<   2006年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧

 

平成18年(2006) INDEX

・01月01日 時候のご挨拶 謹賀新年
・01月03日 チビのお出かけ 33 富士塚登拝(成子富士)
・01月15日 チビのお出かけ 34 小江戸「川越」
・01月21日 チビの愛唱歌 ♪12 (新宿中央公園)
・02月05日 チビのお出かけ 35 渋谷界隈
・02月12日 チビのお出かけ 36 表参道のランドマーク
・02月25日 チビのお出かけ 37 2・26事件慰霊像
・03月05日 チビのお出かけ 38 羽根木公園で観梅
・03月12日 チビのお出かけ 39 二つある大森貝塚
・03月19日 チビのお出かけ 40 川崎大師
・03月21日 チビのお出かけ 41 大仏ハイキングコース
・03月25日 チビの愛唱歌 ♪13 うみ(太東崎灯台)
・04月01日 チビの愛唱歌 ♪14 (墨田公園)
・04月02日 チビのお出かけ 42 茂原公園の桜
・04月07日 チビの独り言 5 桜丘町のさくら
・04月09日 チビの独り言 6 黄色信号(昭和記念公園)
・04月15日 チビのお出かけ 43 都電でゆっくりと
・04月22日 チビの独り言 7 総中流社会崩壊の戦略
・04月23日 チビの独り言 8 知らしむべからず(東大地震研)
・04月29日 チビのお出かけ 44 築地~門前仲町
・04月30日 チビのお出かけ 45 中浦和~朝霞台
・05月01日 チビのお出かけ 46 東大前~上野広小路
・05月03日 チビのお出かけ 47 松平定信と「寛政ノ改革」
・05月04日 チビのお出かけ 48 飛鳥山~板橋区役所前
・05月05日 チビのお出かけ 49 板橋区役所前~ときわ台
・05月07日 チビのお出かけ 50 平成18年GW総集編
・05月14日 チビのお出かけ 51 松陰神社と豪徳寺
・05月20日 チビのお出かけ 52 吉田松陰と伝馬町処刑場
・05月20日 チビの愛唱歌 ♪15 お富さん(人形町玄冶店)
・05月21日 チビの愛唱歌 ♪16 宮さん宮さん(有栖川公園)
・05月27日 チビのお出かけ 53 谷保天満宮
・06月03日 チビのお出かけ 54 行船公園
・06月04日 チビのお出かけ 55 三軒茶屋~砧公園
・06月10日 チビの愛唱歌 ♪17 湯島の白梅(湯島天神)
・06月10日 チビのお出かけ 56 堀切菖蒲園
・06月11日 チビのお出かけ 57 白山神社の紫陽花
・06月17日 チビの独り言 9 サッカードイツ大会
・06月24日 チビのお出かけ 58 二つの聖堂
・06月25日 チビのお出かけ 59 小岩菖蒲園
・07月01日 チビの愛唱歌 ♪18 飛梅(亀戸天神)
・07月08日 チビのお出かけ 60 「河童」と下町七夕祭り
・07月09日 チビのお出かけ 61 元軍用地に咲く蓮華
・07月15日 チビのお出かけ 62 駒場公園
・07月16日 チビのお出かけ 63 旗艦「三笠」
・07月23日 時候の挨拶 暑中見舞い(六本木ヒルズ毛利庭園)
・07月29日 チビのお出かけ 64 白金高輪~田町
・08月06日 チビのお出かけ 65 高輪大木戸
・08月12日 チビのお出かけ 66 曳舟川親水公園
・08月13日 チビの愛唱歌 ♪19 めんこい仔馬(靖国神社)
・08月14日 チビのお出かけ 67 旧新橋駅と浜離宮
・08月19日 チビのお出かけ 68 等々力渓谷と古墳
・08月20日 チビの愛唱歌 ♪20 池上線(洗足池)
・08月26日 チビのお出かけ 69 多摩川台公園の古墳
・09月02日 チビのお出かけ 70 田園調布駅舎
・09月03日 チビのお出かけ 71 山本有三記念館
・09月09日 チビのお出かけ 72 恵比寿でPC体験
・09月16日 チビのお出かけ 73 金王八幡宮例大祭
・09月17日 チビの独り言 10 布施とは喜びを分かち合うこと
・09月18日 チビのお出かけ 74 舎人線は来年度開業
・09月23日 チビのお出かけ 75 高尾山3号路、6号路
・09月30日 チビのお出かけ 76 柴又、浅草、上野
・10月01日 チビのお出かけ 77 丸ノ内カウパレード
・10月07日 チビの愛唱歌 ♪21 犬のお巡りさん(港区民祭り)
・10月08日 チビのお出かけ 78 愛宕山~増上寺
・10月09日 チビのお出かけ 79 ららぽーと豊洲
・10月14日 チビのお出かけ 80 深大寺蕎麦
・10月15日 チビのお出かけ 81 眠らない街・歌舞伎町
・10月16日 チビの愛唱歌 ♪22 池袋の夜(池袋ロサ会館)
・10月21日 チビのお出かけ 82 深大寺そば祭り
・10月28日 チビのお出かけ 83 そば畑(深大寺城)
・11月03日 チビのお出かけ 84 建長寺
・11月04日 チビのお出かけ 85 湯島天神菊まつり
・11月12日 チビのお出かけ 86 円覚寺と閻魔様
・11月23日 チビの愛唱歌 ♪23 小狐(高幡不動)
・11月26日 チビのお出かけ 87 高尾山4号路、3号路
・12月02日 チビのお出かけ 88 東京空襲犠牲者追悼碑
・12月03日 チビのお出かけ 89 青柳段丘と湧水
・12月09日 チビの愛唱歌 ♪24 わたしの城下町(館山城)
・12月10日 チビのお出かけ 90 安房小湊
・12月16日 チビのお出かけ 91 赤塚城址
・12月23日 チビのお出かけ 92 恵比寿からクリスマス
・12月30日 チビの独り言 11 ダイエットリポート(京葉港)
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by chibi-papa | 2006-12-31 23:59 | 全索引  

ダイエット・リポート2 (独り言11)

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船橋・京葉港の入口にて

 海老川の河口に船橋漁港(京葉港)がある。その先を埋め立てたので東京湾との間はこのように運河のようになっている。遠くに霞むは房総半島。

 今年も残すところ今日と明日。今年もあちこちに行ったな~。パパは移動がずいぶんと楽になったと言っていた。それは、平成17年の1月に6.7kgもあったのが、今は5.2kgになったからなんだ。
 ダイエットは順調といいたんだけど、実は今年に入ってからの半年間は5.5kgで止まってしまったことがあるんだ。獣医さんに5.5kgが限界なのでは?と聞いたら、「飼い主がそんな弱気でどうする!」とパパは叱られていた。
 獣医さん曰く 「これから、1回の餌の量(ゴハン)を25gから22gに減らしなさい」だって(ゴハンは1日2回)。この獣医は鬼か!「今でも少ないのにさらに減らしたらチビが泣き出してしまいますよ」とパパ。「その場合は数粒やってもいいですよ」だって。1粒0.2gのをたった数粒?まさに鬼だ~!パパ、鬼の言うことを絶対聞いちゃダメ~!聞かないで~!
 そんな叫びにも拘らず、目標の5kgに向かってダイエットは続くのである。あと0.2kgの減量!あと0.2!

 今年も可愛がってくれた皆さんありがとう!良いお年をお迎えください!
 ボクの初夢は「ゴハン」になりそう。初夢でなくても、いつも出てくる夢は「ゴハン」。そう言えば、北鎌倉に「ゴハン」ちゃんという名のニャンコがいたニャ。思い出しちゃったよ。ともかく人間もニャンコもワンコも「良いお年を!」


船橋市の由来 : 日本武尊(やまとたけるのみこと)が西征(熊襲や出雲を平定)をした後、東征(陸奥の蝦夷を平定)の折、海老川を渡るためを並べ、その上に板を渡してとしたのが地名の由来とされている。

海老川の由来 : ① 昔は水量が多く、海老のように激しく蛇行(だこう)していたことから、その名がついたという説。
② 源氏再興の旗挙げをした源頼朝が石橋山ノ合戦に敗れ一旦、安房国に逃れた。直ちに千葉常胤(ちば つねたね)ら豪族を味方につけて進軍を開始。その途中、土地の者が頼朝の大願成就を祈って大日川の海老を献上したという。頼朝は献上の海老を何度も褒めたことから、大日川は海老川と呼ばれるようになったという説。

海老といえば、京成電鉄の線路は海老川沿いに急カーブしていて、まるで海老のよう。当初は船橋市街を抜ける予定であったが、地元の反対にあい京成船橋駅・大神宮下駅間は海老のように曲がってしまった。

船橋漁港の向かい側に船橋港親水公園がある。漁港には三番瀬(さんばんぜ)で獲れるスズキやカレイなどが水揚げされる。

厳しい時は厳しい獣医さん。少しでも長くお出かけできるようにと、2年前からチビの老年期を視野に入れた健康管理スケジュールを立ててくれている獣医さん、ありがとう!

 (チビの日記!!チビの独り言 11) 平成18年12月30日

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今年最後のおまけ

 千葉港にて待機中の海上保安庁・消防艇。赤い筒は放水銃。(平成18年12月31日)
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by chibi-papa | 2006-12-30 18:21 | チビの独り言  

恵比寿からMerryChristmas(92)18・12・23

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ニャンタクロースはワンコに乗って

 サンタクロースは白い大きな袋にプレゼントを入れて、クリスマスイブにトナカイ(馴鹿)の橇(そり)に乗ってやって来るという。

 サンタクロースのお話は聖ニコラウスの伝説からだという。「聖ニコラウス」をオランダ語にして読むと「シンタクラース」。それがアメリカ・ニューヨークに移民とともに渡ってそこでイギリスのファーザー・クリスマス(Father Christmas)とミックスされ(聖ニコラウスの命日を祝日とした12月16日を12月24日に移動して)サンタクロースがプレゼント役になったというわけ。


聖ニコラウス : 4世紀頃の東ローマ帝国・小アジア(トルコのあたり)の司教で、カトリック教会や東方正教会で聖人とされている。

 赤い帽子に白い髭(ひげ)、白い縁取りのある赤い服を着たサンタクロースの姿は1931年(昭和6年)にコカ・コーラ社が宣伝のキャラクターに起用したことで世界中に広まったとされているけど、それより17年も前の大正3年に雑誌「子供之友」にサンタクロースのあの姿が描かれ、また日本からの輸出用のサンタクロース人形もあの姿であった。
 当時日本は世界一のクリスマス用品生産国であったので、その輸出品をとおして日本でイメージされたサンタクロースの姿が世界に広まった。それにコカ・コーラ社が便乗したというのが事実のようだ。

~恵比寿ガーデンプレイスの南端にある「三田丘の上公園」でサンタになりきっているチビ~


目黒区三田(目黒村三田) : 昔この辺りには玉川上水から取水した三田用水が流れていたことと、ここが比較的高台であったためビール作りには最適の場所であった。今から約110年前、ここにビール工場ができた。農民との間で三田用水の水争奪をしばしば起こしながらも、業務拡大に伴って北側の渋谷区恵比寿(渋谷村下渋谷)にも拡張されていった。
港区にも三田があるけど、いずれも芝神明(しば しんめい、伊勢神宮の関東分社)の御田(みた、神社が所有する水田)があった所。御田が三田になった。

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恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスツリー

 時計広場にあるクリスマスツリー。向こうは恵比寿三越。センター広場にはバカラ社(フランスのクリスタルガラスのメーカー)製の世界最大級のシャンデリアが超特大展示ケースに納められている。その前ではクリスマス・スペシャルライブイベント(Xmas Special Live Event)がおこなわれていた。

 明治23年(1890)にサッポロビール(当時:日本麦酒)がここでヱビスビールを製造し始めた。その後、ビール出荷のための専用貨物駅として「恵比寿駅」が明治36年にでき、その後通勤者のために普通駅になった。そうして昭和3年(1928)に「恵比寿通」が住居表示としての町名になった(昭和41年に他地区も含めて現行の「恵比寿」になった)。このように製品名から→駅名→町名になったというのはとても珍しい。


企業が町の名前を変えた例
 ・ 太田市東本町→スバル町(富士重工工場)
 ・ 府中市本宿など→東芝町(東芝工場)
 ・ 愛知県挙母市→豊田市トヨタ町(トヨタ本社)
 ・ 池田市北今在家町など→ダイハツ町(ダイハツ本社)

 昭和60年、渋谷駅近辺の都市化に伴い工場を閉鎖し、平成3年(1991)に土地再開発事業が開始され平成6年にショッピング、飲食、オフィス、住宅などの複合施設を備えた「恵比寿ガーデンプレイス」が竣工した。そこには「恵比寿麦酒記念館」がある。
 恵比寿の中心市街地からやや離れているので、JR恵比寿駅から動く歩道「スカイウォーク」で結ばれている。


麒麟麦酒(キリンビール)に対抗するため、札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の3社が明治39年合併し大日本麦酒となった。昭和24年に財閥解体により日本麦酒と朝日麦酒に分割され、日本麦酒は昭和39年にサッポロビールに、朝日麦酒は平成元年にアサヒビールにそれぞれ改称し現在に至っている。
 
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クリスマス用花壇のお花が綺麗

 時計広場から坂道のプロムナード、センター広場などあちこちに清楚で美しい花々が。今のシーズンはクリスマスローズ、クリスマスパレード(エリカ)、ユリオプスデージーなどが咲いている。ここにはストックやプリムラ・マラコイデス(西洋桜草)が一斉(いっせい)に咲き誇っている。ところどころにノースポール(north pole)の白い花や白妙菊(しろたえぎく)の白い葉っぱがアクセントのようにある。そして、可憐な白い花のアリッサム(庭なずな)が花壇の縁取りをしている。

 今日は国民の祝日・天皇誕生日。天皇陛下は73歳の誕生日を迎えられた。おめでとうございます。



 (チビの日記!!チビのお出かけ 92)
・・・ロハス的な生活を心がけていきたい・・・
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by chibi-papa | 2006-12-23 19:32 | チビのお出かけ  

(91)18・12・16 赤塚城址(板橋区)

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赤塚城本丸跡の石碑

 巣鴨駅で都営地下鉄・三田線に乗り換え、終点の西高島平へ。

昭和43年に志村・高島平間10、4kmが開業(昭和44年に住居表示で高島平の町名が誕生したのに伴い志村駅を高島平駅に改称した)。昭和51年にはさらに高島平・西高島平間の1、5kmが開業した。

 パ パ 目黒駅から西高島平駅を結んでいるのに、なんで三田線というんだろね?

 チ ビ 当初の計画では起点が三田駅だったからだよ。

 パ パ そうか~。三田駅は同じ都営地下鉄の浅草線も走っているから、そこで接続しているんだね。

 チ ビ でも、線路は接続していないんだニョ。
 パ パ 都営地下鉄どうしなのに、何で~?

 チ ビ 三田線は狭軌(きょうき)といってレール幅(軌間)が107センチだけど、浅草線は標準軌(昔は広軌と言った)で144センチなんだ。だからお互いに都営地下鉄なのに乗り入れできないんだよ。
 そのため馬込検車場を共用できないので、三田線用に西台駅に隣接して志村検車場をに作ったんだニャ。


 パ パ なんでそうなっちゃったんだろうね。

 チ ビ 当初は東武東上線と東急池上線を繋ぐ計画だったんだ。その両線とも狭軌だったのでそれに押し切られて三田線も狭軌にしたんだ。それなのに両線は乗り入れ案をキャンセルしちゃってね。
 もし当初計画が実現していたら東上線・上福岡駅から(三田線、池上線、大井町線を経由して)田園都市線・長津田駅間に直通電車が走ったのにね。


 パ パ そういう計画だったのか。それが西高島平駅~目黒駅間27kmになって後年、目黒駅で東急目黒線と接続することになったというわけだ。

池上線・五反田駅 : 池上線は五反田駅・蒲田駅間11kmを結ぶ路線で、五反田駅は駅ビル4階に直結してホームがあり、接続する山手線を見下ろす高い位置にある。これは将来、山手線を跨いで路線を都心に伸ばそうと考えていたからであった。

都営地下鉄・新宿線は京王線に乗り入れるため軌間を137センチ(偏軌、へんき)にした。これによって都営地下鉄線のレール幅は各線ともバラバラ(大江戸線は浅草線と同じ144センチだがリニア式でモーターが回転運動でなく直線運動する)

東上線・和光市駅(元:大和町駅)から高島平駅まで東武側が延伸して相互乗り入れする計画だった。東武側が実行しなかったため、都営側が高島平駅から西高島平駅まで延伸したが、西高島平・和光市間は実現しないまま、和光市駅には東京メトロ・有楽町線が乗り入れた。

 チ ビ 志村三丁目駅から地上駅になったよ。

 パ パ ここから先は荒川の氾濫原(はんらんげん)で徳丸ヶ原(とくまるがはら)と呼ばれていた所で、田圃(たんぼ)が一面に広がっていたんだ。だから地下鉄は志村坂上駅を過ぎたこの辺りから頭を出したのさ。

 チ ビ 蓮根(はすね)という駅があるくらいだから、この辺りは昔、レンコンを栽培していたんだろうね。

 パ パ それはどうかな。蓮根という町名は上蓮沼村(かみはすぬまむら)と根葉村(ねっぱむら)が合併したときに一字づつ採って合成した名前だから、レンコン(蓮根)とは関係ないと思うよ。ほら、高島平団地が見えてきたよ。

高島平団地 : 昭和38年に日本住宅公団が旧赤塚村水田地帯開発に乗り出した。昭和44年、中高層の団地建設を着手し、昭和47年から入居開始となった(昭和61年には人口6万人を超えるも、平成に入り減少傾向)
高島平の呼称 : 幕末の砲術家・高島秋帆(たかしま しゅうはん)がここで洋式砲術の訓練をしたことに因(ちな)んで、団地を造成するにあたってつけられた。

 西高島平駅で下車、徒歩15分で赤塚溜池公園に。溜池は河岸段丘の崖からの湧き水で、かつて赤塚城の内堀であったらしい。現在の溜池はその思い出に作った人工の池らしい。河岸段丘には赤塚城本丸跡の石碑がある。
 高島平団地の開発が始まった昭和40年代までは空堀(水のない堀)などの遺構(いこう)が残っていたが、宅地供給が優先し保存は後回しとなってしまった。当時の時代背景からするとしかたがなかったのかもしれない。


 チビ!帽子がずり落ちそうだよ! 

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赤塚公園に明かりが点る 逢魔が時

 千葉氏はもともと下総(しもうさ)の名門で「下総千葉氏」といわれた。しかし、千葉一族の内紛で分家によって亥鼻城(いのはなじょう、千葉市中央区亥鼻1丁目)を陥(おと)されてしまった。下総国を追われた本家は武蔵国へ逃れ、ここで「武蔵千葉氏」となった。
 「武蔵千葉氏」は赤塚城を拠点に、太田道灌(おおた どうかん)に従って各地を転戦した。室町時代後期・1477年には豊島氏の居城・石神井城の攻略に参戦した。そして、和光市・大宮市・足立区一帯に地盤を築いていった。
 太田道灌亡きあと、小田原北条氏(後北条氏)が武蔵国へ進出してくるとこれに従ったが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅ぼされたとき命運を共にし、赤塚城も廃城となった。


 帽子がよく落ちないね!帽子をかぶっているというより、耳にかぶせているみたいだね?!   

赤塚城 : 元は豊島氏の一族の赤塚氏の居城であったが、千葉自胤(ちば よりたね)によって室町時代の戦国の世に築城した。

 二の丸跡には乗蓮寺が建っていて、境内には東京大仏(赤塚大仏ともいう)がある。閉門時間の4時半を過ぎてしまった。公園側から大仏様の背中だけが見えた。
 
 赤塚公園に明かりが点(とも)る。日が暮れるのが早い。まもなく冬至(とうじ、12月22日)


逢魔が時(おうまがとき) : 妖怪がうろつき始めるから、早めに帰って来なさいと子供を戒める言葉。

 東上線・下赤塚駅まで徒歩25分。ちょっと距離がある。下赤塚駅前の商店街はとても活気があった。 

 (チビの日記!!チビのお出かけ 91)
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by chibi-papa | 2006-12-16 19:02 | チビのお出かけ  

安房小湊(90)18・12・10 

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小湊漁港

 JR外房線・安房小湊駅(あわ こみなとえき)で下車すると目の前は内海海水浴場、12月なので海水浴客も誰もいない。波打ち際(なみうちぎわ)を歩いていると国道128号を急ぐ人達がいる。みんな篭(かご)を持って磯に向かっている。「はば海苔」 を採りに行くという。今日は 「はば海苔」 の解禁日。「はば海苔」 の 「はば」 は幅が広いという意味で、「一年を大幅にゆったりと過ごそう」 という願掛けからこの地方のお正月には欠かせない海苔だという。

小湊駅だというのに小湊鉄道が通っていない。なぜ?小湊鉄道は当初、誕生寺への参拝客の輸送を目的に着工されたが、資金不足などから五井駅(ごいえき)~上総中野駅(かずさなかのえき)までとなり小湊に至らなかった(上総中野駅から大原駅まで旧:国鉄・現:いすみ鉄道が接続し、内房と外房がつながったが両線の接続が悪い)

 小湊漁港で漁船への給油機に乗ってポーズをとるチビ。晴れて良かったね。写真ではちょっと分かりにくいけれど、漁船には丸い形のアンテナが立っている。それは方向探知機で、一隻が魚群を見つけて連絡をするとその漁船を方向探知機で探して、その方向に急行するという。

ファイル→印刷プレビューにして500%に拡大すると、方向探知機が右端に見える。

 いよいよ「鯛の浦」、遊覧船(950円)に乗って水深15mの所に安住しているという鯛を見る。マダイは深海性の魚で小回遊の習性があるのにここにいるのは不思議だ。科学的調査をしているけどいまだ解明されていない。餌付けされていて、船べりを叩くと水面近くに群れをなして出現してくる。鯛だけでなく鱸(スズキ)も、それに全長2mに達する平政(ヒラマサ)も寄ってきた。一瞬、鮫かと思った。

日蓮聖人誕生のおり、小湊湾内に鯛が群集浮上して聖人の誕生を祝したという言い伝えがある。

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日蓮大聖人ご幼像

 日蓮聖人が12歳のとき、修行出家のため清澄山に登られた時のお姿で、経巻(きょうかん)を手にしている。チビは瞑想しているのか、それとも単に太陽が眩(まぶ)しいだけなのか。

日蓮 : 鎌倉時代の仏教の僧で、法華系諸教派が宗祖とする。承久の乱(じょうきゅうのらん、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げた乱)の翌年の1222年に小湊で誕生した。31歳で法華経を開き、1260年、38歳の時に立正安国論(りっしょう あんこくろん)を時の執権・北条長時でなく、前執権で幕府の最高実力者の北条時頼(ほうじょう ときより)に建白(けんぱく、政府などに自分の意見を公的に申し立てること)した。弘安ノ役(こうあんのえき、二度目の元寇)の翌年1282年没、享年60。

「日蓮と蒙古大襲来」という映画(大映)が昭和33年にあった。日蓮役に長谷川一夫、北条時宗役に市川雷蔵、四条金吾役に勝新太郎。蒙古大襲来とは元寇のこと。

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日蓮聖人誕生堂

 安房・小湊は日蓮聖人ご誕生の地である。龍の彫刻に飾られた誕生堂には宗祖御幼像が安置されていて、2月16日(日蓮聖人の誕生日)の宗祖誕生会(しゅうそ たんじょうえ)では、その像を朱塗りの輿(こし)に移して 「練り行列」 が行われるという(誕生寺で最も重要かつ盛大な行事)

 ボクの出自(しゅつじ)は野良猫だから、正確な誕生日はわからない。でも、パパはボクを拾った人などから状況を聞いて、平成8年の7月7日をボクの誕生日と定めてくれたんだ。誕生日にはボクとパパで 「♪ たなばたさま」 を歌うんだ。それがボクの誕生会。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 90)
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by chibi-papa | 2006-12-10 00:00 | チビのお出かけ  

♪24 わたしの城下町 18・12・09 

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さざなみ(小波)5号で南房総・館山へ

 特急・小波、ビュンビュン・ビュンビュン・ビュンビュンビュン
 ボクらを乗せて、ビュンビュン・ビュンビュン・館山へ
 スピード・スピード窓の外、畑も飛ぶ飛ぶ、家も飛ぶ
 走れ~走れ~走れ~~、特急だ特急だ、楽しいな!

 ♪汽車ポッポ 〔作詞〕富原 薫 〔作曲〕草川 信 をもじった歌

 最初の計画では7時50分JR新宿発内房線「新宿さざなみ」に乗るつもりだったけど、パパが火の始末に不安があって確認しに戻ったので、9時21分東京発「さざなみ5号」になってしまった。

 チ ビ パパは一昨日7日に防火管理者講習を受けて資格を取ったばかりだから一旦 戻る勇気が出たんだね。

 パ パ 入居しているビルに先々月、消防署の立ち入り検査が入ってね。そこでテナント毎に防火管理者を置かなくてはならないと指摘されて、それで講習を受けることになったんだ。丸一日の講習は時間的にきつかった。でも防火について意識が変わったよ。

 チ ビ 出発が遅れちゃったけど、これで安心して旅行ができるね。でも、駅に入る前に気が付けばよかったのにね。

 パ パ すまん、すまん。ところでさ~、帽子を斜めに被ったほうが、可愛いと思うんだけどな~。

♪汽車
〔作詞〕 未詳 〔作曲〕大和田愛羅
一、
今は山中、今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間もなくトンネルの
闇を通って広野原(ひろのはら、広い野原)
ニ、
遠くに見える 村の屋根
近くに見える 村の軒(のき)
森や林や 田や畠
後へ後へと 飛んで行く
三、
回り燈籠の 画(え)の様(よう)
変わる景色の 面白さ
見とれてそれと 知らぬ間に
早くも過ぎる 幾十里(いくじゅうり)

歌詞は七五調で、歌うと汽車に乗っているような気分になる。
 一番は、野山を走る様子。
 二番は、汽車の窓から見える景色。
 三番は、汽車の旅の面白さを歌っている。

 館山まで32里(129km)。「ニャンタクロースと2泊3日・房総半島一周の旅」 の始まり始まり~ 

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館山城は博物館

 小雨が降っている。天気予報は曇のち雨だったのでどうしようかと迷った。が、今朝一番の予報で、東京・千葉・銚子は依然として曇のち雨。しかし館山は曇時々雨と予報が変わった。その予報を信じて決行(明日、明後日は晴の予報)

 
館山城は里見氏の居城。里見氏の祖先は上野国(こうずけのくに、現在の群馬県)里見郷に住んでいたのでその名がある。結城合戦(ゆうき かっせん)で敗退し相模国(さがみのくに、現在の神奈川県)に逃れ、三浦氏の援助で安房白浜に上陸し安房(あわ)を平定した。やがて上総(かずさ)、下総(しもうさ)にも勢力を伸ばし、千葉全県を勢力下におき、50万石を越えた。
 小田原北条氏(後北条氏ともいい、鎌倉執権の北条氏と区別するためこのように呼ぶ)から1538年(室町時代)と1564年(安土桃山時代)に攻撃を受け、いずれも国府台(こうのだい、現在の千葉県市川市)の戦いに敗れた。最後の砦として1588年、館山に城を築き防備を固めた。
 江戸時代になって倉吉(鳥取県)3万石に転封(てんぽう、国替え)となり、館山藩は廃藩となり館山城も廃城、取り壊された(江戸末期に稲葉氏が館山藩を立てたが、その時は天守閣は再建されなかった)。

 昭和57年に往時を偲ぶ城郭様式の博物館が建設(二重櫓に入母屋の大屋根をかけその上に小望楼をのせた安土桃山時代の天守閣の姿にしてある)された、という館山城をここから見上げていると「わたしの城下町」を歌いたくなちゃうね(歌詞のイメージに最もふさわしい町は加賀百万石の城下町・金沢といわれているが、それはそれとして)。


♪わたしの城下町 
〔作詞〕安井かずみ 〔作曲〕平尾昌晃 昭和46年、小柳ルミ子

格子戸をくぐり抜け
見上げる夕焼けの空に
誰が歌うのか子守唄 私の城下町
好きだとも言えずに 歩く川の辺(ほとり)
往きかう人に なぜか目を伏せながら
心は燃えてゆく

家並が途切れ(とぎれ)たら
お寺の鐘が聞こえる
四季の草花が咲き乱れ 私の城下町
橋の袂(たもと)にともる 灯のように
ユラユラゆれる 初恋のもどかしさ
気まずく別れたの


里見郷 : 新田義俊(平安時代後期の1170年没)が移り住んだ里見郷は明治22年に碓氷郡(うすいぐん)里見村となり、昭和30年群馬郡室田町(むろだまち)と合併して群馬郡榛名町(はるなまち)となる。そして、2ヶ月前の平成18年10月1日に高崎市に編入合併した。
里見家の子孫は「全国里見一族交流会」を組織し、里見郷を訪れるという。

歌では家並を「いえなみ」としているけど、正しくは「やなみ」と読む。この歌のヒットの影響で「いえなみ」がいつの間にか主流になってしまった。「いえなみ」では情緒のない表現のように思えるが・・・

館山城は外壁工事中だったため望楼(ぼうろう)に出られなかったのが、ちょっと残念。城がある丘からは館山港や海上自衛隊館山航空基地などが一望できる。天気が良ければ三浦半島や富士山も見えるという。

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南総里見八犬伝と八遣臣

 館山城は市立博物館の別館として、江戸時代の文豪・滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の資料が展示されている(NHKの人形劇の人形や映像もある、語りは坂本九ちゃん)。第一巻が出版されたのが1814年(文化11年、第11代将軍・徳川家斉の頃)で、28年かけて完結した時(1842年、天保13年)の馬琴は74歳の盲目(口述筆記により最終話までこぎつけた)の翁(おきな)になっていた。全98巻・106冊、登場人物は約400人という大作で、室町時代を背景に南総里見家の興亡が描かれている。
 構成は「水滸伝」の影響を強く受けていて、「水滸伝」では108つの魂が飛び散りそれぞれ豪傑英雄として各地に現れるが、「南総里見八犬伝」では伏姫(ふせひめ)の8つの玉が飛び散り八犬士として世に現れる、となっている。

 城山公園東南の急な山道を下った場所に八遣臣(八賢士)の墓がある。里見家10代は今の鳥取県倉吉に転封され29歳で死亡、殉死(じゅんし)した8人の家臣の分骨をここに葬(ほうむ)ったといわれている。主君に殉(じゅん)じた8人の忠臣(ちゅうしん)ということで八犬士のモデルではないかとも言われている。


世にも不思議な運命で結ばれた若者8人の手に汗握る『南総里見八犬伝』は、1440年の結城合戦(応仁の乱の約30年前)で、父と一緒に戦った里見義実(よしざね)が死を決意した父と別れ、落ち延びるところから始まる。

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誰もいない北条海岸

 館山駅から椰子の木の並木道(夕映え通り)300mほどで海岸(北条海岸)に出る。両脇の建物の屋根はオレンジ色のS瓦。壁は白。塀は生垣。駅舎も平成12年に南欧風にした。スペインの気候に似ているというので、そのような駅舎と街並(表札も看板も南欧風)にしている。
 砂浜には重機のキャタピラーの無残な跡が!これは相模灘からの風による砂の害を防ぐため、2重に柵を作っているためのもの。沖には貨物船、左に見えるのは沖ノ島なのか州崎なのか。富士に映えるここからの夕日はすばらしいという。トワ・エ・モワの「誰もいない海」を歌いたくなった。


♪誰もいない海 
〔作詞〕山口洋子 〔作曲〕内藤法美 昭和45年

1 今はもう秋 誰もいない海
  知らん顔して 人が行過ぎても
  私は忘れない 海に約束したから
  辛くても 辛くても死にはしないと

2 今はもう秋 誰もいない海
  たった一つの 夢が破れても
  私は忘れない 砂に約束したから
  淋しくても 淋しくても死にはしないと

3 今はもう秋 誰もいない海
  愛しい面影 帰らなくても
  私はわすれない 空に約束したから
  一人でも 一人でも死にはしないと

  一人でも 一人でも死にはしないと
  ルルルールルルル・・・・・・

北条海岸 : 海の向こうに敵対する北条氏がいることから名づけられたのか定かでない。館山城ー小田原城の距離、70km。
かつての盟友・三浦氏は台頭してきた北条早雲の大軍に攻められ1516年に滅亡した。その後、七十年間に亘って北条氏との戦いが続いた。

(チビの日記!!チビの愛唱歌 24)



 
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by chibi-papa | 2006-12-09 00:00 | チビの愛唱歌  

青柳段丘と湧水(89)18・12・03  

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谷保天満宮の臥牛

 南武線・谷保駅(やほ えき)で下車。谷保天満宮(やぼ てんまんぐう)には2頭の臥牛(ふせうし、臥せている牛)がある。今乗っているのは本殿寄りにある金属製の臥牛なんだ。今回はこの辺りの河岸段丘(かがん だんきゅう)と湧水(ゆうすい)を調査する。

 河岸段丘とは河川の中流域や下流域に沿って発達する階段状の地形をいう。段丘面(だんきゅうめん、平坦な部分)と段丘崖(だんきゅうがい、がけの部分)とが交互になっていて、段丘面は地下水面が低いので、段丘崖の下には湧水個所がある。

 隊長:チビ、写真班:パパ。この隊形で、早速 調査開始!天満宮脇の水路にも立川段丘崖からの湧き水(常盤の清水)がかなりの水量で流れている。


5月27日に来た時の臥牛は階段下にある石製の臥牛。 チビのお出かけ53 を見てね。

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城山公園の池

 城山(じょうやま)公園は青柳段丘崖線(がいせん)にあり崖の高さは8m、都の歴史環境保全地域に指定されている。鎌倉時代初期の三田氏の城館(じょうかん、豪族が住んでいた館のこと)跡が屋敷林や雑木林に包まれている。さらにその昔の平安時代には菅原道真(すがわら みちざね)の三男・道武(みちたけ)の館(やかた)があったという。
 池は落ち葉で水面(みなも)が見えないほど。隣接する復元された農家では大勢の親子が楽しそうに餅つきをしていた。


この辺りは2段の段丘構造になっていて、青柳段丘の北に立川段丘がある。青柳段丘は谷保天満宮で立川段丘に接している。

901年(平安時代前期)菅原道真が太宰府に左遷され、当時まだ8才だった三男・道武は武蔵ノ国に流され、谷保(やぼ)一帯を統治していた県主(あがたぬし)・津戸貞盛(つど さだもり)に庇護(ひご)を乞う。そして貞盛は道武の後見役となる。その後、道武は貞盛の娘を妻として迎えたという。
菅原道武は父・菅原道真と伴に谷保天満宮に祭神(さいじん)として祀(まつ)られている。
 
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ママ下湧水

 この辺り一帯は北側に青柳段丘が、南側には古来多摩川の氾濫原(はんらんげん)であった低地が広がっている。崖のことを「ハケ」といもいうが、ここ四軒在家(しけんざいか)では「ママ」と呼ぶことから、この崖下から湧き出る地下水を「ママ下湧水」(まました ゆうすい)と呼んでいる。昔は豊富な湧水群があり昭和初期までは山葵田(わさびだ)が見られたという。
 多摩川の土手で昼食、暖かい日差し。しばらく土手を歩いてから青柳段丘面にある甲州街道を越え矢川に沿って矢川緑地に向かった。川は国立(くにたち)第六小学校内を流れ、その清水を利用して生徒たちは蛍を飼育している。


野菜を洗うため川面に降りられるようになっていて、現在も使われている様子。その部分をドアと言うが、ベンガル語でもそう言うようだ。

 チ ビこれらの雑木林や湧水は河岸段丘崖(かがんだんきゅうがい)に守られて、開墾(かいこん)や宅地開発から辛(かろ)うじて生き残ってきたんだね。公園などになっているからいいけど、このまま環境破壊が進んでしまったら次の世代に自然を残せなくなちゃうよね。

 パ パそうだね。自然の生態系は壊れてしまうとその復元には長い時間がかかるし、場合によっては復元できなくなってしまうからね。

 チ ビ自然とのかかわりを意識して、生態系の保全を視野に入れた持続可能な社会に向かうことで、将来の世代に対する責任を果たさないとね。そうでないと人間は環境から見たら「加害者」になちゃうし、それに将来世代の人々に対する「加害者」にもなちゃうニャ~。

 パ パチビは良くわかっているね。

 チ ビパパがECO(エコ)検定試験の勉強していたから、ボクもいろんなこと覚えちゃったよ。だってボクとお出かけするときパパはいつも暗記カードを手にしていたじゃない。「門前の小僧、習わぬ経を読む」といったとこかニャ。

 パ パお陰で10月15日におこなわれた第一回環境社会検定試験(ECO検定)に合格できたよ。

 チ ビでは、ECO検定合格者としてパパ、何か一言。

 パ パえ~っ、将来の世代に豊かな自然を残し、未来にわたって自然を現在と同じように利用できるようにするため、え~っ、今の世代の私たちが行動できることは何かを考えなくてはならない。え~っ・・・

 チ ビということは、里山(さとやま)構想による循環型生態系を守り・復活させるなど、「ロハス的な生活を心がけていこう」ということだニャ。

 パ パそ、そのとおり。

諺「門前の小僧、習わぬ経を読む(もんぜんのこぞう、ならわぬきょうをよむ)」 : お坊さんの読むお経をいつも聞いているだけで、別にお経を習ったわけでもないのに、お経を読めるようになってしまう、という諺。

環境社会検定試験(ECO検定) : ECOピープル(環境問題を意識して日常生活を送ると共に、一人ひとりが可能な範囲で行動を起こしていく人)が増えていくことを期待して、商工会議所が実施する検定試験。受験資格は学歴・年齢・性別・国籍を問わない。第一回目の試験で11,025人が合格した。

ECOピープル行動指針
 ①環境に関心を持つ 
 ②健康に気を配り、毎日の生活を丁寧に暮らす 
 ③多様な「いのち」を慈しむ 
 ④自然の豊かさを楽しみ、自然から学ぶ 
 ⑤地域コミュニティをともに創りあげていく 
 ⑥それぞれの人や組織を認め、連携し協議する 
 ⑦限りある資源を大切にする

ロハス(LOHAS) : Lifestyles Of Health And Sustainability の略で、健康と地球の持続可能性を志向するライフスタイルのこと。環境に配慮しない暮らし方は自ら小宇宙(人体)への加害者となってしまう。 

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矢川緑地の雑木林
 
 矢川緑地保全地域に辿り着く。雑木林に佇(たたず)むチビ。青柳段丘崖線に連なる雑木林を歩いて来た。「雑木林」という言葉には何となく心和む(こころなごむ)響きがある。国木田独歩(くにきだ どっぽ)が小説「武蔵野」で賞揚(しょうよう、ほめたたえること)した武蔵野の風景はこのようなものだったのだろうか。今の武蔵野がここにあり安らぎを感じる。
 
雑木林を過ぎると萱(かや、茅)の原になり沼地になっている。立川段丘の地下水が沼の中央から湧き出て、矢川の源流となっている。

国木田独歩 : 明治時代の小説家、詩人。小説「武蔵野」(「今の武蔵野」を改題)は普通の小説とは異なり、武蔵野を吹き抜ける風と木立(こだち)を眺めているように書かれているので、小説を読んでいるというよりまるで絵画を鑑賞しているかのようだ。

南武線沿線の谷保駅は立川段丘面に、矢川駅は青柳段丘面に、西国立駅は立川段丘面にある。立川段丘面→立川段丘崖→青柳段丘面→青柳段丘崖→氾濫原→多摩川とだんだん低くなっていく。段丘崖のことをハケともいい、崖線に沿って湧水があった。また矢川・立川線上に活断層が走っていてその高低差は1mというので注意して歩いたけれど今回確認できなかった。

 以上にて隊長:チビ、写真班:パパによる河岸段丘と湧水の調査を終え、西国立駅(にしくにたち えき)に向かう。以上。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 89)
・・・ロハス的な生活を心がけていきたい・・・
 
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by chibi-papa | 2006-12-03 16:50 | チビのお出かけ  

(88)18・12・02 東京空襲犠牲者追悼碑

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東京空襲犠牲者追悼碑(横網町)

 近くに大相撲の国技館があるせいか、横網町の横網(よこあみ)を横綱(よこづな)と間違い易い。その国技館の前を通って、旧安田庭園で隅田川の水系を利用した潮入り回遊庭園を散策したあと隣接する横網町公園へ。横網町公園は元:本所被服廠(ひふくしょう)があった所で、大正12年9月1日の関東大震災で多くの犠牲者が出た。公園内には慰霊堂、復興記念館(被災遺留品を展示)がある。それに平成13年に造られた「東京空襲犠牲者追悼碑」がある。


関東大震災で本所被服廠跡に避難してきた住民3万8千人が火災旋風に巻き込まれて焼死した。板トタンが強烈な旋風で吹き飛ばされ、隣の旧安田庭園の樹木に巻きつくほどだった。関東大震災の教訓を忘れないよう9月1日を「防災の日」に制定した。

 太平洋戦争で東京は昭和17年4月18日の初空襲から敗戦当日の昭和20年8月15日までアメリカ軍の度重なる空爆により甚大な被害を受け、非戦闘員である多くの都民が犠牲となった。これは国際法違反の非戦闘員大量虐殺であり戦争犯罪であった。指揮をしたカーチス・ルメイ少将自身も後年、「アメリカ軍が負けていたら、自分は戦犯として裁かれていた」と述べている。

 なかでも一番被害が大きかったのは昭和20年3月10日の空襲であった。その犠牲者は8万人とも10万人ともいわれ、焼失家屋は28万戸、東京の3分の1の面積40平方kmが焼失した。3月10日を決して忘れないために東京都はこの日を条例で定め、毎年3月10日に慰霊堂で追悼行事が行われている。
 一連の空襲による正確な犠牲者数は不明であるが、判明した分の犠牲者名簿が追悼碑の内部に納められている。碑の斜面を覆う花は生命を象徴しているという。
 追悼碑と慰霊堂に合掌・・・


この碑の正式名称は「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」と長ったらしい名称。

 浪花屋の鯛焼き(衣は薄くてカリッとしていて餡は甘さおさえ目)を食べながら江戸東京博物館へ。常設展示室ではアメリカ軍による非戦闘員大量虐殺の東京大空襲コーナーがあった。企画展示室では「江戸の誘惑」と題して、ボストン美術館所蔵の肉筆の浮世絵展が開催されていた。今月10日まで。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 88)
・・・ロハス的な生活を心がけていきたい・・・
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by chibi-papa | 2006-12-02 00:00 | チビのお出かけ