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京王沿線Walking 19 23・05・21

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武蔵府中熊野神社古墳

 今回のコースは府中駅をスタートして武蔵府中熊野神社古墳→谷保天満宮→城山(じょうやま)公園→三田城跡→石田大橋→向島用水親水路→高幡不動駅までの9、5キロ。

 
熊野神社の境内に古墳がある。熊野神社はもともと別の場所にあって、1777年(治世は第10代将軍・徳川家治)に現在の地に移ってきた。だから、神社と古墳は直接的な関係はない。
 この古墳は上円下方墳(じょうえん かほうふん)といって極めて稀な形式で、全国でも5基しか確認されていない。その中でここの古墳は最大規模を誇っている。そして、この形式は近代以降の皇室の陵墓(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)にも採用されている。


 
7世紀の中ごろ(飛鳥時代)版築(はんちく、板築)という工法で造営され、その1段目の方形部は高さは50センチで1辺が32メートル。2段目の方形部は高さが2メートルで1辺が23メートル。3段目の円丘部は高さが2メートルで直径が16メートル。トータル5メートルの高さ。
 1段目には頁岩(けつがん)を加工した縁石を並べ、2段目、3段目は多摩川の川原石で覆われている。2段目と3段目で石の大きさを変えて視覚的に区別できるようにしていた(復元されたものは同じ大きさになっている)。周濠は現認できないが、1辺が80メートルと推定されている。


 頁岩 : 泥岩あるいはシルト岩(siltstone)ともいう。多摩川の河岸段丘(かがんだんきゅう)である立川崖線(たちかわ がいせん)に露出している。加工し易いが脆い。

 立川崖線 : 府中崖線ともいう。青梅付近から多摩川に沿う形で立川市内まで続き、中央線の多摩川鉄橋付近から東に向かい、錦町の旧立川市役所の南を通って南武線と甲州街道の間をさらに東に向かう。谷保の西で甲州街道の南に入る。そこからは甲州街道の500メートル南を東に進み、狛江市元和泉付近まで続いている。

 石室は前室、後室、玄室の3室から成り、その全長は9メートルにおよぶ。石室の床面にも多摩川の川原石が敷かれている。
 大刀(たち、直刀のこと、反り刀は太刀と書く)の鉄製の鞘尻金具(さやじり かなぐ、鞘の先端に付く金具)に銀象嵌(ぎん ぞうがん)が施されているのが玄室(げんしつ、棺を納める墓室)で発見され注目された。


 銀象嵌(銀象眼)工芸品の装飾技法の一つ。金属の表面に紋様を彫り、その窪みに銀を嵌(は)め込んだもの。

 飛鳥時代と云うとずっと古(いにしえ)の時代。江戸時代→安土桃山時代→室町時代→鎌倉時代→平安時代、まだまだ昔。奈良時代の先にやっと飛鳥時代に辿りつく。
 今から1300~1400年前のことで、飛鳥時代は聖徳太子が593年に摂政になってから、694年の藤原京への移転までの約百年間だ。
 そんな昔に造られた古墳を調査してみると、当時の文化が感じられロマンに浸ることができる。今度は我々の文化を将来に伝える番だ。


 ところで、今の我々は原子力発電所で電気を大量に作って、そのエネルギーで束の間の繁栄を楽しんでいる。原発からは必然的に高レベル廃棄物が出る。高レベル廃棄物は10万年に亘ってこれから地層処分しようとしている。
 10万年と云うとこの古墳が造られてから現在までの約75倍というとてつもなく超長期間にわたって隔離しなければならないが、果たしてそんなことができるのだろうか。
 もし、廃棄物が埋めてあるので危険だという申し送りが途絶えてしまって、宝物か何かと思って開けてみたら「死の灰」。放射能障害で苦しんだり、死んでしまってはロマンを追うどころでない。こんな恨まれる負の遺産を残していいのだろうか?
 リスクに見合うベネフィットは比較にならないほど小さいといえる。


 10万年という長さ
・ 邪馬台国(卑弥呼)から1800年
・ 神武天皇即位から2669年
・ 日本列島が大陸から離れたのが1万年前。10万年はとてつもなくなが~い。

 高レベル廃棄物の隔離処分方法
海底処分 : ロンドン条約で禁止。
宇宙処分 : ロケットの打ち上げは100%成功するとは限らないので、ダメ。
氷床処分 : 南極条約で難しいので、ダメ。
地層処分 : 地層処分しか残されていないのに、日本ではまだその場所すら未定。しかたがないから原子炉建屋の中にプールを作って、そこに使用済み核燃料を保管しているので、いつなんどき事故が起こるとも限りない。もし地層処分ができて地下500mに埋めたとしても、地殻変動の激しい我が国では、長い年月の間に隆起して高レベル廃棄物が剥き出しになってしまうかもしれない。これもダメ。と云うより、わが国には地層処分できるような安定した地盤はどこにもない。

 海底処分:大半は1973年(昭和48)から1982年(昭和57)の約10年間の間に実施され、投棄された放射能の総量は8、5京ベクレルと推定される。
・1946年(昭和21)
 →アメリカによるカリフォルニア沖に投棄したのが最初
・1975年(昭和50)
 →ロンドン条約:高レベル放射性廃棄物の海洋投棄が禁止
・1993年(平成5) 
 →ロンドン条約の改正:放射性廃棄物に拡張
・2006年(平成18)
 →ロンドン条約の強化:1996年の議定書が採択され発効

NUMO(ニューモ、原子力発電環境整備機構、原環機構) : 高レベル放射性廃棄物の地層処分事業体で、英文名の NUclear waste Management Organization of Japan と日本名が結びつかないように工夫している。訳せば、原発廃棄物管理機構などとすべき。言ってみれば 「核のゴミ」 の処分を司っている部門なのに、肝心のwaste の訳語をわざと消し去っている。こういうトリックを使うのは、何かを隠そうとしていることの表れ。

(チビの日記!!チビのお出かけ)




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by chibi-papa | 2011-05-21 23:00 | チビのお出かけ  

腰越状 23・5・14 

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腰越漁港

 向かいは江ノ島。ここ相模湾の先に位置する伊豆半島を越えた所に、石廊崎(いろうざき)と御前崎(おまえざき)に挟まれた駿河湾がある。ここから140km先の御前崎に建つ浜岡原子力発電所が本日、運転を停止した。画期的な出来事だニャ~。
 1号機と2号機は廃炉が決まっていて既に運転が終了している。3号機は定期点検中。4号機は昨日13日に運転を停止したのに続き、5号機も停止した。これによって浜岡原発の全原子炉が停止したことになる。

 これはきっと4月30日にパパと参加した「反原発・脱原発デモ」で 『危険な浜岡、今すぐ止めろ』 の叫びが通じたに違いない。
 浜岡原発は砂岩でかつ東海地震の想定震源域の上に建っている。さらに原発敷地の一部は河川や浜を埋め立てた場所で、地震で液状化する危険性すらある。
 その危険度と言ったら、もう地雷原の上でカーニバルをやっているようなものなんだニャ~。あな恐ろしや!あな恐ろしや!自ら進んで停止しようとしない中部電力の経営者って人間の顔をした悪魔なのかニャ~。


 中部電力はこの脆い砂岩を堅い岩盤と偽った。直下型の大地震が起きたら、原子炉も使用済核燃料プールもひっくり返ってしまう。そうなったら手の付けようがない。この世の終わりである。
 
 菅首相は浜岡原発の全面停止要請について 「政治判断」 を強調した上で、「評価は歴史の中で判断いただきたい」 と述べた。電力会社が未だ自主的に停止しなので、政治判断で全国にある全ての原発を停止し、さらに廃炉にしていただきたい。菅さんお願いしますニャ~。

 菅首相殿 : 国民の不安感に付け込んで自らの存在感を高めることを狙ったようですが、それでも浜岡原発を停止させてみると国民の評判は概ね良い。説明責任を回避したままでも良いから、政治判断だと言って、さらに脱原発、反原発に大きく舵を切ったら、バカ菅といわれないですみますよ。それどころか歴史に大きく名が残ると思います。汚名返上のチャンスです。

 腰越と言えば腰越状。今から826年前の1185年5月、ここ腰越で源 義経が兄の頼朝に腰越状(こしごえじょう)を書いたといわれている。
 
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満福寺、弁慶の手玉石

 鎌倉に凱旋すべく意気揚々と敗軍の将・平 宗盛(たいらの むねもり、平 清盛と時子の長男)親子を京より連行して来た義経は兄・頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた。そこで、頼朝に心情を訴える腰越状を書いたといわれ、ここ満福寺にはその下書きとされている書状が展示されている。
 そして境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経と弁慶ゆかりの品々が展示されている。弁慶はこんなに大きな石をお手玉にしていたのかニャ~。力持ちの弁慶を従えていた義経はさぞ心強かったろうに。


 この手紙は大江広元(おおえの ひろもと、政所初代別当)宛に書かれ、兄・頼朝に取り次いでもらったものの、義経は鎌倉入りは許されなかった。腰越から鎌倉まであと1里。その1里は悲しくも果てしなく遠かった。

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小町通り、重ね招き猫

 満員の江ノ電(江ノ島電鉄)に揺られながら鎌倉に入る。京を発った時から死罪を覚悟していたであろう宗盛親子は、義経の手を離れ5月16日、鎌倉に入った。そのころ腰越に留め置かれたままの義経は、諦めきれず華々しい凱旋の幻を追っていた。
 翌月7日に敗軍の将は源 頼朝の前に引き出される。御簾(みす)の中の源 頼朝に助命を乞う平 宗盛。集まった者たちから嘲笑されようともただひたすら助命を乞う。

 
 6月9日、京への送還が決定された。腰越に留め置かれた義経の下に宗盛親子は再び引き渡された。義経は今度は2人を送還すべく京に引き返す。鎌倉に一歩も踏み入れられなかった無念さを宗盛親子にぶつけ、途中の近江国で清宗を斬首(享年16)。宗盛は京に送還した後、斬首(享年39)。さらに次男ら3名も順次処刑。
 そして義経は頼朝に反旗を翻すのであった。

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鶴岡八幡宮の階の下で反原発をアピール

 ボクは原発に反対です。みなさんはいかがお考えでしょうか。
 反対の第一の理由は、原発には人柱が必要だからです。原発はオートメーションでクリーンなイメージがありますが、保守・点検・清掃には人力が必要です。それには当然、被曝します。ですから被曝する仕事には人柱を立てます。電力会社ではこの人柱を奴隷とよんでいます。放射能について無知な人を連れて来て、さらに放射能は安全だと洗脳します。その結果、放射能障害を発病して死んでも奴隷だから何とも思いません。中世の世の中ではあるまいし、そんなことがあっていいのでしょうか!人間を潰してまでして電力を作ってはいけない。
 第二に毒性についてです。原発を稼働させると必ず放射性廃棄物が出ます。つまり死の灰ですから10万年間も閉じ込めて置かなくては物理的に無毒になりません。果たしてそんなことが出来るのでしょうか。それより最終処分場すらまだ決まっていないのです。ですから使用済燃料は建屋のプールで保管している状態です。それも限界に近付いています。まさにトイレのないマンションで、トイレから汚物が溢れ出ようとしています。そのうち科学が進歩して処理方法が見つかるかもしれない、と言うかもしれませんが、その目途は全く立っていません。もうどうしようもないのです。

(チビの日記!!チビのお出かけ)
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by chibi-papa | 2011-05-14 23:00 | チビのお出かけ  

逗子から鎌倉へ 23・5・8 

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地震を感じたら、海岸から直ぐ避難

 □ 東日本大震災の教訓は、大地震に遭(あ)ったら、まず津波を連想すること。そして直ぐに 「遠くにでなく、高い所」 に避難だニャ。それにしても津波の威力といい破壊力は物凄いね。それなのに何で逃げ遅れる人がいるのかニャ~。

 ■ それはね、猫と違って人間には安心して生きるために、心の中に 『あそび』 の部分があるんだ。つまり、ある範囲までの異常は異常と感じず、正常の範囲内と受け止めてしまうんだ。その 『あそび』 が心の中にあることが、非常時に危機感を鈍らせてしまうんだ。
 それに、自分だけが飛び出して何もなかったら恥をかくという思いがさらに避難を遅らせる原因なんだ。


 □ 非常時には恥とか言っていないで、躊躇(ためら)わず素早く自主的に行動することが何より大切ということだニャ~。 いざとなったらボクが先導するからね。

 ■ 別の言い方をすると、自然災害、火事、事故、事件などといった何らかの被害が予想される状況下にあっても “危険な状況ではないと思いこむ心理” 即ち正常性バイアス(Normalcy bias)が働いてしまうんだ。さらに同調バイアスといって、大勢の人がいると、とりあえず周りにあわせようとする心理が働いてしまうんだ。

 □ ボクには全く理解できニャイニャ~。

 ■ もし、パパが正常性バイアスや同調バイアスに陥ってしまったら、先導 よろしく頼むよ。

 □ 了解!了解!その時はボクに任せといて!

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浪子不動ハイキングコース

大地震による鎌倉に押し寄せる大津波の高さは、約9メートルと予想されている。

 □ 逗子海岸の浪子不動から今、登ってきたとこだニャ。あぁ、しんど。

 ■ ねぇ、振り向いてごらんよ。海が見えるよ。

 □ 案内板が薄くてUターンできないニャ~。
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披露山公園 眼下は逗子海岸

 戦時中はここに海軍の高射砲陣地(高射砲3門と監視所)があった。その高射砲砲座の直径が12mあって、それを利用して展望台、猿舎、円形花壇があり、監視所跡はレストハウスになっている。
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大崎公園 眼下は小坪漁港と地中海風の逗子マリーナ、その向こうは稲村ケ崎

 日本版ビバリーヒルズと呼ばれている披露山庭園住宅の奥の突き出した岬に大崎公園がある。そして、公園中央に兔のモニュメントに刻まれた泉鏡花文学碑がある。

 □ 何で泉鏡花に兔さんなのかニャ~。

 ■ 泉鏡花は1873年(明治6年)生れなんだ。その年の十二支は何かな?

 □ え~と。1873÷12=156・・・1。余り1だから酉年。酉は鳥だから兔と関係ないじゃん。

 ■ では、酉の「向い干支」は何かな?十二支を円に配せば解るでしょ。

 □ え~と。解った。卯だ、兔だ~!

 ■ 「向い干支」の置物などを集めると出世すると云われているだよ。チビの「向い干支」は何かな?

 □ ボクは1996年(平成8年)生れだから、1996÷12=166・・・4、余りが4だから子年。その向い干支は午。ギャ~!お馬さんは嫌いニャ~。

 向い干支と余り
、 丑= 5、 寅=6、 =7、辰=8、巳=9
=10、未=11、申=0、、戌=2、亥=3


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材木座海岸 向こうは逗子マリーナ

 東日本大震災の津波で被災した遺体が鎌倉で上がったというけれど、どうしてここまで流れ着いたのかニャ~。
 福島第一原発から海へ流れ出た高濃度の放射性物質(死の灰)を含む汚染水は、千島海流に乗って南下して来るけど、南からの黒潮とが犬吠﨑でぶつかって、太平洋へ流れを変える。でも、なかには鎌倉辺りまで来ることもあるのかニャ~。潮の流れは意外と複雑なんだな。と言うことは逗子海岸にも、そしてここ材木座海岸にも水に溶けにくいプルトニウムが流れて来る可能性があるということだ。
 プルトニウムは重金属でありかつアルファー線を出す放射性物質(死の灰)なので、肺に入ってしまうと大変なことになる。逗子海岸もそうだったけど、ここもサーファーが多い。サーファーの方は充分気を付けてニャ。


 滑川(なめりがわ)のところで海岸から上がって鎌倉駅に向かう。この滑川を境にこの先は由比ヶ浜となる。

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by chibi-papa | 2011-05-08 22:33 | チビのお出かけ  

23・5・4 大聖寺藩

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東京大学構内

 25年前の今日5月4日、チェルノブイリ原発事故の放射性物質が日本で検出された。昭和61年(1986)4月26日チェルノブイリ原子力発電所・4号機はメルトダウンの後、核爆発した(福島第一原発では3月14日に3号機が核爆発)
 世界中に緊張が走る中、チェルノブイリから8,000km離れている日本にまでまさか死の灰(放射性物質)が飛んでくるとは思ってもいなかった。5月2日の新聞には科学技術庁の見通しとして 『放射性物質日本到達の可能性低い』 と報道されたが、大阪・熊取にある京都大学原子炉実験所の小出裕章助手は観測態勢に入った。
 5月3日は朝から雨だった。その雨水からは検出されなかった。3日夜から4日にかけても雨だった。その雨水からはヨウ素131、セシウム137、セシウム134が検出された。ジェット気流に乗ってわずか1週間で到達したのだった。


 昭和61年5月4日に検出されたヨウ素131は環境中のであってその後、野菜などに濃縮され6月6日頃にはヨウ素131は5月4日の7倍になる。それを見越して一番低い5月22日に金丸信自民党幹事長は 『直ちに健康に影響を与えるものではない』 と安全宣言を出し、観測を打ち切ってしまった。その本音は原発反対運動が活気づくのを恐れたためであった。

 最初に気が付いたのはスウェーデンだった。チェルノブイリ事故の2日後、ストックホルムから北へ120kmにある原子力発電所の一帯は雨が降っていた。その原発では職員がトイレに行くために放射線管理区域から一度外に出るため放射線測定器によるチェックを受けなければならない。通常はここで何も変わったことが起きないのに、この時は強い放射線が靴から検出され、警報が鳴った。騒ぎはここから始まった。
 セシウム134が検出されたことから(核実験でないことが分かり)最初はその原発から漏れているのではないかと緊張が走り、警戒態勢が敷かれた。検出されたヨウ素131からはおおよその経過時間が分かった。さらに飛行機によるバルト海上でのサンプル収集と、数日前からの気象データ(特に風向き)とを突き合わせた結果、ソ連のベラルーシかウクライナ地方の原発らしいことが分かった。
 しかし当時は冷戦中でソ連内の情報はヴェールに包まれていた。そこで外交ルートを通じてソ連政府に打診。ソ連政府は隠し通せないと判断して国営通信社を通して原発事故があったという短い発表を行った。
 それから5年後の1991年にソビエト連邦が崩壊し、ウクライナとベラルーシとロシアに分かれた。その頃から子供に甲状腺異常が目立ち始めた。


 福島原発事故では原発推進派の佐藤雄平・福島県知事は3月19日に長崎大学の山下俊一教授を福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして招聘(しょうへい)。県内各地で 「年100mSv以下は安全」 と講演して回っている。それが「20mSv/hrでは安全とは言い切れないが国の指示に従う義務がある」に変わる。そして「避難したければ好きに避難して下さい。ただ避難できる場所ありますか?」と開き直る。
 そんなことに振り回されて避難が遅れ、チェルノブイリ事故以上の犠牲者が出るのではないかと懸念されている。県民をあたかもモルモットに見立てているようだ。今後は疫学的調査の対象にされるだろう。


 福島県民の多くが悪魔のような御用学者(誤用学者?)の言葉を信じて後悔することだろう。しかし、山下俊一(としかず)リスク管理アドバイザーの助言を受け入れて避難しなかった県民側にも騙された責任はある。最後は自分の身は自分で守るしかない。

 3月21日 福島市内での講演会にて
『お願いしたいのは、皆さんと県あるいは国の信頼関係の絆をつくるということです。今、何を信用して良いかと。今、皆さん方が最も信頼できるデータは何かと言うと、それは好むと好まざるとに拘らず我々は日本国民です。日本は戦争に敗れ、そして原子力産業を支え、今の復興を成し遂げたこの日本において、我々が少なくとも民主主義国家として信じなくてはいけないのは、国の方針であり、国から出る情報です』(山下俊一)
まるで、戦前、戦中のアジ演説みたい。「絆」 という綺麗な言葉を使って、大切なモルモットを県外に逃がさないようにしているようだ。

 枝野幸男官房長官や東京大学の御用学者たちは 『直ちに健康に影響がない』 と安全デマ、安心デマを飛ばしまくっている。こういう人達が風説被害を撒き散らすとは一体どういうことなんでしょうか。今後検証されなければならない。
 チェルノブイリの例でも明らかなように、放射能障害は晩発性なので、被曝後5年、10年あるいは20年後に確率的に影響が出てくる。影響が出てきたら知らん顔を決め込むつもりなんでしょうか。 『直ちに健康に影響がない』 は数年後には 『人類で最悪の惨事』 になるだろう。


チェルノブイリの原発事故の4年後から小児甲状腺癌が多発したが、それを徹底して無視したのはIAEA(International Atomic Energy Agency、国際原子力機関)と原子力と結びついた医学者たちだった。
福島原発事故による小児甲状腺癌が多発したら、日本政府は必死になってそれを打ち消す行動に出るのだろう。いったいチェルノブイリ事故から何を学んだというのだろうか?

 越前国と接する加賀国・大聖寺藩(だいしょうじはん、加賀藩の支藩)の上屋敷は本郷台地にあった。石碑には領内で生産された九谷焼の皿がはめ込められている。
 初代・前田利家の4男である3代藩主は隠居に際し、3人の子に財産を分与した。長男に加賀藩4代目の家督を譲り、次男に富山藩、3男には大聖寺藩を分与した(大聖寺は3男の院号)。大聖寺藩は明治維新まで230年14代の藩主を出した。


 明治になって本郷台地には東京大学が設置された。その本郷台地の船着き場(根津)だった辺りの東斜面は、江戸時代から躑躅で有名だった。

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根津神社

 根津神社の躑躅祭(つつじ まつり)は先月9日から始まっていて、明日5日まで開催されている。今が遅咲きの見頃で、賑わっていた。

 内閣府原子力安全委員会委員長の班目春樹(まだらめ はるき、東大卒、東大教授などを歴任)は福島県内の小中学校の校庭利用を、安全委員会としての議事録も作らずに政府案の放射線量年20mSvを認めてしまった。
 この年20mSvは外部被曝だけのようだ。これに呼吸、食品、水道水からの内部被曝を考慮して単純に4倍すると年80mSvとなってしまう。これではいくらなんでも酷過ぎる。狂った基準を設定した菅政権はここで人体実験をする気でいるようだ。子供たちが将来、スローデス(slow death)を引き起こさないよう細心の放射線管理政策を執るべきだ。
 真意は福島県中通りの交通動脈を守るためのようだ。中通りには東北新幹線、東北本線、東北道、奥州街道が走っていて文字通り交通の動脈となっている。そこを強制避難区域に指定しないために子供たちに犠牲を強いているようだ。
 その証拠に山下俊一は講演で、「皆さんはここに住み続けなければならない。ここで生きていかなければならない。現実です。理論じゃない」 と言い切った。


子供たちの未来を奪う権利は誰にもない。それを奪おうとする輩は鬼か悪魔である。

 チェルノブイリ事故では、148万Bq/㎡以上を強制避難区域に指定した。

 福島第一原子力発電所は小康状態を保っているかように報道されているが、刻々と深刻さを増している。

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by chibi-papa | 2011-05-04 23:00 | チビのお出かけ  

23・5・1 下谷神社

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下谷神社(元:稲荷神社)

 京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章(こいで ひろあき、1949年~61歳)氏は関西出身だと思っていたら、東京生まれの東京育ち。上野と浅草の間に位置する下谷稲荷町(したや いなりちょう、現:東上野)で生まれ育ったという。下谷稲荷町には稲荷神社があり、小出少年はこの辺りで遊んでいたのであろうか。

 小出氏は原子力の平和利用に憧れを抱いて東北大学工学部原子核工学科に入学するも、大学4年生のとき女川原発反対集会(1970年10月23日)で住民が発した 「原発がそんなに安全なら、女川(おながわ)でなく仙台につくれ!」 の一言で小出氏は目覚めた。原発の危険性に気が付き、原発を止めさせるために大学に残り研究者の道を歩んだ。昭和49年(1974)に京大原子炉実験所・助手(助教)となり、助教のまま現在に至っている。
 
 原子力をやめることに役立つ研究を、という信念を40年間に亘って貫き通すその姿は崇高という言葉しか思いつかない。原発を止めさせるには今しかない!その思いで昨日4月30日『反原発・脱原発デモ』にパパと参加した。

 午後2時に代々木公園欅並木南側を出発→公園通り→井ノ頭通り→宇田川町交番→東急文化村通り→ハチ公前交差点→明治通り→神南前交差点→神宮橋交差点→代々木公園欅並木北側をデモった。
『全ての原発みんなでとめよう!』
『原発重視の政策変えよう!』
『危険な浜岡、今すぐ止めろ!』
『子供を守ろう!』ついでに『猫も守って!』
『命を守ろう!』
『農地を汚すな!海を汚すな!』
『地方を犠牲にしちゃいけない!』
『原発なんかいらないよ!』
ボクはパパの肩に乗って、猫語で訴え続けた。
『ニャン!ニャン!ニャ~!』
『ニャン!ニャン!ニャ~!!』
『ニャン!ニャン!ニャ~!ニャ~!!』


 しかし残念なのは、小出助教が放射性物質はどんなことをしても絶対に消えないと断言し、微生物によって放射性物質が分解消失することを知らないことである。まあしかたがない。宇宙を形作る物質の内、人類が知っているのは数パーセントに過ぎず、大部分は未だに未知の領域なのだから。
 その場合、理論的に説明できなくても結果として放射性物質が消えてしまうのであれば、それを認めてあとでゆっくり理論づければよいのであって、まずは放射性物質を消してしまうことが何よりも優先されるべき事である。科学者の面子を保つことよりも、まずは福島の土地(日本の国土)を取り戻すことに集中してもらいたい!


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by chibi-papa | 2011-05-01 23:00 | チビのお出かけ