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京王沿線Walking 16 (225) 22・5・15

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牟礼下本宿児童遊園

 「玉川上水と蘆花恒春園の新緑を楽しむ」として井ノ頭線・高井戸駅から第六天神社→御嶽神社→牟礼(むれ)下本宿児童遊園→中川(三鷹用水)遊歩道→水無川→粕谷村地蔵尊→都立蘆花恒春園→京王線・桜上水駅までの11、5kmを歩いた。

 牟礼下本宿児童遊園に咲く菖蒲。この先にある三鷹台団地南口の信号機の所から中川遊歩道に入る。南下して中央自動車道路をくぐると三鷹市から世田谷区に変わる。すると続きは水無川の遊歩道になる。

 水無川の由来は現:北烏山8丁目や現:三鷹市北野の湧水と雨水を水源としていたので、雨季以外は流れが細り、いつしか「水の無い川」→水無川と呼ばれるようになったという。その水無川沿いに帯状に広がっていた水田は水無田圃(みずなしたんぼ)と呼ばれ、第4代将軍・徳川家綱の時代の検地帳にも書かれている。
 その百年後の1774年、第10代将軍・徳川家治の時代になると、玉川上水・牟礼分水(取水口は現:下連雀1丁目の蛍橋付近)が開設されると稲作期のみ通水され、牟礼地区の水田を潤したあと、水無川に流れ落ちるようになったという。

 昭和50年代以降は下水道整備が進み水無川も暗渠(あんきょ)となり、川が存在していたことが忘れかけられた。

 京王線・烏山駅付近の線路を越え、上祖師谷1丁目のバス停(南水無)に水無川の記憶が残っている。粕谷図書館で水無川と別れ、粕谷村地蔵尊(この辺りで品川用水は水無川を築樋で越えていた)、やっと蘆花恒春園正門に辿り着いた。

水無川は希望丘公園で烏山川に合流し、さらに池尻3丁目で北沢川と合流して目黒川となり、品川で東京湾に注いでいる。

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蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)

 蘆花恒春園正門の右手に竹林がある。筍がこんなに大きくなっている。蘆花記念館を見学、徳富蘆花(小説家 明治元年~昭和2年 享年58)の旧宅を覗いたりして園内を散策。お昼も食べたし・・・ウトウトzzz・・・
 エッ!ゴールはまだ2キロも先だって!

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by chibi-papa | 2010-05-15 02:07 | チビのお出かけ  

全生庵 (224) 22・05・02 

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根津神社の躑躅

 まずは、根津神社の躑躅(つつじ)を愛でてから、「へび道」を通って全生庵(ぜんしょうあん)へ向かった。「へび道」は地図を見ても波打っているのが分かるぐらい蛇のようにクネクネしている。今は暗渠になっているが、もともとは藍染川が流れていて不忍池に注いでいた。その「へび道」が文京区と台東区の区境になっている。
 「へび道」が団子坂通りと交差している所にかつて枇杷橋(びわばし)が架かっていた。枇杷橋跡から200mほど谷中霊園の方に行った所に全生庵がある。そこに剣・禅・書を極めた山岡鉄舟が眠っている。


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全生庵・山岡鉄舟の墓

 山岡鉄舟(1836年~1888年)江戸は本所の生まれの幕臣で、身長188センチ、体重105キロと大柄な体格であった。
 1868年(慶応4年)2月11日の江戸城重臣会議において、第15代将軍・德川慶喜は恭順の意を表し、勝海舟に全権を委ねた。慶喜は上野寛永寺に籠り謹慎。海舟はこのような状況を征討大総督府参謀の西郷隆盛に伝えるため、山岡鉄舟を使者とした。
 翌3月9日、官軍が駐留している駿府に 「朝敵德川慶喜家来、山岡鉄舟まかり通る」 と堂々と単身で乗り込み西郷隆盛と面会する。さらに3月13日、14日の勝海舟と西郷隆盛の江戸城開城の最終会談にも立ち会った。


 明治維新後は慶喜に代わって德川宗家を相続した家達(いえさと)に従い駿府に下るも、明治4年(1871)、廃藩置県に伴い新政府に出仕し、侍従役として明治天皇(大室寅之祐)に仕える。

明治維新時の年齢
・勝  海舟(1823~1899)明治維新時44歳、享年75
・山岡鉄舟(1836~1888)明治維新時31歳、享年52
・西郷隆盛(1828~1877)明治維新時39歳、享年49
・德川慶喜(1837~1913)明治維新時30歳、享年76
・德川家達(1863~1940)明治維新時 4歳、享年76
・明治天皇(1852~1912)明治維新時15歳、享年59

明治天皇と山岡鉄舟
明治天皇が即位したのは14歳だった。この時点では神輿に担ぎあげられた状態だったが、そのまま官僚の操り人形で終わらなかった。それは山岡鉄舟が侍従役を引き受けたことが大きい。維新が一段落ついた頃、西郷隆盛から気骨溢れる山岡鉄舟に、明治天皇の側近になって欲しいとの依頼があった。
それに対して山岡鉄舟は、宮内省の役職には就かず一個人として天皇に仕える事、期間を10年に限る事を条件に引き受けた。
ある日、明治天皇の行動について大いに諌めたことがある。それに対して明治天皇は詫びを入れた。それを切っ掛けに態度が一変し、新しい日本の君主としての自覚を身に付けていかれたという。

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全生庵・国事殉難志士の墓

 山岡鉄舟は明治16年、維新に殉じた人々の菩提を弔うため全生庵を建立し、国難にあたって一身を投げ打った志士を祀った。

 亡くなる3年前に無刀流の開祖となる。明治21年、皇居に向かって座禅を組んだまま絶命。かつて西郷隆盛をして 「カネもいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」 と賞賛させた。享年52。

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全生庵・弘田龍太郎の墓

 弘田龍太郎(明治25年~昭和27年、享年60)作曲家。代表作に「鯉のぼり 」「浜千鳥」 「叱られて」 「春よこい」 「靴が鳴る」など多数。「十五夜お月さん」の本居長世(もとおり ながよ)に師事した。

本居長世については平成17年2月26日のチビの愛唱歌 ♪ 6 を見てね。

 五月の連休の良き日に、弘田先生の墓前で ♪ 鯉のぼり を元気よく歌いま~す。イチ、ニ、サン。ハイ!

♪ 鯉のぼり
[作詞] 不詳  [作曲] 弘田龍太郎  (大正3年)
一、
(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)
(たちばな)香る 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり
  
二、
(ひら)ける広き 其(そ)の口に
舟をも呑まん 様(さま)見えて
豊かに振るう 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ 姿あり

三、
百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
(たちま)ち龍に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)
空に躍るや 鯉のぼり


 男の子が誕生したことを天の神に告げ、「この子を守ってください」と守護を願って目印にしたものが鯉幟(こいのぼり)で、江戸時代には武家に男児が誕生すると、玄関の前に馬印(うまじるし、戦場で武将が自らの存在を誇示するために用いた目印)や旗指物(はたさしもの、家紋を印した旗)を立てて祝う習慣があり、それが広まっていった。

 一番の歌詞は、瓦葺(かわらぶき)の屋根が波のように続いている。空には雲が波打っている。その中を朝風に吹かれて颯爽と鯉幟が泳いでいる。という叙景歌。
 三番の歌詞は「竜門の滝を登った鯉は竜となって天に昇る」という故事からきている(この故事は「登竜門(とうりゅうもん)」という熟語にもなっている)。黄河上流に竜門と呼ばれる急流があってそれを登ることができた鯉だけが竜になったという。この「鯉変じて竜となる」が男子の栄達(えいたつ、立身出世すること)を願う武家社会にマッチしたのであろう。


男子(おのこご) : 成年の男子、男らしい男のこと。

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谷中霊園・德川慶喜公墓所

 将軍でなくなってから45年間の德川慶喜はどうだったのであろうか。明治2年(1869)9月、戊辰戦争の終結を受けて謹慎を解除され、引き続き、駿府改め静岡に居住した。政治的野心は全く持たず、写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲など趣味に没頭する生活を送った。

 明治30年(1897)に東京・巣鴨に移り住む。翌年には皇居となった旧江戸城に参内(さんだい)して明治天皇に拝謁(はいえつ)もしている。
 明治35年(1902)には公爵に叙せられ、德川宗家とは別に德川慶喜家を興し、貴族院議員にも就いて、35年ぶりに政治に携わることになった。
 明治43年(1910)、慶久に家督を譲って貴族院議員を辞し、隠居。再び趣味に没頭する生活を送る。

 大正2年(1913)、感冒にて死去。享年76。終焉の地は小石川第六天町(文京区春日2丁目8番地)。慶喜公の墓所は神式で門の中の正面には事蹟顕彰碑(じせきけんしょうひ)があり、その奥の左側の円墳が慶喜の墓で、右側のが夫人のもの。


德川慶喜家
・初代 德川慶喜(よしのぶ、1837~1913)曾祖父
・二代 德川慶久(よしひさ、1884~1922) 祖父
・三代 德川慶光(よしみつ、1913~1993)  父
・四代 德川慶朝(よしとも、1950~     )現当主

慶喜公の墓所が神式の訳
 朝敵とされた自分を赦免したうえ、華族の最高位である公爵を親授した明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀を仏式ではなく神式で行うよう遺言した。このため、慶喜の墓だけは徳川家の菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、谷中霊園となった。墓所には皇族のそれと同じような円墳が建てられた。これは第121代・孝明天皇の陵墓が質素であることに習ったとある。
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by chibi-papa | 2010-05-02 23:00 | チビのお出かけ