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平成17年 暑中見舞い

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東京の蓼科高原にて

毎日暑い日が続きますが皆さんお元気ですか!
東京駅構内の「信州・蓼科(タテシナ)高原キャンペーン」のポスターの前に居るだけで、何となく涼しい感じがします。
ボクたち猫は暑さに弱いんだ。だから移動用のバッグにアイスノンを入れてもらっていて、中は結構快適なんだ。猫も人も熱中症にならないように気をつけようね。

          平成17年盛夏 チビ



(チビの日記!!チビの時候のご挨拶 1)
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by chibi-papa | 2005-07-29 00:00 | チビの時候のご挨拶  

深川、門前仲町(18)17・07・17 

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富岡八幡宮の伊能忠敬像

 彎窠羅鍼(ワンカラシン)を持った伊能忠敬(イノウ タダタカ、1745年~1818年)がボクの後ろに何故いるのかって?それはね、佐原での家業を49歳で隠居して、家督を長男に譲ってこの近くの黒江町(現:門前仲町1丁目)に引っ越して来たんだ。
 そして幕府の天文方・高橋至時(ヨシトキ、伊能忠敬より19歳も年下)に師事して数学・天文学・暦学を学び、この知識を基に全国を測量して歩き、精巧な地図を作り上げたのさ。


伊能忠敬は上総国小関村(現・山武郡九十九里町)に生まる。17歳の時に酒造業を営む下総国佐原村の伊能家に婿養子に入り、事業拡大して隠居。楽隠居と思いきや、何と49歳にして学問を志して出府(江戸に出ること)。高橋至時(タカハシ ヨシトキ)に弟子入りするのである。そして寝る間を惜しんで勉学に天体観測に励むのであった。 

彎窠羅鍼 : ワンカラシンと読む。杖の先に吊り下げられた羅針儀で方位を図る道具。ジャイロコンパスようなもの。

 そして、1800年(寛政12年、第11代将軍・徳川家斉が治世)4月19日第1次測量に旅発つ際にお参りしたのが、ここ富岡八幡宮(時に伊能忠敬56歳)というわけなんだニャ~。そこで測量の第一歩を記念して、4月19日を 『地図の日』 とされたんだ。
 
測量と完成
第 1次測量 56歳 蝦夷地
第 2次測量 57歳 伊豆半島、房総半島、東北太平洋沿岸
第 3次測量 58歳 東北日本海沿岸
第 4次測量 59歳 東海道、北陸沿岸
第 5次測量 61歳 瀬戸内海沿岸、山陰沿岸、隠岐
第 6次測量 64歳 四国、淡路島
第 7次測量 65歳 九州、中国地方内陸部
第 8次測量 67歳 屋久島、種子島、九州内陸部
第 9次測量 71歳 伊豆七島
第10次測量 72歳 江戸府内
実測調査は16年間に亘り、歩いた距離は4万キロ(地球一周分)にのぼった。しかし、地図の完成を待たずこの世を去ってしまう。享年73。
その3年後の1821年に高橋至時の子・景保(カゲヤス)らによって 『大日本沿海輿地全図』(輿地、ヨチとは大地の意)が完成したのである。
  
伊能忠敬が私財を投じてでも測量を行おうとしたことは幕府にとって好都合だった。そして各藩(特に薩摩藩)の偵察の意味合いを込めて全国に派遣させたが、伊能忠敬の測量が極めて精緻だったので、幕府からの支援は増強され、次第に国家的事業になっていった。
 
忠敬は測量の旅に出かける際には安全祈願のため富岡八幡宮に必ずお参りしたという。この銅像は平成13年(2001)に建てられた。

大日本沿海輿地全図は縮尺の違う3種類が作られた。
・小 図 : 全国を3枚に分けたもの。
・中 図 : 8枚に分けたもの。
・大 図 : 214枚に分けたもの。大図を繋ぎ合わせると、東西50メートル、南北38メートルに達する。

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本殿賽銭箱の前にて

 ここで写真を撮っていたら、ボクの方に向かって拝んでいた参拝者がいたよ。富岡八幡宮の招き猫と思ったのかニャ?

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深川不動尊(帯に挿しているのは団扇)

□ 富岡八幡宮に隣接してある深川不動尊は成田山東京別院とも言うんだ。
■ どうちて?
□ 第5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院がね、成田山の不動明王を江戸で参拝したいと言い出したんだって。


桂昌院(ケイショウイン、1627~1705)
第3代将軍・徳川家光の側室。桂昌院24歳の時に家光が亡くなり(享年48)、大奥を離れて筑波山の仏門に入る。53歳の時、第4代将軍・徳川家綱が死去したことにともない、我が子・綱吉が将軍職に就くと、江戸城三ノ丸に入った。
朝廷より従一位という前例のない高官を賜る。奈良・東大寺の再建に尽力するも、完成を待たず亡くなる。享年78。

徳川家光の正室と側室
・ 正室は鷹司孝子。結婚当初から仲が険悪で事実上離婚。
・ 側室のお楽は農民の娘。子・家綱(左様せい様)は第4代将軍となるも子がいなかった。
・ 側室のお夏は町人の娘。子・綱重(甲府宰相)は家綱より早く亡くなっため将軍職を継げなかった。
・ 側室のお玉は八百屋の娘。子・綱吉(館林宰相)。落飾(落髪)して桂昌院となる。綱吉は第5代将軍になるも男子が生れなかったので、綱重の子・綱豊を綱吉の養子とし第6代将軍・家宣(イエノブ)とした。
『徳川実紀』などによれば、お玉は戦国時代の武将の子で、その一族は桂昌院の威光により、高富藩、小諸藩、宮津藩、笠間藩、足利藩などの小藩ながらも藩主として立身出世を果たした。とあるが、『玉輿記』によれば京都の八百屋の娘で、お玉は文字通り玉ノ輿に乗ったことになる。

(チビの日記!!チビのお出かけ 18)
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by chibi-papa | 2005-07-17 00:00 | チビのお出かけ  

♪ 8 七夕さま 17・07・09 

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平塚駅前にて

 平塚は昭和20年7月にアメリカ軍の大空襲があって、全市が焼け野原となってしまった。町の復興のため、昭和26年から仙台の七夕まつりを範にして年中行事に取り入れたとのこと。
 天ノ川の東にいる織姫は天帝(テンノミカド)の子で、いつも天ノ衣を織っていたんだ。そんな織姫が独り身であることを不憫(フビン)に思って天ノ川の西にいる彦星との結婚を天帝は許したんだ。
 しかし嫁にいった織姫は機織り(ハタオリ)をしなくなったので、天帝は怒って織姫を戻ってこさせ、7月7日の夜だけ天ノ川を渡って会うことを許したんだとさ。そして、雨が降らなければの話だが、鵲(カササギ)が翼をつなぎ合わせて橋をつくって、織姫がそれを渡って彦星に会いに行くんだ。なんともロマンチックだニャ~。


織姫と彦星 : 天ノ川の西にある織姫(織女星)は琴座の一等星ベガ26光年。一方、東南にある彦星(牽牛星)は鷲座の一等星アルタイル17光年。お互いの距離は15光年も離れている。
 天ノ川に横たわる鵲(カササギ)は白鳥座、ひときわ輝くのは尾にある一等星デネブ。このベガ、アルタイル、デネブの3つの星は夏の夜空でひときわ輝き大きな「夏の大三角形」を描いている。

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七夕まつりのメーンストリートにて

 実に賑やかな平塚の七夕まつりです。決して仙台に負けていません!

♪ 七夕さま

〔作詞〕 権藤花代   〔作曲〕 下総晥一(しもふさ かんいち)
一、
笹の葉 サラサラ
軒端に揺れる
お星さま キラキラ
金銀砂子


作詞が林柳波となっているのも多いが、権藤花代が正しい。林柳波はこの歌を自作にしようと策謀を企てた。林柳波の人格が問われる。

軒端(ノキバ) : 軒は雨風を避けるため屋根の下端で壁から張り出した部分で、軒端とは軒のあたり、という意味。

砂子(スナゴ) : 金銀の箔を粉末にしたもの。童謡「七夕さま」では天ノ川を金銀砂子と表現しているが、英語ではミルキーウェイ(the Milky Way 乳の道)という。これはヘラクレスが赤ん坊の時、女神ヘラの乳房をあまりに強く吸ったため、乳がほとばしり空にかかったというギリシャ神話からきている。

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浴衣で来ればよかったニャ~

二、
五色の短冊(タンザク)
わたしが書いた
お星さま キラキラ
空から見てる


一番の最後を「すなご」とし、「ごしきの」と二番が歌い出し易いように工夫してある。

五色 : 青、赤、黄、白、黒の五色。五行思想では万物は木、火、土、金、水の5種類の元素から成っているという説と結びつけると、青色は木、赤色は火、黄色は土、白色は金、黒色は水。

短冊 : 和歌・俳句などを書きしるすための細長い紙。

 ボクは七夕の日に生まれたんだ。昼はお天道様に、夜はお星様にそしてパパに見守られて、早9年。悪戯っ子だったボクもいつしか落ち着いた猫になりました。

 綺麗な空ですね。


(チビの日記!!チビの愛唱歌 8)

                                
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by chibi-papa | 2005-07-09 00:00 | チビの愛唱歌  

(17)17・07・03 池袋でアスレチック

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西池袋公園

 豊島税務署前のこの公園には木製アスレチック遊具が4つある。その1つを除いてスイスイスイ。       
 丸太がグラグラ動くのもあるけど、コツは丸太が動く前に渡ってしまうことだよ。このアスレチックは斜めの平均台のようなもの。 これは簡単、ボクにとっては、全く問題なし!


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「マリとシェリー」

どこにいるか分かる~?

どこ?チビどこにいるの?
 
ここだよ! ここぉ~!マリさんの頭の上!
いや、それともシェリーさんの方かな?

 東京芸術劇場前にある「マリとシェリー」像は朝倉響子作。あらためて良く見ると、女の生き方というか主張が感じられる作品だね。


朝倉響子(1925~   )は、東洋のロダンとも称された朝倉文夫の次女。

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東京芸術劇場

 上野公園にある音楽ホール「東京文化会館」に続き、都民のための芸術文化施設として、旧豊島師範学校(現:学芸大学)の跡地に平成2年完成した。

 アスレチックして少しくたびれたなぁ~。早く帰って昼寝しよう~っと。


(チビの日記!!チビのお出かけ 17)
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by chibi-papa | 2005-07-03 00:00 | チビのお出かけ