横浜北部・師岡(152)20・05・04 

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「い」ノ池

 東横線・大倉山駅から600メートルのところに師岡(もろおか)熊野神社がある。境内には「い」ノ池と「の」ノ池がある。
 「い」の字の形(上の部分が繋がっているが)をしているこの池を浚う(さらう)と、雨が降ると伝えられ、雨乞(あまごい)神事は今も8月1日に池浚い(いけざらい)をして弁天祭りを行なっているという。


・師岡熊野神社の社紋は、日本サッカー協会のシンボルマークと同じ八咫烏(やたがらす)
 

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師岡熊野神社・本殿

 「い」ノ池の前の石段を登ると社殿がある。創建は平安時代初期の885年、第58代・光孝天皇(こうこう てんのう)の勅命によるもので、以後4代に亘る天皇の勅願所(勅命によって国家鎮護、玉体安穏を祈願した寺社)となった。
 現在の本殿は295年前の江戸時代中期の1713年(第7代将軍・徳川家継の治世)に建てられたもので貴重な建造物であるため、本殿をすっぽり包むように覆い保全されている。

 
法華寺 : 師岡熊野神社の隣は法華寺。もともとは熊野三社権現別当法華寺だったが、明治新政府の神仏分離政策により法華寺と熊野神社に分かれた。

師岡熊野神社 : 熊野権現を祭神とする横浜北部の総鎮守。石鳥居には勅額(光孝天皇が自ら書かれた額)掲げられていたが、関東大震災で割れてしまったため今はその写しが掲げられている。

師岡町周辺の地名の由来を尋ねてみると師岡熊野神社の祭礼の役割分担が決められていたことが分かる。
・獅子ヶ谷 : 祭礼の際に獅子舞を司っていた。
・樽 町 : 祭礼の際のお神酒(おみき)を献上する地区であった。
・駒 岡 : 神馬を奉納する地区であった。
・大豆戸(まめど): お供え物の豆を奉納する地区であった。
・大 口 : 勅使が大口袴(おおくちばかま、束帯装束の表袴の下に履く下袴)を着替える所だった。

皇居馬場先門にある文化的価値の高い明治生命館(竣工昭和9年)を保全するため、ビルをすっぽりビルで覆ってしまうと聞いた。師岡熊野神社・本殿の保全方法と同じ発想だ。

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「の」ノ池

  本殿裏手、権現山の登り口に水溜りのような小さな「の」ノ池がある。「の」の字に見えなくはない。
 その昔、落雷で出火した時、この池の水によってご神体を守ったということで、神池として祀ってある。また正月14日の筒粥神事はこの池の水を使っておこなっているという。


筒粥神事(つつがゆ しんじ) : 竹筒を入れて粥を煮て、筒の中に入った米粒の数で作柄や豊凶を占うという神事。第62代・村上天皇在位の949年(奈良時代)以来現在まで1千年以上も続いており、横浜市の無形民族文化財に指定されている。

「ち」ノ池 : 「い」ノ池から直線距離で350メートル離れた樽町と大曽根の境にはかつて用水池があり「ち」ノ池と名付けられていた。これらを繋げて「いのち」ノ池と呼ばれたが、「ち」ノ池は現在、大曽根第二公園として子供の遊び場になっている。

 権現山を登ると広場がある。そこから「い」ノ池まで一旦降りてから天神山を走破。途中の天神平広場で小休止。ボクは「蟹かまスライス」、パパは明日5月5日は端午の節句だからと言いながら「かしわ餅」を食べる。

チ ビ; 何で子供の日に柏餅を食べる習慣があるの?

パ パ; 柏は新しい葉が芽を出すまで古い葉は落ちないんだよ。だから柏の葉に子供の成長を見届けたいという思いを込めているんだ。

チ ビ; そうなんだ~。パパ~!ボク、いいニャンコでいるからず~っと見守っていてね。
 

 天神山の山裾にある杉山神社を出ると大規模商業施設の「トレッサ横浜」がある。施設の一部分はペットOKだった。小雨が降ってきたので、ここで暫し雨宿りしてから二ツ池に向かう。


権現山と天神山の森を「熊野神社市民の森」(5、3ヘクタール)という。
市民の森制度とは横浜市独自の緑地を保存する制度で、緑を守り育てると共に山林所有者の協力を得て市民に憩いの場として利用できるようにするというもの。山林所有者には緑地奨励金が与えられ、固定資産税が減免される。今年の4月1日現在で28ヶ所、445ヘクタールある。

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二ツ池

 鶴見川の水は満潮時には海水が逆流してきて灌漑用水として利用できないので、三ツ池や二ツ池などの溜池がある。
 二ツ池は獅子ヶ谷と駒岡の境にあって、元は一つの溜池であったが二つの村の間で水争いが起こり、池の中央部に堤を築くことで決着し、現在の二ツ池となったという。写真の池は獅子ヶ谷村用の溜池で仕切りの向こうの池が駒岡村用の溜池。現在は水田が見当たらないので溜池の利用程度は不明。


 二ツ池から兜山越えで獅子ヶ谷横溝屋敷を目指したが道がわからなくなってしまった。土地の人に道を聞いたが迂回をなぜか勧められたのでそれに従った。

今から12万年前の間氷期(かんぴょうき)を下末吉期といい、海岸線がかなり内側に入り込んでいた。師岡あたり一帯も海だった。そして権現山・天神山・兜山などが島のように海に浮かんでいた。その証拠に下末吉層といわれる粘土層からは貝の化石が見つかるという。

下末吉(しもすえよし) : 間氷期には海抜50メートルの下末吉台地が海岸線だった。地質学には関東地方の台地形成に関する「下末吉面」という用語があって、その名称は横浜市鶴見区下末吉に由来している。

獅子ヶ谷は古くは師岡郷といい、師岡村から分離した地区。

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獅子ヶ谷横溝屋敷・表門

 横溝屋敷は旧横溝家住宅で、横溝家は江戸時代を通じて代々、獅子ヶ谷村の名主を務めていた。昭和59年(1934)に横溝家文化調査団による調査がおこなわれ、平成元年(1989)に整備工事が完了し一般公開された。
 表門(長屋門)の通路を挟んで右側が納屋、左側が二連倉の穀物庫になっている。穀物庫は村内の年貢の預かり庫で、一つは米用、もう一つは雑穀用。

 表門を含む5棟の屋敷構えが江戸時代の農村生活の原風景を残している。


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黒く見える西戸谷池

 「獅子ヶ谷せせらぎの小径」を遡(さかのぼ)って行くと西戸谷池に突き当たる。この池の水はせせらぎの補充水としてポンプで地下水を汲み上げている。
 この地域の地下水が茶褐色なのは、地下に堆積した落ち葉などが腐食して有機物が溶け込んでいるためだと考えられている。


 永昌寺、師岡町公園に寄って大倉山駅に戻る。

(チビの日記!!チビのお出かけ 152 )
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by chibi-papa | 2008-05-04 18:52 | チビのお出かけ  

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