東京天文台(三鷹)(184) 21・03・20

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第一赤道儀室

 今日は春分の日。太陽黄道の黄経がゼロ度となって昼と夜の長さが同じになった。だいぶ昼の時間が伸びたニャ~!春分の初候は雀始巣(すずめ はじめて すくう)、次候は桜始開(さくら はじめて ひらく)、末候は雷乃発声(かみなり すなわち こえを はっす)と言う。
 わが国は長い間、暦として太陰太陽暦(単に太陰暦ともいう)を採用していた。そのため暦と実際の季節のズレを調節する必要性から天体観測が行なわれ、それは明治6年(1873)まで続いた。


 
太陰太陽暦がわが国に伝わったのは6世紀、当初は百済の暦をそのまま使っていたが、第33代・推古天皇(すいこ てんのう、東アジア初の女性君主)の時代にわが国でも天体観測を行なうようになった。
 飛鳥時代の675年に第40代・天武天皇(てんむ てんのう)が占星台を建てると日本書紀にある。このように吉凶の占いにも使われた天体観測は朝廷の陰陽寮(おんみょうりょう)の所轄であった。


 江戸時代には幕府・寺社奉行のもとに天文方(てんもんかた)が設置され、第5代将軍・徳川綱吉が治世の1685年、渋沢春海(初めての国産暦・貞享暦を編纂した)が初代天文方に任ぜられた。牛込藁町には司天台(してんだい)を建て天体観測を行う。その4年後に本所に移転。さらに1701年に神田駿河台、1746年に神田佐久間町、1765年に牛込袋町に移転。そして1782年に浅草天文台が、1842年に九段坂上天文台が建てられた。
 しかし、幕府の消滅により両天文台は明治2年(1869)に廃止された。


国産歴 : (宣明歴)→貞享暦(幕府)→宝歴歴(朝廷)→寛政歴(幕府)→天保歴(幕府)→(グレゴリオ歴) 

伊能忠敬(いのう ただたか)は、浅草の天文方で測量・天文観測を学び、後に日本地図を作成した。そのことについては平成17年7月17日の チビのお出かけ 18 を見てね。
 
 明治新政府は暦を太陰太陽暦から、月の満ち欠けとは全く無関係な太陽暦・グレゴリオ暦に切り替え、ここに、暦と季節のズレの調節としてでない天文学の研究がスタートした。
 明治4年(1871)、虎ノ門に内務省地理局観測課天象部が「天象台」を設置。明治7年(1874)、麻布飯倉に海軍「観象台」を設置。明治11年には東京大学に星学科を設立し、本郷に「天象台」を設けた。明治21年にこの3つが合併して「東京大学付属東京天文台」、略して東京天文台となった。
 そして、大正11年(1922)に東京天文台を麻布飯倉から観測環境の良い三鷹に移した。その後は文部省直轄の国立天文台となり、現在は大学共同利用機関法人「国立天文台」となっている。


 第一赤道儀室の開口部分はアームが付いていることからも分かるように、自動引き戸になっている(大赤道儀室の方は手動観音開き)

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口径20センチ屈折望遠鏡

 わが国の天文学研究の総本山は、「天文台通り」の中間点の台地にある。キャンパス内からは古墳が出土し、この辺りは石器時代から人が住んでいたらしい。
 京王線・調布駅からバスで15分。正門でガイド冊子を受け取り、「Visitor」のワッペンを胸に貼って進むと、まず第一赤道儀室が現れた。


 第一赤道儀室(せきどうぎしつ)は三鷹キャンパス内で現存する最古の建物で、大正10年(1921)に建設された。1階は倉庫で、観測室の外側にはバルコニーが設けられていてお洒落なデザインになっている。この観測室にはドイツ製の口径20センチの屈折望遠鏡が設置されている。
 ドイツ式はその特徴として筒鏡とのバランスを保つ錘(おもり)がある。ところで、赤道儀とは望遠鏡を載せる架台の違いによって、赤道儀式と経緯台式に分かれるが大型望遠鏡はふつう赤道儀式のため、赤道儀室は「大型望遠鏡を設置した観測室」という意味。専門用語は難解だニャ~!

 
この第一赤道儀室では昭和14年(1939)から平成11年(1999)までの60年間、太陽の黒点のスケッチ観測に使われ、太陽活動の監視や研究に大きく貢献したという。
 ところで、その太陽の黒点が今、その数が減少していて、太陽風や太陽磁場が弱まっているそうだ。ということは太陽圏が縮小していることを意味している。近い内に黒点がゼロなんていうこともありうるのであろうか。宇宙は謎だらけだニャ~。


 第一赤道儀室の床は軋(きし)み、北側のバルコニーは苔生(こけむ)している。建設から90年弱の年数が経っていて歴史を感じさせる。

今年は百年ぶりの太陽活動の極小期だという。経済も百年に一度の不況。 

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大赤道儀室

 第一赤道儀室から5年後の大正15年(1926)に完成した大赤道儀室は高さ約20メートル、直径15メートルもある。建設当時、木製の半球ドームを造る技術が建設業者になく、造船技師の支援を受けて造られた。

松板を蒸し曲げ(むしまげ)の技術で湾曲させたのであろうか。因みに第一赤道儀室の半球ドームは板を曲げずに小刻みに張ってある。

 ここからでは分からないが、外壁にはアーチ模様を繰り返す装飾(ロンバルト帯)が施されていている。ロマネスク様式の影響を受けているのだろう。

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口径65センチ屈折望遠鏡

 大赤道儀室には文字通り国内最大の口径65センチの屈折望遠鏡が設置されている。この望遠鏡にもバランスウェイト(筒鏡とのバランスを保つ錘)があるのでドイツ製だニャ。それに観測床がエレベータ式に上下するので、望遠鏡がどんな向きになっていても楽な姿勢で観測できるという優れモノ。

半球ドーム自体を自動回転させることもできるので、開口部分を移動させることができる。

 そして星の位置測定を主に行なってきたが、平成10年(1998)に研究観測から引退し、現在は天文台歴史館としてリニューアルされている。

バケツが見える。大赤道儀室も80数年の歳月が経っているので、多少 雨漏りするようだ。

第一赤道儀室および大赤道儀室は共に平成14年に登録有形文化財に指定された。登録有形文化財については、平成20年5月11日の大学院研修(2)を見てね。

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ゴーチェ子午環 (しごかん)

 半円形のドームに台形の入口をつけたデザインのこの観測室は、大正13年(1924)に建てられた。中には子午線上の天体の位置(子午環)を精密に観測できるように工夫された望遠鏡が大正15年に設置されている。その子午環がフランスのゴーチェ社製なのでその名が付けられている。

十二支を方角にあてはめると、子(北)、丑、寅、卯(東)、辰、巳、午(南)、未、申、酉(西)、戌、亥。子と午は北と南を表しているので、子午線(しごせん)といえば経線のこと。因みに緯線は東西なので卯酉線(ぼうゆうせん)という。

 4日前の3月16日、若田光一さんが乗るスペースシャトル「ディスカバリー号」がNASAケネディー宇宙センターから打ち上げられた。そして18日に国際宇宙ステーション(ISS、InternationalSpaceStastion)に到着した。これから3ヶ月半にわたる長期滞在がいよいよ始まった。若田さんの活躍に注目が集まる!
 ISSの高度は400キロメートル。地球の直径が12,700キロメートルであることを考えると、地球の表面スレスレの所を回っている(地球を直径1mとすると、その上空3cmの所を回っている)。
 宇宙は広大だニャ~!


 キャンパス内に社会教育用(研究用でなく一般市民用)の反射望遠鏡があって、今月は土星を観望するという。土星は30年かけて太陽の周りを回っている。土星の環は地球と土星の位置関係によって見え方が少しずつ変化して、15年の周期で土星の環が見えなくなる(環の厚さが5~30mとあまりにも薄いため)。環が見えなくなる時期が今年2009年。輪っかのない土星を見てみたいニャ~!そうだ、来週の土曜日の観望会に出席しよう!土曜に土星の観望、楽しみだニャ~。どうか当日、晴れますよ~に!

 ・・・ 今年のキーワードは 『 解 』 ・・・

(チビの日記!!チビのお出かけ 184 )




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by chibi-papa | 2009-03-20 18:58 | チビのお出かけ  

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