♪25水師営の会見 19・02・04

e0031605_16233455.jpg
旧乃木邸玄関前の棗の木

♪ 水師営の会見 
〔作詞〕 佐佐木 信綱  〔作曲〕 岡野 貞一

一 旅順開場 約成りて 
   りょじゅん かいじょう やくなりて  
  敵の将軍 ステッセル
   てきのしょうぐん ステッセル
  乃木大将と 会見の
   のぎたいしょうと かいけんの
  所は何処 水師営
   ところはいずこ すいしえい

二 庭に一本 棗の木
   にわに ひともと なつめのき
  弾丸痕も 著るく
   だんがんあとも いちじるく
  崩れ残れる 民屋に
   くずれのこれる みんおくに
  今ぞ相見る 二将軍
   いまぞ あいみる にしょうぐん

 百年前の明治38年(1905)1月5日午前11時、旅順攻防戦(こうぼうせん)の終結後、乃木希典(のぎ まれすけ)将軍(大将)とロシアのステッセル将軍(中将)が会見した。会見場所は旅順から北西4kmほどの水師営という場所にある一軒の民家。そこは日本軍が野戦病院(やせん びょういん)として使用し屋根に赤十字旗を翻(ひるがえ)していたので、ここだけが辛(かろ)うじて残った。壁の弾丸痕を新聞紙で張り、白く塗って会見場にあてた。

 民家の庭には一本の棗(なつめ、夏芽とも書く)の木が・・・枯れてしまったが、その孫にあたる棗の木が赤坂の旧乃木邸の表玄関前にある。秋には楕円形の実が沢山なるという。明治35年に建てられた乃木邸は3階建てで、屋根に見えるのはチムニー。遺言により東京市に寄付され、港区が公園として管理している。

 この文部省唱歌♪「水師営の会見」は二将軍の会見の模様を綴ったものである。


作詞の佐佐木信綱(ささき のぶつな) : 1872年(明治5)~1963年(昭和38)、国文学者、歌人。
作曲の岡野貞一(おかの ていいち) : 1878年(明治11)~1941年(昭和16)、♪「朧月夜」 ♪「春が来た」 ♪「春の小川」 ♪「故郷(ふるさと)」 ♪「紅葉(もみじ)」 ♪「桃太郎」など。

e0031605_16232121.jpg
乃木大将と辻占売少年像

三 乃木大将は 厳かに
   のぎたいしょうは おごそかに
  御恵み深き 大君の
   みめぐみ ふかき おおぎみの
  大詔 伝うれば
   おおみことのり つとうれば
  彼恐みて 謝しまつる
   かれ かしこみて しゃしまつる

四 昨日の敵は 今日の友
   きのうのてきは きょうのとも
  語る言葉も 打ち解けて
   かたることばも うちとけて
  我は称えつ 彼の防備
   われはたたえつ かのぼうび
  彼は称えつ 我が武勇
   かれはたたえつ わがぶゆう

e0031605_16234693.jpg
寿号が居た馬小屋を覗く

五 容正して 言い出でぬ
   かたちただして いいいでぬ
  「此の方面の 戦闘に
   このほうめんの せんとうに
  二子を失い 給いつる
   にしをうしない たまいつる
  閣下の心 如何にぞ」と
   かっかのこころ いかにぞと

六 「二人の我が子 其々に
   ふたりのわがこ それぞれに
  死所を得たるを 喜べり
   ししょをえたるを よろこべり
  これぞ武門の 面目」と
   これぞぶもんの めんぼくと
  大将答え 力あり
   たいしょう こたえ ちからあり

e0031605_16241022.jpg
外苑東通りから見た馬小屋

七 両将昼食 共にして
   りょうしょう ひるげ ともにして
  尚も尽きせぬ 物語
   なおも つきせぬ ものがたり
  「我に愛する 良馬あり
   われにあいする りょうばあり
  今日の記念に 献ずべし」
   きょうのきねんに けんずべし

八 「厚意謝するに 余りあり
   こういしゃするに あまりあり
  軍の掟に 従いて
   ぐんの おきてに したがいて
  他日我が手に 受領せば
   たじつ わがてに ずりょうせば
  長く労わり 養わん」
   ながく いたわり やしなわん

e0031605_16235839.jpg
乃木神社

九 「さらば」と握手 懇ろに
   さらばとあくしゅ ねんごろに
  別れて行くや 右左
   わかれてゆくや みぎひだり
  砲音絶えし 砲台に
   つつおと たえし ほうだいに
  閃き立てり 日の御旗
   ひらめきたてり ひのみはた
(書きかけ中)

 (チビの日記!!チビの愛唱歌 25)
・・・今年のキーワードは「ロハスとグレイトコラボレーション」・・・
[PR]

by chibi-papa | 2007-02-04 16:26 | チビの愛唱歌  

<< (97)19・02・04 九段 アンモナイトの眠り (独り言12) >>