(179) 21・01・10 “大白鳥” や~い

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オオハクチョウはどこ?

 4羽(成鳥2羽、幼鳥2羽)のオオハクチョウが石神井池(しゃくじい いけ)に飛来したとのニュースが流れた。東京にまでオオハクチョウが飛んで来るのは非常に珍しい。そこで午後、観に出かけた。

 石神井池の方にはいないニャ~。三宝寺池に移動したのかニャ~。オオハクチョウはどこ?どこ?どこにいるの?


三宝寺池 : 井ノ頭池、善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られている。今でも武蔵野台地からの地下水が湧き出ている。

石神井池 : 三宝寺池からの水路を昭和8年(1933)に人工的に堰き止めて池としたもの。ボート池。

石神井公園 : この2つの池を中心とした風致地区。三宝寺池の水量が減ったため、現在は浄化したうえで循環させていて、普段は石神井川へ接続していない。

石神井公園駅 : 西武池袋線は立体化を進めていて、既に石神井公園駅の手前まで完成している。石神井公園駅は現在、改良工事中。
昨年6月に開業した副都心線と相互乗り入れしていて、小竹向原駅経由で渋谷駅まで直通運転となっている。ただし、桜台駅・小竹向原駅間(2、6キロ)は西武鉄道(西武有楽町線)で、東京メトロとの間には連絡運輸による割引がない。
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オオハクチョウはどこかに飛び去った

 三宝寺池の隅から隅まで捜したがどこにもいない。今日の昼過ぎ、どこかへ飛び立ってしまったという。残念!
 
 オオハクチョウはシベリアやオホーツク海沿岸で繁殖し、越冬するために北海道や東北地方にやって来る。去年、新潟県阿賀野市の瓢湖(ひょうこ)がラムサール条約の登録湿地に登録された。
 それがどうして東京にまで南下して来たのだろ~。そして、南下し過ぎたのに気がついて戻っちゃったのかニャ~?それとも野次馬が多くてびっくりしちゃったのかな?ボクは野次猫かな?


渡り鳥 : 繁殖地と遠く離れた越冬地の間を定期的に往復する鳥。春夏に繁殖するか、越冬するか、通過するかにより、冬鳥、夏鳥、旅鳥に分ける。
夏 鳥 : 南方から日本に渡来して繁殖して雛を育て、秋に南方の越冬地に去る渡り鳥。燕、時鳥(ホトトギス)、郭公(カッコウ)、鷺(さぎ)、水鶏(くいな)、葦雀(よしきり)、仏法僧(ぶっぽうそう)、駒鳥(こまどり)など
冬 鳥 : 北方から日本に渡来して越冬し、春に北方に去ってそこで繁殖する渡り鳥。雁、尾長鴨(おなががも)、金黒羽白(きんくろはじろ)、鶫(つぐみ)、白鳥、隼、鶴、ツリスガラなど
旅 鳥 : 繁殖地と越冬地の間を往復する途中一時的に生活するが、繁殖も越冬も日本でしないで通過する渡り鳥。鴫(しぎ)、連雀(れんじゃく)など 

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石神井城跡

 オオハクチョウには会えなかったけれど、三宝寺池の脇に石神井城跡の石碑を見つけた。かつて、豊島氏の居城は三宝寺池と石神井川に挟まれた台地に築かれていた。
 豊島氏は平安時代末期から練馬城と石神井城(練馬区)それに平塚城(北区)を中心に大きな勢力を持っていた。しかし室町時代後期、石神井城は太田道灌に攻められて落城し、その後は廃城になった。

 
 関東管領勢(かんとう かんれい ぜい)と古河公方勢(こが くぼう ぜい)との抗争において、豊島氏は古河公方勢と手を結んだことにより、江戸城・川越城(共に1457年築城)を拠点とする関東管領勢の太田道灌にとっては、豊島氏の石神井城と練馬城の存在によって江戸城と川越城の間の連絡が絶たれるという事態となってしまった。
 それを打開すべく太田道灌は、江古田・沼袋原ノ戦い(えごた ぬまぶくろはら ノ たたかい、1477年)で豊島氏を撃破、そのまま練馬城と石神井城を攻め落とした。


 翌年、豊島氏は平塚城から再挙したが、太田道灌に平塚城も攻め落とされてしまった。そこで、豊島氏は横浜市港北区の小机城に逃げ込んだが、追っ手に小机城を包囲され落城した。
 ここに豊島氏は滅亡。その4年後の1482年には関東管領と古河公方は和議を結び、三拾年間に及んだ関東ノ争乱は終結した。


 それから六拾年後の1546年、台頭してきた後北条氏(小田原北条氏) に古河公方・関東管領連合軍は川越夜戦でまさかの敗北を喫してしまう。1560年、時の関東管領は長尾影虎(ながお かげとら、後の上杉謙信)に出兵を要請(その翌年には上杉氏の家督と関東管領の位を譲渡される)。謙信が雪深い越後で関東地方のことを気にかけているシーンが、大河ドラマ「天地人」第2回(平成21年1月11日)に出てくる。

関東管領(かんとうかんれい) : 室町幕府が設置した鎌倉府の鎌倉公方を補佐するために設置した役職名で、代々 上杉氏が世襲した。鎌倉公方の下部組織でありながら、任命権は将軍にあった。
 
古河公方(こがくぼう) : 1455年、当時の鎌倉公方が鎌倉を離れ、下総国古河を座所とした。関東足利氏。(古河市は茨城県の最西端に位置するが、旧国界では下野国でなく下総国に含まれている)

豊島氏の石神井城、練馬城、平塚城はいずれも石神井川流域にあり、直線距離にして石神井城・練馬城間5キロ、練馬城・平塚城間9キロ。
練馬城は現在、遊園地・豊島園になっている。平塚城は上中里駅近くの平塚神社辺り(武蔵国・豊島郡の郡役所辺り)にあった。平塚神社の境内社には豊島氏を祀った豊島神社がある。

豊島氏の哀話は平成16年9月11日の チビのお出かけ 5 を見てね。

豊島氏の一族・赤塚氏の居城・赤塚城は平成18年12月16日の チビのお出かけ 91 を見てね。

豊島氏が古河公方勢についたのは、豊島氏の領域近辺に太田道灌が江戸城を築き、豊島氏の権益を脅かしたため。

江戸城の変遷は平成20年11月3日の チビのお出かけ 174 を見てね。(江戸氏4代?→太田道灌→小田原北条氏5代→徳川氏15代→大室氏4代)

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(チビの日記!!チビのお出かけ 179 ) 
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by chibi-papa | 2009-01-10 17:26 | チビのお出かけ  

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