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♪ 3 春の小川 16・11・07 

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高野辰之住居跡

 長野県下水内郡(シモ ミノチグン、現:飯山市)出身の国文学者・高野辰之(タカノ タツユキ、明治9年・1876~昭和22年・1947)を代々木に訪ねました。まず、代々木3丁目にある「高野辰之住居跡」。そこには標識が立っているだけだった。

 高野辰之は東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)と文部省に務め小学校唱歌の編纂(ヘンサン)にあたった。明治42年(1909)頃からここに住み、「春の小川」 「春が来た」 「故郷」 「朧月夜」 「紅葉」 「日の丸の旗」 などの名作を残した。いずれも作曲は岡野貞一(オカノ テイイチ)


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春の小川

♪ 春の小川
〔作詞〕 高野辰之 〔作曲〕 岡野貞一 (大正元年、1912年)
 
春の小川は さらさら流る
岸の菫(スミレ)や 蓮華の花に
匂いめでたく 色美しく
咲けよ咲けよと 囁く(ささやく)如く

春の小川は さらさら流る
(エビ)や メダカ(目高、麦魚)や 小鮒の群に
今日も一日 日向に出でて
遊べ遊べと 囁く如く

春の小川は さらさら流る
歌の上手よ 愛しき(イトシキ)子供
声を揃えて 小川の歌を
歌え歌えと 囁く如く


・ 囁くようにさらさら流れる春の小川の情景が目に浮かんでくる。ここでの蓮華の花はロータス(lotus)でなく、蓮華草のこと。

昭和17年、林柳波(ハヤシ リュウハ)によって口語訳された歌詞は下記のとおり。でも、その改作で意味不明の歌詞になってしまった。
小川はさらさら流れるものであって、行くものではない。それに、小川が「咲いているね」と囁くのか。小川は喋らないちゅうーの。原詩のように、まるで囁いているかのように春の小川はさらさら流れている。だから「囁きながら」でなく「囁く如く」でなければおかしい。
言葉を大切にしない詩人がいたとは驚きだニャ~(国文学者である高野辰之との差が歴然と現れている感じ)

(林柳波による口語訳の失敗作)

春の小川は さらさら行くよ
岸の菫や 蓮華の花に
姿やさしく 色うつくしく
咲いているねと 囁きながら
 
春の小川は さらさら行くよ
蝦やメダカや 小鮒の群に
今日も一日 日向で泳ぎ
遊べ遊べと 囁きながら

(昭和22年に “咲いているねと” を “咲けよ咲けよ” に戻された)
     
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春の小川記念碑

 高野辰之住居跡から1.5km離れた代々木5丁目に「春の小川記念碑」が線路脇にある(娘・弘子の筆文字による碑文)
 河骨川が小田急線沿いに流れていて、娘を連れてこの辺りを散策したという。その川をモデルに大正12年に「春の小川」を発表した。
 東京オリンピック(昭和39年)のための工事で暗渠(アンキョ)になってしまい、当時の面影は全くない。そばを小田急線の電車が引っ切り無しに通る。


河骨川(コウボネガワ) : 代々木4丁目にあったという土佐・山内家の湧水池(刀剣博物館の辺り)を水源とする河骨川は代々木深町(深町交番の北西100~200m)でいくつかの小流と合流して宇田川(ウダガワ)となり、渋谷センター街を流れ、さらに渋谷駅の東急東横店で渋谷川につながる。さらに古川と名を変え、やがてJR浜松町付近で東京湾に注いでいる。

河骨(コウホネ) : 睡蓮科(スイレンカ)の多年草で夏に厚手の黄色い花が咲く。水中にある根茎が白くゴツゴツして骨のように見える。かつての河骨川には河骨が沢山見られた。

小田急線 : 小田急電鉄(旧名称は小田原急行鉄道)は大正12年創立し、その4年後の昭和2年に新宿・小田原間を開業した。高野辰之は間もなく消えゆくその田園風景を歌詞に残してくれた。

(チビの日記!!チビの愛唱歌 3)

by chibi-papa | 2004-11-07 00:00 | チビの愛唱歌  

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