平将門の首塚(183) 21・02・14

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大手町にある「将門の首塚」

 まだ2月だというのに今日は初夏のようなポカポカ陽気。今から千七拾年前(940年、平安中期)の今日2月14日、平将門ノ乱が鎮圧された。そして将門の首は平安京へ運ばれ三条河原に晒された。
 晒された首は「我が胴体はどこにある~」と叫び続けた。と、ある晩その首は空高く舞い上がったかとおもうと胴体を求めて東の空に飛んでいった。そしてその首が落ちた神田橋付近に葬られた。
 それから数百年経った鎌倉時代末期に、疫病が流行した。これは将門の祟りに違いないと、1307年にある僧が将門の霊を供養してそこに石塔を建てた。将門塚(しょうもんづか)は大手町のオフィス街の一角(左:三井物産ビル、奥:三井物産別館、左:大手町ランディックビル)にある。


神田のカンダは将門の胴体、つまり「カラダ」が変化したものと謂れている。

将門塚のあるこの場所は江戸時代、酒井雅楽頭(さかいうたノかみ、大老・酒井忠清)の上屋敷の中庭であった。また歌舞伎の「伽蘿先代萩(めいぼく せんだいはぎ)では、この酒井雅楽頭邸で伊達騒動(仙台伊達家の3代藩主の時に起きたお家乗っ取り騒動)の審理が行われた。

 第50代・桓武天皇(かんむてんのう、在位781~806)の血筋を引く平将門(たいらノまさかど)は、下総国佐倉に生まれる(903~940)。そして、平安京へ上り右大臣・藤原忠平(ただひら、880~949、後に左大臣、太政大臣)と主従関係を結ぶが、父が急死したため領国に戻った。そこで、同族同士の抗争に巻き込まれ、それに端を発して常陸国衙(こくが、国府のこと)、下野国衙、上野国衙を次々と攻略、印と鑰(かぎ、蔵門の鍵)を奪っていった。将門が敵としていたのは、その地を治める横暴な国司や受領であって、決して朝廷ではなかった。藤原忠平の恩義を忘れていなかったのである。

 
やがて東国一帯に勢力が広がると、将門は新皇(しんのう)を名乗って、国守や役人を任命し始めるようになる。時を同じくして西国・瀬戸内海では藤原純友(すみとも)が反乱を起こしていて、東の将門西の純友が通じ合って上洛して来たら一大事と、朝廷はまず「将門討伐」の命令を下した。
 それに応じて兵を挙げたのが平貞盛・俵藤太の連合軍。戦の真っ最中、一本の矢が放たれた。その流れ矢が将門のこめかみを射貫いた。


平貞盛(たいらノさだもり)が在京中に父が従兄弟の将門に討たれた(935年)ため帰国し将門と対立。その5年後に俵藤太と連合軍を組み、将門を討伐する。平貞盛はのちに平将軍と称せられ、西国は平家に、東国は鎌倉幕府の執権・北条氏に繋がるも、系図がはっきりしない。

俵藤太(田原藤太とも、たわらノとうた) : 百足(むかで)退治の伝説で有名。将門討伐の功により下野、武蔵の2ヶ国の国司となる。源氏、平家と並ぶ武門の棟梁として多くの家系を排出した。

940年、平将門ノ乱を鎮圧した将門討伐軍が翌年帰京すると、同年、朝廷は討伐軍を西に向け藤原純友ノ乱を鎮圧した。

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平将門の霊を祀る神田明神

 伝説では晒された首は胴体を求めて飛んでいったということになっている。それは兎も角、三条河原から持ち去られた将門の首は神田橋付近に葬られていたが、鎌倉時代末期には石塔を建てて鎮魂しただけでなく、その2年後の1309年に、大黒様と恵比寿様を祀っている神田明神に平将門を祀ったのでした。

奈良時代の730年に創建された神田明神は当初、大手町の将門塚付近にあったが、江戸時代初期の1616年に現在地の外神田2丁目に遷座(せんざ、神仏の座を他へ移すこと)した。

 明治7年、明治天皇が神田明神に行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆賊である平将門が祀られているのはまずいということになった。そこで祭神から外され摂社に遷(うつ)された。時代は移り昭和51年(1976)、将門を主人公にしたNHK大河ドラマ 『風と雲と虹と』 で祭神復帰の機運が高まり、昭和59年に本社祭神に復帰した。

『風と雲と虹と』 : NHK大河ドラマ第14作。原作:海音寺潮五郎。将門役に加藤剛、貞盛役に山口崇、藤太役に露口茂、忠平役に仲谷昇、純友役に緒形拳。

 ところで、神田明神の崇敬者は成田山を参詣してはならないとされている。それは、将門討伐にあたって朝廷は成田山新勝寺に調伏(ちょうぶく)の祈祷をさせたということで、成田山を参拝することは将門を苦しめることに繋がるからだという。 

 
平成17年11月3日(チビのお出かけ 29に成田山新勝寺を参詣しているチビはどっちの味方なの?
 どっちの味方なのか以前に、将門の評価自体が古代の朝敵から中世の崇敬対象へ、さらに明治時代の逆賊視、そして現在は英雄視と揺れ動いている。時の権力者が変わっても塚は残った。そこには関東に生きる者の心に根ざした何かがある。


・・・折しも結婚式がおこなわれている。「弱きを助け、強きを挫く」将門様に愛を誓ったのか。それとも大黒様、恵比寿様なのか、全てになのか。いずれにしても、新郎・新婦おめでとう!

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湯島天神の梅祭りで一人舞台

 大手町の将門塚と神田明神、それと菅原道真を祀る湯島天神は位置も道路も一直線でつながっている。
 903年に亡くなった菅原道真の怨霊はとても恐れられた。その四拾年後の940年、志半ばで命を絶たれた将門の怨霊はその道真の怨霊を取り継ぐことによって、怨霊に凄みを持たせようとした怨霊伝説で繋がっている。


菅原道真が大宰府で没した年に平将門が生まれていることから、将門は道真の生まれ変わりなのか。

「将門記」によると、将門に皇位を授けるお告げという場面で道真の霊が登場する。

菅原道真については平成18年7月1日 チビの愛唱歌♪18 を見てね。

 湯島天神の梅は今が見ごろ!! 

・・・ 今年のキーワードは 『 解 』 ・・・
(チビの日記!!チビのお出かけ 183 )
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by chibi-papa | 2009-02-14 19:24 | チビのお出かけ  

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