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悪業消しに円応寺(181) 21・01・31

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East i-E 3両編成

 大船駅に東海道線とほぼ同時に不思議な列車が滑り込んできた。横須賀線に乗り換えるためホームを移ったら、隣のホームにその得体の知れない列車が止まったままになっている。
 鉄道マニアがさかんにカメラに収めている。こちらも横須賀線を待っている間にパチリ。


低い先頭車両には信号・通信関係の測定機器が搭載されている。パンタグラフは集電用でなく測定用。

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2両目

 East i-E は在来線電化区間用交直流検測車で、今までは別個におこなっていた軌道測定と通信・電力測定を一度にできるという優れもの。それにしても何とも不思議な形をしているニャ~。

検測車にはこの他、在来線非電化区間用ディーゼル検測車と新幹線検測車がある。 

2両目は電力関係の測定機器を搭載している。屋根には観測用ドームや投光機が、そして車端には脱線係数を測定するためPQ軸が装備されている。輪重(P)と横圧(Q)の比率Q/Pが大きくなると脱線する確率が増加するので0.8以下に抑えるようにしている。

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3両目

 East i-E は「イースト アイ・ダッシュ・イー」と読む。
・ East はJR東日本の「東」。
・ i は intelligent 「情報処理機能が高い」、 integrated 「統合された」、 inspection 「検査」の iで3つの意味を込めたi 。
・ -E は「電化区間」の意味。
・ すなわち、East i-Eは、JR東日本が誇る高度に情報処理機能が統合された検測車(電化区間用)ということ。こういった検測車によって列車運行の安全性が支えられているんだニャ。


電化されていない所はディーゼル車で検測するので、-Eが-Dになる。 

3両目には軌道関係の測定機器が搭載されている。測定用パンタグラフと架線測定装置、台車には軌道測定用の測定枠が装備されている。

安全意識に問題あり : このように優れたが検測車が活躍している一方、旧国鉄時代の1978年(昭和53年)に製造された軌道検測車を、JR北海道とJR九州では今でも稼働している。

マニア物 偶然見つけ 得したニャ あやかりたいニャ インテリジェント  (チビ)

 一つ目の北鎌倉駅で下車。閻魔大王がいる円応寺は建長寺の近く。

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円応寺(山ノ内地区)

今、閻魔大王に懺悔して薄暗いお堂(閻魔堂)から出てきたことろなんだ。悪業が消えてすっきりしたニャ~!

 (ボクの懺悔文
 「ボクは知らず知らずのうちに悪業をおこなっているかもしれない。それはボクの中に貪・瞋・痴の三毒があるからに違いない。身・口・意の三業によって生ずる悪業の全てを閻魔大王の御前にて懺悔し、善業に努め、飼い主の許で有意義な猫の一生を送っていくことをここにお誓いいたします。」 これを三度唱える 平成21年1月31日 チビ

 (パパの懺悔文
 「 我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
  従身口意之所生 一切我今皆懺悔 」

  これを三度唱える 平成21年1月31日 パパ

 閻魔様 悪業消しに 又来るニャ 日々磨くニャ 浄玻璃の鏡 (チビ)

貪・瞋・痴(とん・じん・ち) : 煩悩を毒に例えたもの。貪はむさぼり求めること。瞋は怒りの心。痴は真理に対する無知の心。

JR北海道もJR九州も、閻魔大王の前に進み出て、安全意識を高めることを誓ってもらいたい。ハインリッヒの法則によると、1つの事故の背後には29件の軽微な事故があり、その背景には300の異常(ヒヤリハット)が存在するという。

 鎌倉街道をちょっと戻って亀ヶ谷坂(かめがやつさか、急坂で亀も引き返したという)切通しを行く。この切通しは山ノ内地区と扇ヶ谷地区を結んでいる。地区の名は山内上杉家と扇谷上杉家からきている。

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岩船地蔵堂(扇ヶ谷地区)

 扇ヶ谷地区に入る。岩船地蔵堂に来ると大姫の哀れさを思わざるを得ない。結婚という名の人質として木曽義仲(源義仲)の子・義高(11歳)を鎌倉に取った。そして1年も経たないうちに木曽義仲を滅ぼした。そこで源頼朝は将来の禍根を断つべく義高の斬殺を命じた。

 ここに源頼朝の誤算が生じた。人質だったはずの義高を5、6歳の大姫は兄のように慕っていたのであった。大姫は嘆き悲しみ病に臥してしまう。母の北条政子はこうなったのも義高を討った家臣の不始末のせいだと騒ぎ出した。これに慌てた源頼朝は手柄をたてたはずの家臣を晒し首にしてしまった。
 さらに、北条政子が木曽義仲の妹(宮菊)の後見人となって、鎌倉に呼んでは手厚くもてなしたり、義高の供養塔を建てたりして大姫をなだめるが、大姫の義高への想いはますます募るばかり。そして1194年、満19歳の若さで亡くなってしまったのでした。


曲がり角 哀れをさそう 地蔵堂 大姫が逝き 乙姫も逝く (チビ)

冷静の つもりが誤算 二人して 政子おろおろ 頼朝おろろ  (チビ)

 乙姫は大姫が亡くなった2年後に13歳で亡くなった。第2代将軍・源頼家は1204年、21歳で亡くなり、第3代将軍・源実朝は1219年、26歳で亡くなった。源頼朝が征夷大将軍になって(1192年)から三十年も持たずして、源の血筋は途絶えた。

貞暁(さだぎょう) : 貞暁も源頼朝の子であるが、大姫、頼家、乙姫、実朝とは異母兄弟。母は北条政子ではない。7歳で出家。源氏一族が権力闘争の中で次々と命を落としていく中で、世間と隔絶した世界で修行に励んでいった。1231年、高野山で死去。享年46。

平成17年4月17日の チビのお出かけ 13 も見てね。

 岩船地蔵堂を右に折れ、横須賀線のガードを潜って300メートルほど行くと海蔵寺がある。

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海蔵寺(扇ヶ谷地区)

 静かなお寺さん。こんなところでうつらうつらするのもいい。水の音が後ろから聞こえてくる。朝方まで雨が強かったせいだニャ。

 水仙が咲いている。水仙は学名“ナルシサス”という。“ナルシサス”はギリシャ神話の美少年の名で、泉に映った自分の姿にうっとりして毎日見つめ続けていたらいつのまにか花になってしまったという。その花が水仙というわけ。そして、ナルシスト(自己陶酔者)はそこから派生した言葉。


 鶴岡八幡宮に向かう途中、扇ヶ谷2丁目で「扇谷上杉管領屋敷跡」の石碑を見つけた。

・・・今年のキーワードは 『 解 』 ・・・
(チビの日記!!チビのお出かけ181)
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by chibi-papa | 2009-01-31 17:32 | チビのお出かけ  

(180) 21・01・17 京王沿線Walking 6

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玉川上水緑道

 久しぶりに京王沿線ウォーキングに参加した。今回は、武蔵野の冬と烏山寺町を訪ねて 久我山駅をスタート、井ノ頭恩賜公園→山本有三記念館→玉川上水緑道→牟礼ノ里公園→大盛寺別院→高源院→医王寺そして八幡山駅までの11、5キロメートル。

 「 真っ直ぐお進みくださ~い 」 「 ちょっと狭いので気をつけてくださ~い 」 道案内を買って出る。右は玉川上水。
 牟礼ノ里(むれのさと)公園で小休止。1本だけ梅が満開。なんか得をした感じ。来てよかったニャ~!


山本有三記念館については平成18年9月3日の チビのお出かけ 71 を見てね。
玉川上水については平成19年4月1日の チビのお出かけ 103 を見てね。

 三鷹市牟礼にある大盛寺別院には、童謡 「赤とんぼ」 を作詞した三木露風(みき ろふう、明治22年~昭和39年)が眠っている。享年75。
 この詩は三木が7歳のとき実家に帰ってしまった母への慕情と、故郷の播磨平野への思いを馳せて、三木自身が子守に背負われて見た風景を歌っている。

♪赤とんぼ 〔作詞〕三木露風 〔作曲〕山田耕筰
一、
夕焼 小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
二、
山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだのは 幻か
三、
十五でねえやは 嫁に行き
お里の便りも 絶え果てた
四、
夕焼 小焼の 赤とんぼ
止まっているよ 竿の先


歌詞の訳
・(4番の歌詞) 中年になった私(三木露風)がトラピスト修道院の窓から見ていると、竿の先に赤トンボが止まっている。眺めていると幼い頃の記憶が次々と甦ってくる。
・(1番の歌詞) たぶん子守りの姐や(ねえや、下女のこと)におんぶされて赤トンボを見たことがあったが、あれはいつのことだったろうか。
・(2番の歌詞) 山の畑で桑の実を摘んだことがあったような気がするが、あれは夢だったのだろうか。
・(3番の歌詞) 姐やはずいぶん若くして嫁に行ってしまったなぁ。いつしか私の実家との繋がりも途切れてしまい、私は預けられた親戚の家で独りぼっちでいたなぁ。

 いよいよ26の寺院が並ぶ烏山寺町に入る。大正12年(1923)の関東大震災の後、下町で焼け出された22の寺院が集団移動してきたのが始まり。世田谷の小京都と呼ばれている。

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高源院

 「 小鴨ったら、こんな格好して泳いでいるニャ~ 」
 ここは高源院の鴨池。小鴨がシベリアから越冬のため ここに飛来して来るから鴨池。

 この寺はその昔、品川湊(北品川1丁目)の近くにあった。暫く無住であったが昭和11年に復興計画を立て、品川湊に流れる目黒川、そしてさらに上流の烏山川の源流のこの地に移転してきた。湧出する箇所を掘って池にし、その中央に弁財天を奉安した。
 開基は久留米藩4代藩主・有馬頼元(ありま よりもと、1654~1705)。頼元は祥雲寺(赤坂溜池から広尾に移転)の怡渓和尚(いけい おしょう)を慕い仏道に帰依し、久留米に東林寺を、江戸は品川に高源院を建立した。時は第5代将軍・徳川綱吉の治世のころであった。


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医王寺

 834年(平安時代初期)に弘法大師が東国を巡行した際に彫った薬師如来像を、ある和尚がこの上高井戸に草庵を建て本尊として安置したといわれている。「眼病に効く薬師さま」 ということで、チビのお目目もパッチリ。
 元は甲州街道と旧 人見街道(古 府中道)が交差する辺りにあったが、明治の初め廃寺となり本堂は高泉学校(現 高井戸小学校)として使用された。そして関東大震災(大正12年)の翌年に今の場所に再興された。


 ゴールの八幡山駅まであともう少し。

人見街道については平成20年2月11日の チビのお出かけ 142 を見てね。

 ・・・今年のキーワードは 『 解 』 ・・・
(チビの日記!!チビのお出かけ 180 )
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by chibi-papa | 2009-01-17 18:23 | チビのお出かけ  

(179) 21・01・10 “大白鳥” や~い

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オオハクチョウはどこ?

 4羽(成鳥2羽、幼鳥2羽)のオオハクチョウが石神井池(しゃくじい いけ)に飛来したとのニュースが流れた。東京にまでオオハクチョウが飛んで来るのは非常に珍しい。そこで午後、観に出かけた。

 石神井池の方にはいないニャ~。三宝寺池に移動したのかニャ~。オオハクチョウはどこ?どこ?どこにいるの?


三宝寺池 : 井ノ頭池、善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られている。今でも武蔵野台地からの地下水が湧き出ている。

石神井池 : 三宝寺池からの水路を昭和8年(1933)に人工的に堰き止めて池としたもの。ボート池。

石神井公園 : この2つの池を中心とした風致地区。三宝寺池の水量が減ったため、現在は浄化したうえで循環させていて、普段は石神井川へ接続していない。

石神井公園駅 : 西武池袋線は立体化を進めていて、既に石神井公園駅の手前まで完成している。石神井公園駅は現在、改良工事中。
昨年6月に開業した副都心線と相互乗り入れしていて、小竹向原駅経由で渋谷駅まで直通運転となっている。ただし、桜台駅・小竹向原駅間(2、6キロ)は西武鉄道(西武有楽町線)で、東京メトロとの間には連絡運輸による割引がない。
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オオハクチョウはどこかに飛び去った

 三宝寺池の隅から隅まで捜したがどこにもいない。今日の昼過ぎ、どこかへ飛び立ってしまったという。残念!
 
 オオハクチョウはシベリアやオホーツク海沿岸で繁殖し、越冬するために北海道や東北地方にやって来る。去年、新潟県阿賀野市の瓢湖(ひょうこ)がラムサール条約の登録湿地に登録された。
 それがどうして東京にまで南下して来たのだろ~。そして、南下し過ぎたのに気がついて戻っちゃったのかニャ~?それとも野次馬が多くてびっくりしちゃったのかな?ボクは野次猫かな?


渡り鳥 : 繁殖地と遠く離れた越冬地の間を定期的に往復する鳥。春夏に繁殖するか、越冬するか、通過するかにより、冬鳥、夏鳥、旅鳥に分ける。
夏 鳥 : 南方から日本に渡来して繁殖して雛を育て、秋に南方の越冬地に去る渡り鳥。燕、時鳥(ホトトギス)、郭公(カッコウ)、鷺(さぎ)、水鶏(くいな)、葦雀(よしきり)、仏法僧(ぶっぽうそう)、駒鳥(こまどり)など
冬 鳥 : 北方から日本に渡来して越冬し、春に北方に去ってそこで繁殖する渡り鳥。雁、尾長鴨(おなががも)、金黒羽白(きんくろはじろ)、鶫(つぐみ)、白鳥、隼、鶴、ツリスガラなど
旅 鳥 : 繁殖地と越冬地の間を往復する途中一時的に生活するが、繁殖も越冬も日本でしないで通過する渡り鳥。鴫(しぎ)、連雀(れんじゃく)など 

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石神井城跡

 オオハクチョウには会えなかったけれど、三宝寺池の脇に石神井城跡の石碑を見つけた。かつて、豊島氏の居城は三宝寺池と石神井川に挟まれた台地に築かれていた。
 豊島氏は平安時代末期から練馬城と石神井城(練馬区)それに平塚城(北区)を中心に大きな勢力を持っていた。しかし室町時代後期、石神井城は太田道灌に攻められて落城し、その後は廃城になった。

 
 関東管領勢(かんとう かんれい ぜい)と古河公方勢(こが くぼう ぜい)との抗争において、豊島氏は古河公方勢と手を結んだことにより、江戸城・川越城(共に1457年築城)を拠点とする関東管領勢の太田道灌にとっては、豊島氏の石神井城と練馬城の存在によって江戸城と川越城の間の連絡が絶たれるという事態となってしまった。
 それを打開すべく太田道灌は、江古田・沼袋原ノ戦い(えごた ぬまぶくろはら ノ たたかい、1477年)で豊島氏を撃破、そのまま練馬城と石神井城を攻め落とした。


 翌年、豊島氏は平塚城から再挙したが、太田道灌に平塚城も攻め落とされてしまった。そこで、豊島氏は横浜市港北区の小机城に逃げ込んだが、追っ手に小机城を包囲され落城した。
 ここに豊島氏は滅亡。その4年後の1482年には関東管領と古河公方は和議を結び、三拾年間に及んだ関東ノ争乱は終結した。


 それから六拾年後の1546年、台頭してきた後北条氏(小田原北条氏) に古河公方・関東管領連合軍は川越夜戦でまさかの敗北を喫してしまう。1560年、時の関東管領は長尾影虎(ながお かげとら、後の上杉謙信)に出兵を要請(その翌年には上杉氏の家督と関東管領の位を譲渡される)。謙信が雪深い越後で関東地方のことを気にかけているシーンが、大河ドラマ「天地人」第2回(平成21年1月11日)に出てくる。

関東管領(かんとうかんれい) : 室町幕府が設置した鎌倉府の鎌倉公方を補佐するために設置した役職名で、代々 上杉氏が世襲した。鎌倉公方の下部組織でありながら、任命権は将軍にあった。
 
古河公方(こがくぼう) : 1455年、当時の鎌倉公方が鎌倉を離れ、下総国古河を座所とした。関東足利氏。(古河市は茨城県の最西端に位置するが、旧国界では下野国でなく下総国に含まれている)

豊島氏の石神井城、練馬城、平塚城はいずれも石神井川流域にあり、直線距離にして石神井城・練馬城間5キロ、練馬城・平塚城間9キロ。
練馬城は現在、遊園地・豊島園になっている。平塚城は上中里駅近くの平塚神社辺り(武蔵国・豊島郡の郡役所辺り)にあった。平塚神社の境内社には豊島氏を祀った豊島神社がある。

豊島氏の哀話は平成16年9月11日の チビのお出かけ 5 を見てね。

豊島氏の一族・赤塚氏の居城・赤塚城は平成18年12月16日の チビのお出かけ 91 を見てね。

豊島氏が古河公方勢についたのは、豊島氏の領域近辺に太田道灌が江戸城を築き、豊島氏の権益を脅かしたため。

江戸城の変遷は平成20年11月3日の チビのお出かけ 174 を見てね。(江戸氏4代?→太田道灌→小田原北条氏5代→徳川氏15代→大室氏4代)

 ・・・今年のキーワードは 『 解 』 ・・・
(チビの日記!!チビのお出かけ 179 ) 
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by chibi-papa | 2009-01-10 17:26 | チビのお出かけ  

富士塚登拝(品川富士)(178) 21・01・03

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登拝道入り口

 品川富士は江戸時代の築造でなく、明治2年(1869)に造られた。その後、第一京浜国道の新設と拡幅のため数十メートル移動したとのこと。
 登拝(とうはい)の無事を祈願してレッツゴー!でも、変だニャ~?猿田彦神社とある。富士塚には浅間神社と相場が決まっているのに???
 登拝口には石碑と1合目の標識が立っている。


浅間神社(せんげん じんじゃ) : 「あさま」は火山とか熔岩を意味する古語。総本宮は富士宮市にある富士山本宮浅間大社。富士塚は富士山信仰と結びついているので浅間神社がつきもの。祭神は此花咲耶姫。

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五合目

 階段を登ると、五合目は踊り場になっている。五合目の標識の上に乗って、ハイ ポーズ。
 山頂が見える。ここから先は熔岩に囲まれた険しい登拝道を登る。ヤッホ~!


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高さ15メートルの頂上

 見晴らしがいい。ここで木花咲耶姫(このはなの さくやびめ)に獅子舞を奉納しようとするが、頂上には国旗掲揚台があるだけで、此花咲耶姫がいない。咲耶姫~!姫~~!
 ちょっと下を覗くと祠(ほこら)がある。立ち入りできないので確認できないが、そこに此花咲耶姫(富士山を鎮め守る神)が祀られているものと解釈して、ここで華麗なる獅子舞を奉納した。


お正月の富士塚登拝
・平成18年1月3日 成子富士(西新宿8丁目) チビのお出かけ33
・平成19年1月3日 鳩森富士(千駄ヶ谷1丁目) チビのお出かけ94
・平成20年1月3日 音羽富士(大塚5丁目) チビのお出かけ136
・平成21年1月3日 品川富士 今年の富士塚登拝

 もう一本の登拝道から下山すると、そこに浅間神社があった。浅間神社は品川神社の摂社(せっしゃ、本社に付属した神社)になっている。

浅間神社の脇に蛙の親子の「ぶじかえる像」(無事 富士 帰る 蛙)がある。19年6月30日の チビの愛唱歌 ♪29 を見てね。

・・・今年のキーワードは 『解』 ・・・
(チビの日記!!チビのお出かけ 178 )
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by chibi-papa | 2009-01-03 00:00 | チビのお出かけ  

♪40 二宮金次郎 21・01・02

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『音もなく香(か)もなく 常に天地(あめつち)は書かざる経を繰り返しつつ』
と 書きとめている金次郎
(善栄寺)

 音とは読経する僧の声、香とはお線香の香り、書かざる経とは文字になっていないお経のことで、「天地(宇宙)の大きな力は、読経の声もなくお線香の香りもないが、文字に書いていないお経を毎日我々に届けてくれている」

 酒匂川(さかわがわ)の氾濫にあって一家離散(母は1年前、父は3年前に没)した金次郎は、伯父の家に居候していた(13歳と4歳の弟は母の実家へ)16歳の頃、一日の仕事を終えてから夜遅くまで書物を読んでいたら、行灯(あんどん)の油を無駄に使うなと伯父から叱られた

 そこで、友人から菜種一握り(100ミリリットル)を借りて、川の土手に蒔き、それが翌年の春になって12リットル以上の収穫となって、使い切れない程の油ができた。このことを通して 『 積小為大 』 (小を積んで大と為す)という自然界の真理を学んだのであった。 

♪二宮金次郎
(作詞・作曲 不詳、文部省唱歌 明治44年)
一、
柴刈り 縄ない 草鞋(わらじ)をつくり
親の手を助
(す)け 弟(おとと)を世話し
兄弟仲良く孝行つくす
手本は 二宮金次郎

二、
骨身を惜しまず 仕事を励み
夜なべ済まして 手習い読書
(せわ)しい中にも たゆまず学ぶ
手本は 二宮金次郎

三、
家業大事に 費(ついえ)を省き
少しの物をも 粗末にせずに
遂には身を立て 人をも救う
手本は 二宮金次郎


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築250年の生家 (二宮尊徳誕生地)

 金次郎は酒匂川と狩川に挟まれた相模国足柄郡栢山(かやま)村に1787年(没年1856年、享年69)に生まれた江戸時代後期の農政家。この生家は16歳になるまで住んでいた家で、足柄地方の典型的な中流農家(築約250年)である。

 二宮金次郎というと、 「大学」を素読しながら薪(まき)を背負って小田原城下へ売りに行くところの石像を思い浮かべる。そして勤勉努力、倹約の人だとういことで、かつて国定教科書の修身に取り入れられた。
 そのため軍国時代のイメージが残っているせいか、もう過去の人ということであまり関心がないのが現状です。


「大学」は、儒教の基本聖典「四書」(「大学」 「中庸」 「論語」 「孟子」)の一つで、孔子と弟子との問答を通しての「論語」を体系化したもの。

 しかし、二宮尊徳が唱えた「報徳思想」はこれからの時代を切り開いていくうえで重要なのです。チャイナの小学校では教科書で二宮尊徳の名前を出してその考え方を教えている。また、北京大学の日本文化研究所が中心となって国際二宮尊徳思想学会が設立され、大連民族学院には二宮尊徳研究センターが設立されている。
 このように二宮尊徳の考え方は初めて触れる人々には新鮮で優れた教えであると、強い関心がもたれている。

 我々は改めて二宮尊徳に教えを乞わねばならない。二宮尊徳は人間、動植物、自然など万象に 「良さ」 が備わっているとし、その良さをうまく使って人のため、世のために尽くすことが大切と考えた。その 「良さ」 を 「徳」 と呼び 「あらゆるものに徳がそなわっている」 と考えた。


「報徳」の「徳」とはあらゆるものに良さが潜在しているという可能性を指している。「報」とはこれらの「徳」を工夫や努力によって顕在化して経済的・社会的な付加価値を引き出すこと。即ち「報徳」とは徳を以て(もって)徳に報いること。
例えば、藁(わら)の「徳」に工夫を加えて俵や草履を作り出すことが「報」。

 二宮尊徳資料館の前には 「万象具徳」 (ばんしょう ぐとく)の碑がある。

      万象具徳
    (元報徳博物館館長 作)
どんな物にも 良さがある
どんな人にも 良さがある
良さがそれぞれ みな違う
良さがいっぱい 隠れてる
どこか取り柄(とりえ)が あるものだ
物の取り柄を 引き出そう
人の取り柄を 育てよう
自分の取り柄を 捧げよう
取り柄と取り柄が 結ばれて
この世は楽しい 増え世界


・増え世界 : 元館長の造語のようだ。無限の広がりある、と言いたいようだ。
・碑文はどういうわけか、全てひらがなで表記されていて、読みにくい。

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富士山、矢倉岳、小田原城北工業高校、酒匂川

 「♪ 仰げば 富士は 麗しく ~ 」 と城北工高の校歌にも歌われている富士山(3,776m)は雪化粧。

♪富士の山
〔作詞〕 巌谷小波 〔作曲〕 不詳 文部省唱歌 明治44年
一、
頭を雲の 上に出し
四方の山を 見下ろして
雷さまを 下に聞く
富士は 日本一の山
二、
青空高く 聳え立ち
体に雪の きもの着て
霞の裾を 遠く引く
富士は 日本一の山


 富士山の手前に見える矢倉岳。その裏手にある足柄峠。江戸時代には江戸赤坂門から足柄峠を経て沼津宿を結んでいた矢倉沢往還(青山通り、国道246の原型)が東海道の脇往還として機能していた。

 酒匂川(さかわがわ)は丹沢山地と箱根山の間の谷を抜け、足柄平野を南下して小田原市で相模湾に注いでいる。この辺りは河口に近いので、川幅も広くゆったり流れている。

 1842年、老中・水野忠邦によって幕臣に登用され、57歳の時に金次郎改め尊徳(たかのり)と名乗る。
 
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二宮尊徳 座像 (小田原市西大友の新鮮館前)

 経済を忘れた道徳は単なる寝言であるが、道徳を忘れた経済は罪悪である。

 二宮尊徳は合理主義者であると同時に、とても人情家であった。そして、道徳の理論と実践(生きた哲学)、そしてリーダーシップ能力が桁外れだった。

 二宮尊徳の教えを伝える大日本報徳社(掛川市)の門柱には「経済門」、「道徳門」と刻まれているという。

 経済と道徳の二本柱をいかにバランスさせ統合させるかが「一円融合の教え」である。時は今、二宮尊徳の教えを学び、迫り来る恐慌を乗り切ろうではないか!

日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は、二宮尊徳の教えを学び「道徳経済合一説」を唱え実践した。すなわち論語と算盤(そろばん)で、明治から大正初期にかけて多種多様な企業の設立・経営に関わった。

・・・今年のキーワードは 『解』 ・・・
(チビの日記!!チビの愛唱歌 ♪40 )

 
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by chibi-papa | 2009-01-02 20:06 | チビの愛唱歌  

平成21年元旦 謹賀新年

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(渋谷PARCO前にて)

 昨年の9月15日にアメリカの投資銀行・リーマン ブラザーズの破綻に始まった金融危機は半端じゃない。今年は金融恐慌、産業恐慌、生活恐慌が次々と襲い、本当の地獄はこれから始まる。あまりの凄さに世界中が絶句するといわれている。

 我々が目(ま)の当たりにしたのは、新自由主義に基づく市場原理経済の崩壊であって、それはアングロサクソンらによる射幸心を煽った強欲資本主義によるものだった。
 その強欲資本主義の対極にあるのが、二宮尊徳の徳をもって治めるという報徳思想なのである。報徳思想によって時代を切り開いていけば、必ず明るい未来、輝く21世紀がある。


 今までの秩序が壊れる。秩序が壊れるからといってこの世の終わりではない。混沌の後には新しい秩序が生まれてくる。その過程で解体、解散、融解の 『解』 がある。

 こうなったからには二宮尊徳に教えを乞うしかない。一刻も猶予はならぬ、二宮尊徳に会いに行こう!お正月三箇日ぐらいは相模国足柄郡栢山村(さがみのくに あしがらぐん かやまむら)の故郷に帰っているだろう。
 え~っと、小田急線で小田原駅の4つ手前の栢山駅で下車すればいいんだニャ~。



 落ち着きを取り戻したところで、改めまして、

 明けましておめでとうございます。
今年も「チビの日記!!」をよろしくお願いいたします。


 さて、年の始めに文部省唱歌
♪ 一月一日(いちがつ いちじつ)を元気に歌おう。 
〔作詞〕 千家尊福 〔作曲〕 上 真行 (明治26年)
一、
年の始めの 例(ためし)とて
終なき世の めでたさを
松竹立てて 門(かど)ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ

二、
初日の光 明(あき)らけく
            差し出(い)でて
治まる御代の 今朝の空
 四方(よも)に輝く
君が御影(みかげ)に 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊けれ


 天皇賛歌の二番 「初日の光 明らけく 治まる御代の 今朝の空」 は易経(えききょうを出典とした 「聖人南面して天下を聴き に嚮(む)いてむ」 に拠っており、 「明治」 の年号にかけている。ここには、明治天皇の許で歩んでいくことへの強い想いが歌い込まれている。
(その後、大正への改元で、大正2年に 「初日の光 差し出でて 四方に輝く 今朝の空」 に代えられた)

 しかし、今年は 「孝明天皇弑逆事件」 が表に出て、皇統について懸念が生じることになるかもしれない。今上天皇(きんじょう てんのう、現在の天皇陛下のこと)のご心痛を察するにあまりある。

平成17年1月4日の チビの愛唱歌 ♪5 一月一日 も見てね。

弑逆事件については、平成20年11月2日の チビのお出かけ 173 を見てね。

・・・今年のキーワードは 『解』 ・・・
(チビの日記!!チビの時候の挨拶)
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by chibi-papa | 2009-01-01 00:00 | チビの時候のご挨拶