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(205) 21・08・16 東京都戦没者霊苑

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鎮魂その1

 文京シビックセンタービル(文京区役所)の西側は小石川台地。その斜面に造られたイタリアルネッサンス式の礫川公園(れきせん こうえん)に隣接して東京都の戦没者霊苑がある。

・ ここら一帯は礫川地区という。礫とは小石のことで、小石が多い「小石川」に由来している(昭和22年に小石川区と本郷区が合併して文京区となった)。礫川地区は後楽、春日、小石川、白山の一部、水道の一部の5地域から成っている。

 太平洋戦争によって東京都では16万人の戦没者(東京空襲による被災死亡者は含まず)が出た。それを受けて戦没者の慰霊と平和の願いを込めて、昭和35年に小石川陸軍工科学校跡地(古くは水戸藩上屋敷の一部)に建立された。施設が老朽化したため、昭和63年に大改修されている。

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鎮魂その2

 鎮魂碑がある。

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鎮魂その3

 文芸評論家で文化勲章受章者の山本健吉の自筆(ペン字)による碑文がある。

  碑文
あの苦しい戦いのあと、四十有余年、私たちは身近に一発の銃声と聞かず、過して来ました。あの日々のことはあたかも一睡の悪夢のように、遠く悲しく谺(こだま)して来ます。だが、忘れることができましょうか。
かつて東京都の同朋たちの十六萬にも及ぶ人々が、陸に海に空に散華されたことを。あなた方のその悲しい「死」がなかったら、私たちの今日の「生」もないことを。
そして後から生れて来る者たちの「いのち」のさきわい(幸い)のために、私たちは何時までもあなた方の前に祈り続けることでしょう。
この奥津城どころ(おくつき どころ、神道式の墓所)は、私たちのこの祈りと誓いの場です。同時に、すべての都民の心の憩いの苑でもありましょう。
この慰霊、招魂の丘に、御こころ永遠に安かれと、茲に(ここに)これが辞を作る。

    山本健吉

・ 後世に伝えるべき石碑には楷書などで刻むべきであり、ましてやペン字を石碑に刻むべきではない。出だしの「あの苦しい・・・」の「苦」の文字からして判読しにくい。日付も記すべき。東京都戦没者慰霊碑建設委員会は石碑の基本的意味が分かっていないようだ。

by chibi-papa | 2009-08-16 17:25 | チビのお出かけ  

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