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虎ノ門の虎22・10・10

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虎ノ門金刀比羅宮大祭

 徳川幕府が落ち着いた頃、讃岐国の丸亀藩主の京極氏が江戸藩邸があった芝・三田の地に金刀比羅本宮を勧請(かんじょう、神の分身を他の地に移して祀ること)したことに始まる。その20年後に現在の虎ノ門に遷座(せんざ)された。

 今日は例大祭なので、天狗やおかめひょっとこ。賑やかな行列。ひょっとこと握手しちゃたニャ~。

社殿前の青銅製の鳥居には四神思想(しじん しそう)の龍(青竜)・鳥(朱雀)・虎(白虎)・亀(玄武)の四獣(しじゅう)のレリーフが付けられている。毎月10日が縁日。

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虎ノ門の虎、子猫のように可愛い虎

 江戸城三十六見附の一つ虎ノ御門があったのは、この辺りではなく、もう一つ先の霞ヶ関3丁目交差点付近にあった。ということはこの辺りは虎ノ門前というか虎ノ門南といった所で、赤坂見附付近から新橋へ桜川が流れていた。

 ところで、何で門に「虎」と付けたのだろう。東南西北のそれぞれの方角に青龍、朱雀、白虎、玄武の四獣が宿るという四神思想によれば、虎ノ門は江戸城の南に位置するから虎でなく朱雀門とすべきである。
 推測するに、白の方角(西)の京、大坂に睨みを利かすための(こぐち、虎の牙)から付けられたのだろう。


 関ヶ原ノ戦いの6年後の1606年に石垣と高麗門(こうらいもん)が完成、その30年後に櫓門(やぐらもん)が起工され、その完成は第4代将軍・徳川家綱が治世の1652年だった。それから120年経った江戸中期の1772年に焼失してしまい、再建されることなく冠木門(かぶきもん)になった。
 明治に入ると交通の障害になるという理由で門は撤去(明治6年)され、外濠が埋められ橋もなくなると、虎ノ御門はいつしか忘れ去られてしまった。


 しかし、昭和13年に地下鉄・虎ノ門駅が開業し、戦後の昭和24年には地名として「虎ノ門」が採用され復活した。虎のブロンズ像は虎ノ門駅・8番出口付近にある。
 
・1606年:虎ノ御門に石垣と高麗門が完成
・1636年:櫓門起工
・1652年:櫓門完成
・1660年:金刀比羅宮を三田に勧請
・1679年:金刀比羅宮を虎ノ門に遷座
・1772年:櫓門焼失
・1873年:虎ノ御門撤去
・1938年:地下鉄・虎ノ門駅開業
・1949年:町名として「虎ノ門」を採用
・2010年:金刀比羅宮が虎ノ門に遷座されてから331年後の例大祭にチビが参拝


高麗門 : 門の形式の一つ。2本の本柱(鏡柱)の上に切妻の屋根をのせ、本柱の内側に控柱を立て、本柱と控柱の間にも小さな切妻の屋根をのせた門。

櫓門 : 門の上に櫓を設けたもので、二階門ともいう。

冠木門 : 冠木を渡した屋根のない門。

by chibi-papa | 2010-10-10 23:00  

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