(180) 21・01・17 京王沿線Walking 6
2009年 01月 17日
久しぶりに京王沿線ウォーキングに参加した。今回は、武蔵野の冬と烏山寺町を訪ねて 久我山駅をスタート、井ノ頭恩賜公園→山本有三記念館→玉川上水緑道→牟礼ノ里公園→大盛寺別院→高源院→医王寺そして八幡山駅までの11、5キロメートル。
「 真っ直ぐお進みくださ~い 」 「 ちょっと狭いので気をつけてくださ~い 」 道案内を買って出る。右は玉川上水。
牟礼ノ里(むれのさと)公園で小休止。1本だけ梅が満開。なんか得をした感じ。来てよかったニャ~!
※ 山本有三記念館については平成18年9月3日の チビのお出かけ 71 を見てね。
※ 玉川上水については平成19年4月1日の チビのお出かけ 103 を見てね。
三鷹市牟礼にある大盛寺別院には、童謡 「赤とんぼ」 を作詞した三木露風(みき ろふう、明治22年~昭和39年)が眠っている。享年75。
この詩は三木が7歳のとき実家に帰ってしまった母への慕情と、故郷の播磨平野への思いを馳せて、三木自身が子守に背負われて見た風景を歌っている。
♪赤とんぼ 〔作詞〕三木露風 〔作曲〕山田耕筰
一、
夕焼 小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
二、
山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだのは 幻か
三、
十五でねえやは 嫁に行き
お里の便りも 絶え果てた
四、
夕焼 小焼の 赤とんぼ
止まっているよ 竿の先
※ 歌詞の訳
・(4番の歌詞) 中年になった私(三木露風)がトラピスト修道院の窓から見ていると、竿の先に赤トンボが止まっている。眺めていると幼い頃の記憶が次々と甦ってくる。
・(1番の歌詞) たぶん子守りの姐や(ねえや、下女のこと)におんぶされて赤トンボを見たことがあったが、あれはいつのことだったろうか。
・(2番の歌詞) 山の畑で桑の実を摘んだことがあったような気がするが、あれは夢だったのだろうか。
・(3番の歌詞) 姐やはずいぶん若くして嫁に行ってしまったなぁ。いつしか私の実家との繋がりも途切れてしまい、私は預けられた親戚の家で独りぼっちでいたなぁ。
いよいよ26の寺院が並ぶ烏山寺町に入る。大正12年(1923)の関東大震災の後、下町で焼け出された22の寺院が集団移動してきたのが始まり。世田谷の小京都と呼ばれている。
「 小鴨ったら、こんな格好して泳いでいるニャ~ 」
ここは高源院の鴨池。小鴨がシベリアから越冬のため ここに飛来して来るから鴨池。
この寺はその昔、品川湊(北品川1丁目)の近くにあった。暫く無住であったが昭和11年に復興計画を立て、品川湊に流れる目黒川、そしてさらに上流の烏山川の源流のこの地に移転してきた。湧出する箇所を掘って池にし、その中央に弁財天を奉安した。
開基は久留米藩4代藩主・有馬頼元(ありま よりもと、1654~1705)。頼元は祥雲寺(赤坂溜池から広尾に移転)の怡渓和尚(いけい おしょう)を慕い仏道に帰依し、久留米に東林寺を、江戸は品川に高源院を建立した。時は第5代将軍・徳川綱吉の治世のころであった。
834年(平安時代初期)に弘法大師が東国を巡行した際に彫った薬師如来像を、ある和尚がこの上高井戸に草庵を建て本尊として安置したといわれている。「眼病に効く薬師さま」 ということで、チビのお目目もパッチリ。
元は甲州街道と旧 人見街道(古 府中道)が交差する辺りにあったが、明治の初め廃寺となり本堂は高泉学校(現 高井戸小学校)として使用された。そして関東大震災(大正12年)の翌年に今の場所に再興された。
ゴールの八幡山駅まであともう少し。
※ 人見街道については平成20年2月11日の チビのお出かけ 142 を見てね。
・・・今年のキーワードは 『 解 』 ・・・
(チビの日記!!チビのお出かけ 180 )
by chibi-papa | 2009-01-17 18:23 | チビのお出かけ