♪ 17 湯島の白梅 18・06・10 

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湯島天満宮(湯島天神)・本殿

 平成7年、総檜造りの本殿が造営された。建築基準法ではたとえ神社仏閣であろうとも防火地域では新たな木造建築は認められていない。しかし、万全の防火設備を整え、建設大臣認定第一号として特別に木造建築が許可された。建材には樹齢250年の木曽檜が使用されている。

 祭神の菅原道真は幼少より文学に秀でていて、5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り始めた。18歳で文章生(モンジョウショウ)、33歳で文章博士(モンジョウハカセ)になり、時の第59代・宇多天皇(ウダ テンノウ)の信任が篤く55歳で右大臣に任ぜられた。学問の神様。


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撫で牛

 臥せ牛の上に臥せ猫。臥せ牛(フセウシ)を皆が撫でていくから、ここでは撫で牛(ナデウシ)と言うんだね。

撫で牛に 菅公の音を 聴きたいと 跨り黙し 大宰府思う 』 (チビ)

菅公(カンコウ) : 菅原道真の愛称

♪ 菅 公 (明治29年)
[作詞]大和田建樹(たてき) [作曲]多 梅雅(おおノうめわか)
一、
学者の家に 身は出でて
忽ち(たちまち)登る 雲の上
よし禍に 掛かるとも
如何でか(いかでか) 君を忘るべき

二、(略)
三、(略)
四、
生きては君に 仕えたり
死しては国の 文学の
守りの神と 祀らるる
御稜威(みいつ)は高し 仰げ人

五、(略)

如何でか : 反語を表す語。
御稜威(御厳) : ご威光、神聖。

水無月の 天満宮に身を寄せし 威光在す(まします)学問の神』 (チビ) 

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青白い瓦斯灯

独文学者・早瀬主税
「月は晴れても心は闇だ。お蔦、何も言わずに俺と別れてくれ。」
柳橋の芸者・蔦吉
「切れるの別れるのって、そんなことは芸者の時に云うものよ。・・・私にゃ死ねと云って下さいな。」

これは、泉鏡花 原作の新派・婦系図(オンナケイズ)「湯島天神の場」である。

 文明開化のシンボルで明治時代を象徴する瓦斯灯は、この境内に5基あった。昭和56年、東京ガスの協力により瓦斯灯が設けられた。これは都内で屋外のものとしては唯一のものである、と白い立て札に書かれている。
 その隣にある瓦斯灯が点灯しているの、わかりますか?その右後ろにある石碑が新派の記念碑。建物は宝物殿。
新派の石碑は、新派劇創立90年を迎えた時、松竹㈱と水谷八重子によって新橋演舞場の玄関脇に建てられたもの。それが、昭和54年に新橋演舞場改築時に「婦系図」の舞台となったここ湯島天神に移された。

♪ 湯島の白梅 
〔作詞〕佐伯孝夫 〔作曲〕清水保雄  〔唄〕小畑 実 (昭和17年)
一、
湯島通れば 思い出す
お蔦(オツタ)主税(チカラ)の 心意気
知るや白梅 玉垣に
残る二人の 影法師

ニ、
忘れられよか 筒井筒
岸の柳の 縁結び
堅い契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち

三、
青い瓦斯灯 境内を
出れば本郷 切通し
飽かぬ別れの 中空に
鐘は墨絵の 上野山


 二葉百合子が唄う ♪ 婦系図 では、二番の歌詞の箇所が室町京之介の浪曲作詞と白石十四男の浪曲音楽になっている。

 お蔦 : まァいい月だわね。ご覧なさいな、切通しの坂が見えるでしょ。薄墨を流したような上野のお山がお空に浮かんで。ゴーンと鐘が鳴って、ねぇあなた。
 主税 : なるほど。
 お蔦 : あら、いやだ。初めて気が付いたようにぼんやりして、早瀬主税の沽券にかかわりますよ。可笑しいわね、あんたったら。この2、3日本当にどうかしてるわよ。
 主税 : どうかもするさ。月は晴れても心は闇だ。
 お蔦 : そりゃ~世間は闇でも構いませんが。どうせ日陰の体ですもの。
 主税 : お蔦、苦労をかけてすまないな。
 お蔦 : 何さ、水くさい。初手から覚悟の上じゃありませんか。それにあなたの勉強の済んだ暁には、どんなことをしても真砂町の先生(酒井俊蔵)のお許しをいただいて、天下晴れて一緒になれるんじゃありませんか。それを思ったら、もう嬉しくって嬉しくって。
 主税 : お蔦、俺はもう死んだ気になってお前に話す。聞いてくれ。
 お蔦 : 聞きますとも、いったい何のことです。
 主税 : お蔦、俺と・・俺と今日限り別れてくれ。
 お蔦 : は、早瀬さん。そりゃ ゝ 冗談じゃなさそうで・・・
 主税 : どうしてこんな悲しい辛いことが何で冗談なんかで言えるもんか。俺が謝る。早瀬主税が頭を下げる。
 お蔦 : 何を言うのよ。別れる切れるは芸者の時に言うものよ。私にゃ死ねと言って下さいな。蔦には・・蔦には枯れろと仰いましな。
 主税 : そう思うのも尤もだが。この2、3日一目見れば分かるほど塞いでいたのも実を言えばこの事だった。今にも言おう、この時言おう、口に出そうと思ってもお前を見れば可哀想に、俺の為に苦労をして髪一つ結うどころか白粉一つ塗るではない。そればっかりか今も今、嬉しいことや優しいこと可愛いことを聞くにつれ、喉を掻っ切り胸を裂きまた唇を破っても、罪も報いをない者を別れてくれと言えなかった。
 お蔦 : ですから、ですから死ねと仰い。死ねと言えば、ハイと言いますわ。大事なあなたの為ならば、私しゃ命は惜しくない。
 主税 : そう、その命、俺の命を合わせても足りなり程ご恩を受けた大事なお方の言いつけなんだ。
 お蔦 : それじゃ真砂町の先生・・・
 主税: そうだ。学問が大切か婦が大切かと胸に匕首刺されるようなご意見を被った。たとえ泣いても縋っても焦がれ死に(恋い慕うあまり病気になって死ぬこと)もしても構わぬと仰って・・・
 お蔦 : ひどい先生。あたしゃ死にます。蔦吉は男に焦がれて死んでみせます。
 主税 : 何を言う。意地で先生に楯を突く気か。その時、死んでも構わぬと仰ったのは先生だが、お前と別れる、婦と切れると言ったのは俺だが、どうする。
 お蔦 : あなた、あなたをどうするって無理だわ。それじゃその時、お前さん、別れる切れると言ったのね。良く仰った。それでこそ男ですわ。女房の私も嬉しい。早瀬さん、男はそれで立ちました。

 拗ねて(スねて)云うのじゃ ありません
 未練で云うのじゃ ありません
 こうだと明かして 云われたら
 死ぬより辛い ことだとて
 女房が聞かれぬ 訳はない
 それを聞かなきゃ 早瀬さん
 婦の系図に 傷が付く

 主税 : お蔦、帰ろう。
 お蔦 : ええ、今夜はうちへ帰ってもいいんですか。
 主税 : 別れの一夜(ヒトヨ)だ、せめて帰りに好きな我がままを言ってくれ。おゝお蔦、そんなに急いでどこへ行く。
 お蔦 : ・・・別れた後の寂しさをしみじみ思って歩いてみます。また坂を降りるのね。切通しから帰るのね、思いを切って通すんでなく身を切るような切通しを・・・

 二葉百合子(1931~ )は、このように間奏に浪曲の台詞を入れる歌謡浪曲を確立させた。わずか3歳で浪曲師として初舞台を踏み、9歳でポリドールレコードと契約。天才少女浪曲家として脚光を浴びる。未だ現役。
( ※ 芸能70年を讃え、5ヶ月後の秋ノ叙勲で旭日小綬賞を受章した)
 昭和30年の映画(大映)では、主税役に鶴田浩二、お蔦役に山本富士子。監督は衣笠貞之助。

玉垣(タマガキ) : 神社の周囲に設ける垣根のこと。
筒井筒(ツツイ ヅツ) : 男女の仲
飽かぬ別れ(アカヌワカレ) : 名残りの尽きない別れ
中空(ナカゾラ) : 心が落ち着かないさま。小畑実は、濁らずに「ナカソラ」と唄っている。
日本初の瓦斯灯は、明治5年、横浜の外国人居住地に灯った。
「鐘は墨絵の上野山」 : 鐘がゴーンと聞こえてくるようだ。

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夫婦坂と本郷切通し

 湯島天神には男坂、女坂、夫婦坂がある。
 お蔦の心情を思いやりながら夫婦坂の石段を降りると春日通りに出る。
 初めは切通しの名のとおり急な坂道だったが、明治37年に上野広小路・本郷3丁目間に電車が開通して緩やかになった。今はこの下を都営地下鉄・大江戸線が走っている。


春日通りの向かい側に切通公園があるが、そのあたりは昭和40年まで湯島切通町といわれたため、単にその名を公園に付けただけ。

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上野山

 湯島天神から不忍池を抜けて上野の山に来た。階段の上には西郷さんの銅像が、地下は京成上野駅になっている。 西郷隆盛が可愛がっている薩摩犬のツンに会ってから、ここから6つ先の堀切菖蒲園に向かう。そう、花菖蒲を見にね!

西郷隆盛は戊辰戦争で官軍大総督・有栖川宮の参謀として江戸に乗り込んできた(チビの愛唱歌 16 ♪宮さん宮さん を見てね)。

(チビの日記!!チビの愛唱歌 17)
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by chibi-papa | 2006-06-10 17:55 | チビの愛唱歌  

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