東京時代まつり(174) 20・11・03 

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鎌倉武士が行く

 京都時代祭は平安時代から明治維新の時代列だが、こちら東京時代祭は江戸時代(1590~1867、277年間)から東京に移るまでを中心に、30もの時代列が浅草の街を練り歩く(プラスで鎌倉時代も)。この時代祭りは、浅草の秋の風物詩。 

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江戸城築城・お石曳き

 徳川家康が江戸入りしたのが1590年の旧暦8月1日(八朔、はっさく、朔は一日のこと)。江戸時代、この日は 「お打ち入り」 の祝賀の日として、諸大名や旗本は白帷子(しろかたびら)を着て江戸城に登城し、祝詞(のりと、祝辞)を述べたという。ところで、なぜ家康は江戸入りとなったのか。

 家康は三河国の生まれ。三河国、遠江国、駿河国、甲斐国、信濃国の五ヶ国を領有していたが、小田原征伐の論功行賞(手柄に応じて恩賞を与えること)として、それまで小田原北条氏(鎌倉時代の執権・北条氏と区別して後北条氏ともいう)の領地だった伊豆国と関東圏が与えられた。豊臣秀吉としては煙たい家康を、恩賞と言いつつ領地替えで遠くに追いやった。


小田原北条氏 : 室町幕府の御家人・伊勢氏の一族である早雲が駿河国の戦国大名・今川氏の内紛の際に現在の沼津市に足場を築いた。関東独立国を目指すため、鎌倉幕府の執権・北条氏の影響力を利用しようと、氏を伊勢から北条に改めた。その後、小田原城に本拠をに移した。(小田原)北条氏は5代続いた。

 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」(機が熟すまで辛抱強く待っていよう)の家康は、「天下を取りたい」などと本心を(おくび)にも出さず、この転封を甘んじて受けた。

三人を比較して 「織田が搗(つ)き、羽柴(豊臣)が捏(こ)ねし天下餅、座って食うは徳川家康」 などという。
ホトトギス(時鳥、不如帰)に譬えては、
信長の性格・・「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
秀吉の性格・・「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
家康の性格・・「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
と三人の性格を詠い分けしている。

 関八州(かんはっしゅう、武蔵国、相模国、上野国、上総国、下総国、安房国、下野国、常陸国)の安房には里見氏、下野には宇都宮氏、那須氏、常陸に佐竹氏などの戦国大名が群雄割拠していた。 

 本拠地を江戸城にすることを指図されたとはいえ、家康は難攻不落の名城・小田原城や 鎌倉幕府があった要塞堅固(ようさいけんご)な鎌倉を飛び越えて、駿河の駿府から江戸に居を移した。当時の江戸城は小田原北条氏の一支城にすぎず、そこは老朽化した城でしかなかった。 

 秀吉としては思惑どおり事が運んだと安堵したが・・・・その江戸が大発展するとは予想だにしなかったに違いない。家康には先見の明があったとしか言いようがない。

 まず、江戸城の修築工事が始められ、石垣となる石は東伊豆から切り出された。「お石曳き」 しているのは御徒町中学校の皆さんで~す。
  
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元禄花見踊り

 徳川家康は井ノ頭池を水源とする神田上水を開削して飲料水を確保し、道三堀や小名木川などを開削して物資を江戸城に運び込めるようにし、江戸城・西ノ丸、三ノ丸、吹上、北ノ丸の築造工事。日比谷入江の埋め立て。また、江戸を水害から守るため利根川東遷を号令した。そして遺言で、鬼門に東照宮を配置し、家康自らが神となって江戸を悪霊から護っている。

 第4代将軍・家綱は玉川上水を完成させ、こうして第5代将軍・綱吉の元禄には百万人規模の大都市に発展していった。
 花見は上野。第8代将軍・吉宗は庶民の行楽のために飛鳥山、墨田堤、御殿山(品川)、小金井堤にも桜を植えて花見の名所にした。花見にお弁当を持参する風習も一般的になっていた。踊っているのは、台東区華道茶道文化協会の皆さんで~す。


徳川宗家(将軍家)
 初  代 徳川 家康(いえやす)
 第 2代 徳川 秀忠(ひでただ)チビのお出かけ 78 を見てね
 第 3代 徳川 家光(いえみつ)チビのお出かけ 73 を見てね
 第 4代 徳川 家綱(いえつな)
 第 5代 徳川 綱吉(つなよし)
 第 6代 徳川 家宣(いえのぶ)チビのお出かけ 150 を見てね
 第 7代 徳川 家継(いえつぐ)
 第 8代 徳川 吉宗(よしむね) 紀州家
 第 9代 徳川 家重(いえしげ)
 第10代 徳川 家治(いえはる)
 第11代 徳川 家斉(いえなり) 一橋家
 第12代 徳川 家慶(いえよし)
 第13代 徳川 家定(いえさだ)
 第14代 徳川 家茂(いえもち) 紀州家
 第15代 徳川 慶喜(よしのぶ) 水戸家

 戦国時代、多くの武将が夢見た上洛。上洛して朝廷に認めてもらってそこから天下に号令を発しようと考える中で、家康は朝廷に媚びることなく、手練手管の限りを尽くしての権謀術数をめぐらす朝廷に巻き込まれないよう、京都から遠く離れた場所を選んで幕府を開いた。それも広大な関東平野に・・・

玉川上水は平成19年4月1日の チビの日記 103 を見てね。

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天下のご意見番・大久保彦左衛門

 大久保彦左衛門は三河国に生まれた戦国時代の武将。関ヶ原ノ戦い及び大阪ノ陣では、家康直臣の旗本として槍奉行を務めた。家康の死後も秀忠の上洛に従い、家光の代になっては旗奉行となって晩年まで武士としての生き方を貫いた。

「天下のご意見番」と呼ばれた所以(ゆえん)は、家康が臨終のときに 「彦左衛門の我儘(わがまま)無礼を許す。今後 将軍に心得違いがあるときは、彦左衛門に意見させよ」 と遺言したとある 。

 余生を送りながら常陸国・鹿嶋で大久保家の子孫に向けて 「三河物語」 を書き残した。門外不出の家訓書であったが、次々に写本され世間に広まっていった。 

「三河物語」 の上巻と中巻で徳川の世になるまでの数々の戦いの記録が、下巻では太平の世になってからの彦左衛門の率直な苦言などが記されている。

 大きなタライ(盥)に乗っての登城の場面を、直系の大久保榮司さんが務めています。

旗本以下の駕篭(かご)による登城禁止令が出されたが、 「かつて武功をあげた年寄りに対して駕篭を禁止するとは無礼千万。盥は駕篭にあらず」 と突っぱねた。これは講談でのお話。
 
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白鷺(シラサギ)が来る

 江戸の地名の 「江」 は日比谷入江の江、「戸」 は入口を意味し、 「日比谷入江の船着場」 = 江戸湊 からきている。この辺りには入江が多く、日比谷入江は桜田の台地に迫っていた。その台地に居館を構えた江戸氏は、平安時代後期に秩父地方から出た秩父党の一族であった。
 鎌倉時代は幕府の御家人となったが、室町時代に次第に衰えて本拠地を日比谷桜田から現在の世田谷区喜多見に移した。

 代わって江戸の地に入ったのは太田道灌(おおた どうかん 1432~1486)で、江戸氏の居館跡に江戸城を築いた。それは室町時代中期の1457年、今から五百五十年前のことであった。太田道灌の死後、扇谷上杉氏の衰亡と共に江戸城は小田原北条氏の支城となった。
 その後のことはご存知のとおり小田原征伐で小田原北条氏が亡びると、徳川家康が江戸城の修築に取り掛かり、徳川幕府は15代続いた。

 幕末、国内が騒乱状態となり1年半に亘る戊辰戦争が勃発。その原因は第121代・孝明天皇にあったといわれている。そして、大室寅之祐(おおむろ とらのすけ)(表の)明治天皇となって江戸城に入り、皇城(皇居)とされ、(表向き)大正、昭和、平成と4代続いている。


戊辰戦争(市川・船橋戦争)は平成19年10月14日の チビのお出かけ 129 を見てね。
戊辰戦争(会津戦争)は平成20年8月23日の チビの愛唱歌 ♪36 を見てね。
天皇家は神武天皇家(初代神武天皇~第25代)、継体天皇家(第26代継体天皇~第121代)、大室天皇家(第122代明治天皇~第125代今上天皇)と通算2千7百年続いている。
正確には、大室天皇家は大正天皇までで、昭和天皇は睦仁親王(裏の明治天皇)の子で、平成天皇は天皇家の系列外。そこで、孝明天皇→睦仁親王→昭和天皇の本来の北朝ラインに戻すべく、一昨年お生まれになった悠仁親王(ひさひとしんのう)に繋げることにした。

 チ ビアッ!サギ集団がこっちに来る~!

 パ パ あれは白鷺。サギはサギでも詐欺じゃないの。

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そして舞う

 パ パほら良く見てご覧。白い鷺の頭を模(かたど)った冠を被(かぶ)って、白の上衣に水色の伊賀袴を着けているね。
 
 チ ビ翼を広げて優雅な舞だニャ~。羽根は何枚あるかというと、・・・中心の1枚の左右に17枚ずつで、全部で35枚あるニャ。

 パ パさすがチビは目が良いね。浅草寺の「白鷺の舞」は浅草寺絵巻の祭礼行列に描かれた鷺舞が基になっているんだよ。


 チ ビ鷺でなくて詐欺の話なんだけどさ、アメリカって詐欺師の集団だニャ~。

 パ パ何で?

 
チ ビだってさ~、アメリカはとうに自国での産業を諦めて金融に走った。そしてドンドン輸入して、その貿易赤字は国債(アメリカ財務省証券)を他国に売ってそれで穴埋めしたり、日本から金を巻き上げて回していたのさ・・・さらに投資銀行を先頭に立てて、射幸心を煽った博打のようなデリバティブ(金融派生商品)を考え出した。デリバティブの発行残高は6京円(京は億の1万倍)以上あると言われている。投資銀行は悪知恵の塊のようだ!

 
 パ パそれで今年9月の投資銀行・リーマンブラザーズの破綻でアメリカ経済の底が抜けたということか。

 チ ビそうだよ。アメリカがドンドン輸入するもんだから、日中韓は資源国から原料を輸入してドンドン輸出したさ。そして手にしたのは気がついたら紙切れ。これって国際金融システムを利用した国ぐるみの詐欺だよね。


 パ パそれが金融恐慌だけに留まらず、産業恐慌へと広がっていきそうだね。その件で、今月の15日に二十ヶ国による緊急首脳会議・G20がおこなわれるよ。
 
 チ ビ今から生活防衛しないと・・・まず、ボクの食糧の確保ダァ~!!

 ところで、明治維新によって江戸城を明け渡した後の徳川家はどうなったかというと、御三卿の一つ田安家の徳川家達が徳川宗家16代目を継ぎ、駿府藩主(静岡藩主)、公爵、貴族院議長として徳川の名を残した。現在の当主は徳川恆孝(横浜港振興協会会長、日本郵船顧問)

徳川宗家
 第16代 徳川 家達(いえさと) 田安家
 第17代 徳川 家正(いえまさ)
 第18代 徳川 恆孝(つねなり)

家康が 転封の地に 見た江戸は 広大な絵図 白鷺(はくろ)の如し (チビ)

(チビの日記!!チビのお出かけ 174 )
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by chibi-papa | 2008-11-03 23:28 | チビのお出かけ  

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