<   2010年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

 

平成22年(2010) INDEX

・時候のご挨拶 謹賀新年
・22・01・03 チビのお出かけ 214 富士塚登拝(十条冨士)
・22・01・04 チビのお出かけ 215 心は太平洋ぜよ!
・22・01・05 チビのお出かけ 216 東浪見の浅間神社
・22・01・11 チビのお出かけ 217 後ろには閻魔大王
・22・01・16 チビのお出かけ 218 京王沿線Walking13
・22・02・06 チビの愛唱歌 ♪45 早春賦(牛天神)
・22・02・21 チビの独り言 22 マスメディア
・22・03・20 チビのお出かけ 219 京王沿線Walking14
・22・03・22 チビの愛唱歌 ♪46 鎌倉(4、6番)
・22・03・28 チビの愛唱歌 ♪47 あゝ上野駅
・22・04・11 チビのお出かけ 220 白鷺ノ舞
・22・04・17 チビのお出かけ 221 牟礼ノ里公園
・22・04・18 チビのお出かけ 222 チューリップになったチビ
・22・04・25 チビのお出かけ 223 日勤教育の果て
・22・05・02 チビのお出かけ 224 全生庵
・22・05・15 チビのお出かけ 225 京王沿線Walking16
・22・06・19 京王沿線Walking17
・22・06・27 盛り上がるWorld Cup
・22・07・04 洗足池の千束八幡
・時候のご挨拶 残暑見舞
・22・08・14 戦災資料センター
・22・08・15 8月15日の鎮魂
・22・08・22 チビの愛唱歌 ♪48 ウルトラマン
・22・09・05 化け猫
・22・09・20 リボンちゃん
・22・10・10 虎ノ門の虎
・22・10・11 鬼門に建つ寛永寺
・22・10・24 マスコミ、検察の横暴
・22・10・31 映画『桜田門外ノ変』
・22・11・03 坂本龍馬の菊人形
・22・11・07 探鳥(多摩川)
・22・11・23 碑文谷公園
・22・12・05 三番瀬
・22・12・11 チビの愛唱歌 ♪49 野菊
・22・12・12 中山法華経寺 
・22・12・18 京王沿線Walking18
・22・12・19 ニャンタクロース
・22・12・31 根岸古墳群
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by chibi-papa | 2010-12-31 23:30 | 全索引  

22・12・31 根岸古墳群

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城山公園(岡の城山)

 ここは東武東上線・朝霞駅から東に1、5km。黒目川(くろめがわ)を真下に見る舌状台地(岡)の先端部に、かつて城があった。比高は10~14mで、四つに区分された郭(くるわ)、櫓台(やぐらだい)や空堀(からぼり)があって、かなり工夫された造りになっている。写真の窪みは二ノ郭と本郭との間の空堀で、深さは4~5mあったという。
 太田道灌(1432~1486)がこの地に城を築いたという伝承がある。豊島氏と敵対関係になったことにより豊島氏の石神井城(石神井公園)ー 練馬城(豊島園)ー 平塚城(北区上中里)ラインで、太田氏の江戸城・河越城(川越)間の連絡が断たれてしまうことになる。そこで、江戸城と河越城の中間地点のここに城を築き豊島氏攻略の前線基地にしたようだ。あるいは豊島氏を滅ぼした後で江戸城と河越城の中間地点として、ここに城を築いたのか定かでない。
 台地斜面部には貝塚跡があり、ここが縄文時代から人々に利用されていたことが分かる。


黒目川 : 古くは久留米川とも表記した。水源は東久留米の小平霊園の「さいかち窪」。

太田道灌と豊島氏との間で争いが起きたのは、関東管領勢の太田道灌が江戸城を築いたため、豊島氏の権益を脅かしたことにある。そこで、豊島氏は対抗手段として古河公方勢についた。室町時代・中期に起きた関東管領勢と古河公方勢の争いを享徳ノ乱(関東ノ争乱ともいう 1454~1482)という。
太田道灌と豊島氏の争いは、平成21年1月10日の チビのお出かけ 179 を見てね。

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柊塚古墳(ひいらぎづか こふん)

 根岸古墳群は新河岸川(しんがしがわ)と黒目川の堆積作用によってつくられた沖積地を見下ろす台地に分布している。
 その根岸古墳群で唯一現存する柊塚古墳は、古墳時代後期(6世紀前半)の前方後円墳だが、前方部は大幅に削られ宅地になっている。後円部の高さは8m。
 後円部の棺は木炭と粘土で保護され(木炭槨、粘土槨)、家形埴輪や土師器(はじき、文様のない素焼きの土器)が出土した。そして周濠からは人物埴輪、円筒埴輪、馬形埴輪が出土している。
 柊塚古墳歴史広場の入口には円形埴輪の形をした車止めや馬形埴輪のモニュメントがある。さらに家形埴輪の外観をしたトイレがある。


怪しげな猫形埴輪?は、平成18年8月26日の チビのお出かけ 69 を見てね。

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一夜塚古墳址の碑

 柊塚古墳より古い6世紀初頭のものと思われるこの大型円墳の石碑は、朝霞第二小学校の門脇にある。校庭整備のため窪んでいる所を埋めるため古墳の土を利用した。その土採り作業中に、墓室内部の棺を保護するための木炭槨(もくたんかく)が見つかっており、銅境、菅玉(くだたま、首飾り)、直刀(ちょくとう、反りのない刀)、甲冑(かっちゅう、鎧と兜)、馬具(馬に付ける杏葉などの装飾)が出土した。その杏葉(ぎょうよう)は金属製のだったのだろうか?

 この他にも、狐塚、男塚や女塚などの古墳があったようだが削られてしまっていて、かつて古墳があったことを伺わせるものは何もない。
 一夜明けるとお正月。皆さ~ん、良いお年をお迎え下さい。


野毛大塚古墳については、平成18年8月19日の チビのお出かけ 68 を見てね。

漢字 (郭 と 槨 と 廓)
・ 郭 : 囲まれた場所を意味し、城郭(じょうかく)、輪郭(りんかく)など。読みは「カク」、「くるわ」。
・ 槨 : 木偏がつくと、墓室内部の棺を保護するものとなり、木槨(もっかく)、石槨(せっかく)、木炭槨、粘土槨など。読みは「カク」。
・ 廓 : 广(まだれ)は部屋を意味し、遊廓(ゆうかく)など。読みは「カク」、「くるわ」。

漢字 (阯 と 址)
・ 阯 : 阝偏(こざとへん)は丘の意。止は足の意で、遺跡の意味。読みは「シ」、「あと」。石碑には古墳阯と 「阯」 の文字が刻まれているが、現在は土偏の 「址」 を使う。
なお、止は足の裏の象形文字で、もともと足を意味したが、もっぱら 「とめる」、「とまる」 の意味に使われるようになったため、口(膝の皿を表す)を付け加えて足とした。
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by chibi-papa | 2010-12-31 23:00 | チビのお出かけ  

ニャンタクロース22・12・19

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「銀座ミキモト」のクリスマスツリー

・・・ ツリーの根元には紅天狗茸らしきものが置かれている。北米では黄色の傘を持つものも生息する ・・・

  「銀座ミキモト」は御木本 幸吉(1858~1954)が明治32年(1899)に開店した我が国初の真珠専門店で、店の前には御木本幸吉の功績を称え「真珠王記念碑」が建てられている。
 真珠(pearl)は貝から採れる宝石で、生体鉱物(バイオミネラル)と呼ばれるもの。貝殻成分を分泌する外套膜が貝の体内に入り込むことで真珠が生成される。御木本幸吉の功績はそれを実験を通して産業化したことにあり、真珠王と呼ばれる由縁である。

明治26年(1893)に半円真珠の養殖に成功し、明治29年に特許を取得(第2670号)する。さらに明治38年(1905)には真円真珠の養殖に成功した。

明治38年に赤潮の発生で壊滅的な打撃を受けことが、養殖成功のきっかけであった。その死貝の中に真円真珠を抱いた貝が発見されたからである。
大正時代の半ば以後、真珠貝の量産体制によってロンドン、パリ、ニューヨークなどに支店を設け、「世界の女性の首に真珠を」の信念を実行したのである。

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銀座三越のライオン

 百貨店化を進めるため、明治37年(1904)12月20日に「合名会社三井呉服店」を「株式会社三越呉服店」に改称した。今日は12月19日だから、三越の名称になってから明日で丁度106年目を迎えることになる(社名から呉服店がとれて株式会社三越になったのは昭和3年)
 第4代将軍・徳川家綱が治世の1673年に三井財閥の基礎を築いた三井高利(1622~1694)が江戸で呉服店「越後屋」を開業したことに始まる。つまり「三越」は三井家の井と創業時の後屋からとったもの。

 三越のシンボルのライオン像は支配人・日比翁助(ひび おうすけ)が、三越がライオンのような百貨店の王者になることを願って大正3年(1914)、本店に設置したのが始まり。日比翁助はライオンが大好きで息子に雷音(らいおん)と名前を付けたぐらいだ。
 前足から尾まで2メートル70センチ、頭までの高さ1メートル20センチと存在感のあるライオン像だが、百獣の王・ライオンはネコ目・ネコ科に属しているから、大きさは全然違うがボクら猫の仲間なんだ。まあ、猫の分家と言ったところか。

 三越の包装紙「華ひらく」のデザインは洋画家・猪熊弦一郎。猪熊弦一郎といえば上野駅の壁画 『自由』 だ!

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上野駅のクリスマスツリー

 グランドコンコース中央に天井までとどきそうなクリスマスツリー。師走で慌ただしく行き交う人々。間もなく冬至、最も夜が長くなる。

猪熊弦一郎の壁画 『自由』 については、平成22年3月28日のチビの愛唱歌(47) ♪ あゝ上野駅 を見てね。
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by chibi-papa | 2010-12-19 16:14 | チビのお出かけ  

22・12・18 京王沿線walking 18

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上谷戸親水公園・水車小屋

 『多摩川沿いに冬の訪れを感じて』と題して、若葉台駅→若葉台公園→上谷戸親水公園→稲城中央公園→くじら橋→多摩川土手沿い→稲城大橋→東郷寺→武蔵国府八幡宮→大国魂神社→府中駅までの12、5kmを走破した。

 昔は奥深い谷戸だった上谷戸(かさやと)は、上谷戸地区の中央を流れる上谷戸川の周辺を自然観察や水遊びができる親水公園として平成17年に生まれ変わった。上谷戸川の清流を生かしてホタルの育成をおこなっており、平成20年から6月上旬にホタル観賞会が開催されているという。
 上谷戸川は鶴川街道付近で三沢川に合流し、やがて稲田堤付近で多摩川に注いでいる。

 ところで、上谷戸の「上」を何で「かさ」と読むのだろう?
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by chibi-papa | 2010-12-18 23:59  

22・12・12 中山法華経寺

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山門(仁王門)

 法華経寺は日蓮上人が最初に開いた寺で、立正安国論を著した1260年(鎌倉中期)に創建された。中山法華経寺は市川市中山にあるので付いた通称で、正式には「諸法華宗の頂上」という意味の「法華経寺」である。日蓮自筆の「立正安国論」、「観心本尊抄」(共に国宝)などを所蔵している。
 仁王門には山号の「正中山」の額が浮かび上がっている。

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五重塔

 江戸初期の1622年、加賀藩主・前田利光公の寄進によって建立された五重塔には釈迦如来と多宝如来の座像が納められているという。
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by chibi-papa | 2010-12-12 18:44  

♪ 49 野菊 22・12・11

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薄紫の野菊

 うす紫の野菊が咲いているよ。そうだ、パパの好きな ♪ 野菊 を歌おうよ!

 旋律が美しい。それに歌詞がいいね。


♪ 野菊
[作詞] 石森 延男 [作曲]下総 皖一(しもふさ かんいち)
一、
遠い山から 吹いて来る
小寒い風に 揺れながら
気高く(けだかく)清く 匂う花
綺麗な野菊 薄紫よ

二、
秋の日差しを 浴びて飛ぶ
蜻蛉を軽く(かろく) 休ませて
静かに咲いた 野辺の花
優しい野菊 薄紫よ

三、
霜が降りても 負けないで
野原や山に 群れて咲き
秋の名残りを 惜しむ花
明るい野菊 薄紫よ


 昭和17年、歌詞が戦意発揚に役立たない軟弱だと陸軍に批判された石森延男は堂々と、大和魂には荒魂(あらたま)と和魂(にぎみたま)があって、雨や日光の恵みといった神の優しく平和的な側面(和魂)があってこそ、国威は発揚される、と論じて一歩も引かなかったという。
 戦後、この歌がうたわれなくなったことに石森は色紙に 『 菊の花が咲き出した その香り取り戻したい 』 と書いた。

 チビ! さあ、もう一度歌おう!

 ♪ 遠い山から 吹いて来る こさむい風に 揺れながら
  気高く 清く 匂う花 綺麗な野菊 うす紫よ~


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世田谷区北烏山上空にケムトレイルか?

 神の優しさに浸っているところに、何と無粋なケムトレイルが・・・

 これは飛行機雲とは違うようだ。飛行機雲はコントレイル(condensation trail)といって、主に水蒸気なのですぐに消えてしまうが、これはなかなか消えない。帯状に広がり始めた。ケムトレイル(chemical trail)だ!
 地球温暖化対策目的で太陽の光を遮るためと言っているが、実はウイルスとかアルミニウムとかバリウムなどの化学物質をばら撒いているらしい。
 いったい誰が何の目的で撒いているんだろう。そしてなぜ報道されないんだろう。なぜ取り締まらないんだろう。高速機は高高度の成層圏あたりを飛んでいるらしい。そこは米軍制圧領域とされていて入り込めない領域なのか。


 もう一機が来て、同じようにばら撒いてる。既にばら撒かれたケムトレイルが帯状になったのが何本かある。これでは何も知らされないまま変な空気を吸ってしまう。どんな理由であれ、意図的な大気汚染を許してはならない!

ケムトレイルが撒かれた後、綿みたいなナノテクノファイバーが降ってくることがあるらしい。それに触るとそれが皮膚にめり込んで抜けなくなってしまうという(Morgellons Disease、モルジェロンズ病)
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by chibi-papa | 2010-12-11 23:59 | チビの愛唱歌  

三番瀬 22・12・05

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三番瀬(さんばんぜ)

 京葉線・二俣新町駅で下車。そこから船橋三番瀬海浜公園まで歩くこと30分。午前10時、広大な干潟がドンドン浮かび上がり リップマーク(波の紋)が続く。葛西臨海公園の観覧車の先に富士山がぼんやりと見える。船橋航路や市川航路があって、すぐ近くを船が行き来している。五井あたりなのだろうか、大きな貨物船が並んでいる。
 潮の匂いに包まれながら歩く干潟。足元をよ~く見ると軟体動物のアメフラシがかたまっていたり、身がついている牡蠣があったり。アッ!ナミマカシワ(波間柏)の貝殻を見~っけ。これでパパに首飾りを作ってもらおうっと。
 今日は大潮なので干満の差が大きい。11時半頃にはもうドンドン潮が入ってきたので、防波堤に上がってお昼にした。


 湾が荒れたのかニャ~、大量のマテガイ(馬刀貝)やアオサ(海苔)が浜に打ち上げられている。何と言っても三番瀬は野鳥の宝庫。スズガモ(鈴鴨)やハマシギ(浜鴫)それにミヤコドリ(都鳥)がイル、いる、居る!スズガモの群の中になぜかビロードキンクロ(天鵞絨金黒)が一羽、ボス顔してふんぞり返っている。

 三番瀬は魚の産卵場であり、魚の揺り籠でもある。スズキ(鱸)やカレイ(鰈)などが漁獲され、スズキは船橋漁港に千トンも水揚げされるというから驚きだニャ~!これも三番瀬を残して置いたお陰で、江戸前の魚が今でも食べられる。ラムサール条約登録に向けた動きがあるようだけど、いろいろ懸念があって未だ実現していない。登録されたらここまで干潟に入ってこられなくなるかもしれないニャ。

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フーテンの寅

 帰りは京成バスに乗った。終点の京成船橋駅前まで乗った。そこから京成電車で柴又に寄った。柴又駅前ではフーテンの寅さんがお出迎え。

・ ねえ、寅さん。帝釈天の他に隠れた見どころはな~い?
・ チビちゃん、八幡神社に行ってみなよ。古墳の石室があるよ。9年前、そこから人型埴輪が出土してね、それがさ~帽子をかぶっていて、おいらに似ているっていうんで話題になっているんだ。名付けて「寅さん埴輪」。
「郷土と天文の博物館」に展示されているからそこにはないけど、「寅さん記念館」に行けばレプリカがあるよ。
・ 寅さん。ありがとう。
・ 八幡神社はそこの踏切を渡ってすぐだからね。


 「寅さん埴輪」が出土したのは平成13年8月4日。それは奇しくも寅さんの5年目の命日だった。
渥美清(本名:田所康雄):昭和3年(1928)3月10日~平成8年(1996)8月4日。享年68。

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柴又八幡神社・古墳のモニュメント
 
 賑やかさがうそのように境内は静まりかえっている。いるのは烏が一羽。本殿の裏に石室がある。島俣塚とある。養老5年(721)の戸籍に下総国葛飾郡大島郷島俣の記録がある。島俣(しままた)のシマがいつしかシバになって柴又となったようだ。
 養老年間というと、養老律令が制定されたり、日本書紀が撰上された頃で、今から1300年も前の奈良時代、この辺りに豪族がいたんだニャ。


 大島郷戸籍に刀良(とら)と佐久良売(さくらめ、売は女性の意)という名前が出てくる。山田洋次監督はそれを知っていて、主人公(フーテンの寅)とヒロイン(さくら)の名前を決めたのかニャ~。それとも偶然なのか?帰りにフーテンの寅さんに聞いてみよっと。
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by chibi-papa | 2010-12-05 23:59