣堀)と並ぶ都内最大規模の釣堀を誇っていたが、この歴史ある釣堀は平成17年(2005)9月に幕を閉じた。だから今は釣り人の姿はない。
現在、釣堀跡地の整備計画が練られている。隣接する上池台小池公園に併合させ、水辺の花径公園をコンセプトに、埋め立て部分は最小限にとどめて水生植物帯や浮島を設けることなどを考えているようだ。2年後の新生・上池台小池公園が待たれる。
※ 東京都都市整備局の特別区事業・重点公園・優先整備区域一覧によると、「洗足小池公園10,800㎡」となっている。名称が変わるのかニャ~。
三
山吹 朝霧 水車小屋
童歌(わらべうた)聞こえる 北国の
あゝ 北国の春
兄貴も親父似で 無口な二人が
たまには酒でも 飲んでるだろうか
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
辛夷が咲きやがて新緑の季節になると、山吹が咲き乱れ鎮守の森は朝霧に包まれる。そして春祭りで豊作を祈願して、田植えが始まる。そんなイメージを浮かべながら坂を上って、庄屋坂を下ってまた上がると貝塚坂に突き当たる。
(チビの日記!!チビの愛唱歌 ♪ 27)
・・・今年のキーワードは「ロハスとグレイトコラボレーション」・・・
by chibi-papa | 2007-03-04 17:34 | チビの愛唱歌