お台場でタイムスリップ(138)20・01・12
2008年 01月 12日
お台場の商業施設・デックス東京ビーチに昭和30年代をイメージしてレトロ(retro)の町並みを再現した「台場一丁目商店街」がある。昨年11月25日にリニューアルしたばかり。
※お台場にミニーマウス姿で現れたことはチビのお出かけ26を見てね。
アイボリーホワイトとブルーの2色に塗られた新幹線0系は東海道新幹線開業時に開発された初代の車両で、東京オリンピック開会(10月10日)直前の昭和39年(1964)10月1日に「夢の超特急」として華々しく登場した(写真は仮想駅・昭和駅での開通式典)。
※戦前の「弾丸列車計画」が下敷きになっている。昭和12年、盧溝橋事件が勃発し日中戦争が始まった。その年、時速200kmで東京・下関間を9時間で結ぶ弾丸列車計画がまとめられた。昭和16年から工事着手、新丹那トンネル建設も始まったものの、戦争激化で工事中止となった。それが戦後、東海道新幹線の建設へと引き継がれていった。
※開業直前まで「東海道高速線」と名付けられる予定だったが、既に広まっていた「東海道新幹線」に寄り切られた。土壇場での変更だったため、東京駅では表示板の修正が間に合わず、「高速線」の文字の上に「新幹線」と書いた紙を貼って対応したという。
それまでの特急は東京・新大阪間を6時間半だったのを、0系(ぜろけい)は3時間10分で結び(最高速度210キロ、現在は最高速度270キロで2時間25分)大幅に短縮した。まさに夢の超特急。旅客機を思わせる先頭部を持つ0系は日本の鉄道の最高傑作といわれ、昨年7月には機械遺産として認定された。
愛嬌がある丸い鼻。今でこそ団子っ鼻なんて言われるけど当時は憧れの流線形だった。その0系車両は昭和61年までに3216両も製造され、今でも山陽新幹線でわずかに運行されている。が、それも今年の11月末で運行を終了し、初代新幹線は44年間の歴史に幕を引く。
※機械遺産 : 財団法人日本機械学会が機械技術の発展に貢献したとして認定するもので、東海道新幹線0系電動客車の他に旅客機YS11、10A型ロータリエンジン、ホンダカブ号F型、コマツブルドーザーG40、オリンパスガストロカメラGT-1などがある。
※東京オリンピックについてはチビの愛唱歌♪30を見てね。
郵便受けからすると、光太郎さん宅は奥さんの輝子さんと娘さんの照代さんの3人暮らしのようだ。
牛乳箱に乗って板塀越しにお宅を拝見すると、足踏み式ミシンに白黒テレビそれに、ちゃぶ台が見える。
先ほどまでは夕日が眩しかったが、今はもう太陽が沈む間際のシーン(数分おきに照明が変わる)。ボクのお尻のあたりに東京タワーが写っている。公園には遊具、子供用自転車とか砂場がセットされている。
東京タワー(正式名称は日本電波塔)は昭和33年(1958)に完成した。高さは333メートル(東京全域に電波を送るギリギリの高さ)でパリのエッフェル塔の324メートルよりも高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。使われた鋼材は4200トン。
(チビの日記!!チビのお出かけ138)
by chibi-papa | 2008-01-12 19:37 | チビのお出かけ