下高井戸の塚山遺跡(141)20・02・11 

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塚山公園内の復元された竪穴住居

 神田川によって侵食された舌状台地に縄文時代・中期(約3500年~4500年前)の集落跡があった。さらに、ローム層から多数の石器が出土した。このことから旧石器時代(約3万年前)からここに人が住んでいたことになる。このように旧石器人の生活と縄文人の生活とが、一つの遺跡で確認できる遺跡のことを複合遺跡という。

 復元された竪穴住居は不燃化材で建てられていて、床上中央部に「石囲い」の炉を掘り込み、住居の四隅がやや円くなっている。ここに3人から4人が生活していたようだ。
 管理事務所内には石器や縄文土器が展示されている(ここにあるのはレプリカで本物は区歴史博物館に所蔵されている)

 縄文時代・中期が終わってから約2800年後の鎌倉時代、台地の東斜面下に鎌倉街道が造られ、さらに7百年後、この台地は朝日新聞社の所有物で、林に囲まれたグランドになっていた。朝日新聞社は昭和48年にこの台地と築地の国有地と交換した。そして交換して得た築地に昭和55年新社屋を建て有楽町から東京本社を移した。
 他方、国有地となったこの台地は、12年後に区へ払い下げられ昭和63年に公園として開園した。


・ 昭和初期から土器が見つかる。
・ 昭和10年(1935)、古代の集落跡であることが考古学者によって紹介される。
・ 昭和13年(1938)、本格的な発掘調査がおこなわれ4軒の竪穴住居跡が発見される。
・ 昭和44年(1969)、台地の東斜面が調査され住居跡1軒が発見される。
・ 昭和48年(1973)、西斜面が調査され住居跡20軒が発見された。一連の調査から塚山遺跡が縄文・中期の環状集落であることが解った。
・ 同年、ここ朝日新聞社の所有地と築地の国有地とを等価交換。大蔵省がここに公務員住宅を建てようとしたが住民の反対運動が起こった。
・ 昭和60年(1985)、国は公務員住宅建設計画を諦め、杉並区へ払い下げる。
・ 昭和63年(1988)、区立塚山公園として開園する。

 鎌倉に一大事あらば 「いざ鎌倉!」 と馳せ参じたのであろう鎌倉街道を南に暫く行くと、庚申堂がある。江戸時代、第5代将軍・徳川綱吉 治世の元禄8年(1695)に庚申塔が建立されたとある。もう少し南に行くと土手のようなのがある。これは第4代将軍・徳川家綱が治世の1653年に造られた玉川上水で東西に延びている。この辺りは掘削するのではなく土盛りして上水を通していた。
 そして甲州街道に突き当たる。標識に鎌倉街道入口とある。日本橋から数えて4里目(16km)で、一里塚があったという。

 一方、鎌倉街道を北に行くと、直ぐに鎌倉橋があり、柏ノ宮公園入口、鎌倉橋坂上、鎌倉通りとバス停が続き井の頭線・浜田山駅に至る。


環状集落 : 住居が円形状に広がった形で構成された集落。

柏ノ宮公園(かしのみや こうえん) : 平成11年(1999)日本興業銀行への公的資金導入に伴い、厚生施設の処分がおこなわれることになり、ここにあった柏ノ宮総合グランドを杉並区に売却し、みずほ銀行に統合(平成14年)。区は3ヵ年の工事で防災機能を備えた公園に整備して平成16年(2004)に開園した。面積は43,000平方メートル。

玉川上水については平成19年4月1日の チビのお出かけ103 を見てね。

(チビの日記!!チビのお出かけ141)
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by chibi-papa | 2008-02-11 15:47 | チビのお出かけ  

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