行徳~鳥越24・06・10
2012年 06月 10日
地下鉄東西線の快速電車に乗った。行徳駅は快速は止まらないので、浦安駅で各駅停車に乗り換えた。
駅前通りを旧江戸川に向かって行くと右手に押切稲荷神社の本殿が見える。ここ押切の地を鎮守するこの神社は、今からおよそ350年前の江戸初期に鎮座されたが、度々の津波などで破壊されてしまった。そこで、御尊体はここ東葛飾郡押切村から対岸の南葛飾郡下鎌田村(現:江戸川区瑞江1-18-1)の長寿院(明治初期に廃寺となり現在は跡地に豊田神社が建立されている)に預けられることになった。それが大正2年に戻って来た。良かった、良かった!でも翌年の大津波は大丈夫だったのかニャ~。
拝殿の右隣には千寿銀杏といって高さ20メートル、幹周6メートル以上もある巨木(市川市指定の保存樹木)がある。
※ 江戸湾の津波
・1651年(慶安4年):第3代将軍・徳川家光の治世の時
・1680年(延宝8年):第4代将軍・徳川家綱の治世の時
・1791年(寛政3年):第11代将軍・徳川家斉の治世の時
・1914年(大正3年):今から98年前にも発生したとある。
1855年(安政2)の安政江戸地震の時の津波はどの程度だったのだろう?
因みに東京直下地震が発生した場合、最大津波を2.6メートルと想定している。地下鉄が水没する可能性大。
※ 東葛飾郡押切村
・明治22年:湊村、欠真間村などと合併して南行徳村となる
・昭和12年:南行徳町となる
・昭和31年:市川市に編入
※ 南葛飾郡下鎌田村
・明治22年:二之江村などと合併して瑞穂村となる
・大正02年:一之江村と合併して瑞江村(瑞穂の瑞と一之江の江で瑞江)となる
・昭和07年:小松川町、小岩町、松江町、葛西村、篠崎村、鹿本村と合併して江戸川区が誕生し、東京市に編入
・昭和18年:東京都制の施行
旧江戸川堤防に出る。ちっちゃな湊水神宮がある。押切排水機場がある。ここら一帯は土地が低く自然排水が不可能なので、行徳地区と浦安地区合わせて26ヶ所の排水機場で守られている。
※ 江戸川放水路
・大正05年:江戸川放水路の開削着工
・大正08年:江戸川放水路完成
・昭和40年:江戸川放水路が江戸川となり、元の流れは旧江戸川と呼称変更
ところで徳川家康が江戸城に入って(御打入り)すぐに手をつけたのが、江戸城の大増改築と塩田開発だった。行徳の塩は新川→小名木川の運河を通って江戸に運ばれた。
※ 1590年7月13日、豊臣秀吉によって徳川家康は関八州へ転封された。家康は江戸を本城と定め8月1日、江戸御打入り(おうちいり)した。
※ 行徳の特産品は塩であった。JR京葉線・市川塩浜駅、塩浜1丁目~3丁目、塩美橋にその面影が残る。
1590年:徳川家康、江戸城 御打入り
1591年:塩浜開発のための下付金1,000両
1595年:塩浜開発のための下付金3,000両
1596年:塩浜開発奨励として5年間の年貢免除
1600年:関ヶ原の戦い
1632年:行徳・江戸小網町間12、6kmの航路開通
光林寺は室町末期の創建と伝えられているが。江戸後期の寛政3年や大正3年の大津波などで過去帳や古文書が流失してしまい、詳しいことは分からない。
大津波があったのニャ~。東京湾内にも大津波があったのニャ~。房総半島で守られていると油断していてはいけない。油断大敵、油断大敵!
日本橋駅で東西線から銀座線に乗り換えて、末広町駅で下車。ここから鳥越神社に向かう。昨日と今日は鳥越神社の祭礼だ。途中、JRのガード下に商店街があるのに気がついた。何だ、何だ!
ここは東京駅から線路の距離で2,540メートルの位置。そのJR高架下に人気カフェ、個性的な雑貨店などが並んでいる。
※ 鉄道駅を財産とするJRは本業の輸送業外のマーケティングで俄然優位な立場に立つ。「駅ナカ」を定着させたJRは、大宮駅や立川駅で食堂街 『ecute』 (駅+cute=エキュート)を成功させ飲食業でも業界屈指の売上げを誇る。さらに開拓の矛先は高架下の空間まで伸び、新たなビジネス空間が生まれた。高架下では有楽町や新橋のように成功した例はあるが、秋葉原・御徒町間 (AKI-OKA) の高架下はこれまで手付かずだった。
神田明神と浅草三社に挟まれる浅草南部の鎮守様が鳥越神社で、創建は651年(飛鳥時代中期)といわれ、日本武尊が祀られている。参拝する長蛇の列に目が点のチビ。
※ 日本武尊(やまとたけるノみこと)が東夷征伐(とういせいばつ)の折に、この里へ暫く留まったことから、村人はその威徳を慕って小高い白鳥山に白鳥明神として奉祀(ほうし)した。
鳥越の地名は、源義家が前九年ノ役(1051~1062)で、奥州安部氏の反乱を鎮撫できたのは白鳥明神の加護によるものだとして、ここを鳥越と命名した。
その後、江戸時代に入って、白鳥山を取り崩し隅田河岸を造成した。そしてそこに幕府備蓄米の蔵を建てた(蔵前の地名の謂れ)。
ワッショイ!ワッショイ!そ~れそれそれお祭りだ!今朝、神社を出た本社神輿は夜になって戻って来る。この宮入りが「鳥越ノ夜祭」と言われるもので、宵闇を背景にした幻想的な光景は下町の初夏の風物詩になっている。
それを見ずに戻ることになった。ここから銀座線・浅草駅まで歩こう!チビはパパに肩に飛び乗る。ワッショイ!ワッショイ!
※ 「ワッショイ」の語源
皆で神輿を背負って和むという意味で、「和を背負う」→「わしょう」→「わっしょい」となった。また、古代ヘブライ語では「神を誉め讃えよ」という意味になるらしい。そして神輿は契約の箱「アーク」を真似たとも謂れている。
顔出し看板を見つけたゾ~。ここから顔を出すんだニャ。どれ、どれ!?
by chibi-papa | 2012-06-10 23:00 | チビのお出かけ