人気ブログランキング | 話題のタグを見る

渋谷の鍋島藩と薩摩藩(113)19・05・13 

渋谷の鍋島藩と薩摩藩(113)19・05・13 _e0031605_14553127.jpg
松涛園のお茶

 東急百貨店から4、5分の所に鍋島松涛(なべしま しょうとう)公園がある。池を中心とした小ぢんまりとした公園だ。このあたり一帯は紀州藩の下屋敷があったが、明治5年(1872)に佐賀の鍋島家が買い上げ、

  ♪~色は静岡、
    香りは宇治よ
     味は狭山でとどめさす~♪

と謳われる狭山茶を狭山から取り寄せて明治9年、茶畑の経営に乗り出した。そしてこの茶畑を松涛(しょうとう、茶の湯の沸く音を意味する)と名付けた。
 しかし、明治22年(1889)に東海道本線(東京・神戸間)が全通したことにより静岡茶や宇治茶が流入してきて、渋谷のお茶「松涛園のお茶」は市場から姿を消していった。そして今は、鍋島松涛公園がある高級住宅街になっている。

 それにしても、渋谷が一時期であるにせよ、お茶の産地だったとは意外だニャ~!


渋谷の隣の代々木でも、維新後に茶園を開き代々木茶が評判となったが、やはり静岡茶の大量流入により姿を消してしまった。

 
渋谷の鍋島藩と薩摩藩(113)19・05・13 _e0031605_14554429.jpg
鍋島松涛公園

 現在の渋谷区松涛1丁目と2丁目のほとんどが紀州藩の下屋敷だった。明治新政府になって(廃藩置県は明治4年)江戸にあった大名屋敷は空っぽになってしまった。それというのも大名の江戸詰めの必要がなくなったからだ。そんな中にあって元鍋島藩の鍋島家がこの下屋敷を買い取り、職を失った武士を雇い入れ、政府が生産を振興していた茶を植えた。
 池は湧き水で三田用水と共に灌漑用に利用されて、渋谷センター街の奥の突き当たりで宇田川に合流し、最終的には渋谷川に流れ込んでいた。池は大きさも当時のままであるが、湧き水の量は減っている。

 渋谷区が誕生した昭和7年(1932)、庭園部分が東京市に寄付された。東京市では鍋島家の名を残し「鍋島松涛公園」とした。


鍋島藩(佐賀藩、肥前藩ともいう) : 肥前国(ひぜんのくに)にあった藩。藩主は鍋島氏で外様大名、石高は35万7千石。明治維新を推進した薩長土肥(さっちょうどひ、薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩)のひとつ。
佐賀化け猫騒動(ばけねこ そうどう)、葉隠聞書(はがくれ ききがき)が有名。早稲田大学を創立した大隈重信(おおくま しげのぶ)は佐賀出身。大隈重信については平成18年4月15日のチビのお出かけ 43 を見てね。


 パ パ そろそろ「おはら祭」が始まるよ。急ごう!

 チ ビ 「おわら 風の盆歌」で有名な富山県八尾(やつお)の?

 パ パ それは「越中おわら節」。今日のは「鹿児島おはら節」。急ごう!水森かおりが出るよ!

渋谷の鍋島藩と薩摩藩(113)19・05・13 _e0031605_14555883.jpg
渋谷・鹿児島おはら祭

 シブヤ109(東急の商業施設)を軸として文化村通り(ぶんかむらどおり)と道玄坂(どうげんざか)で「第10回渋谷・鹿児島おはら祭」が今始まろうとしている。「東京世田谷鹿児島県人会踊り連」の皆さんで~す。

 スペシャルゲストとして水森かおりが登場!

 チ ビ テレビで見る顔と同じだね。

 パ パ 当たり前でしょ。本人なんだから。

 チ ビ みもり~ん!パパが好きな 『 鳥取砂丘 』 をお願いしま~す!

 パ パ 今日歌うのは鹿児島のご当地ソングと決まってるの!

 流れてきた曲は先月リリースされたばかりの 『 ひとり薩摩路 』

 チ ビ ♪春は桜の 薩摩路を 行けば涙が こぼれます~

 パ パ 一緒に歌わないで黙って聞いていなさい!

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 万雷の拍手。

 チ ビ ヨッ!ご当地ソングの女王!

 パ パ ご当地ソングだけあって、歌詞の1番では出水(いずみ)の鶴の里(ナベヅルなど鶴の飛来地)、2番では指宿(いぶすき、砂蒸し風呂)と枕崎(カツオ漁を中心とした遠洋漁業の基地)が、そして3番で鹿児島と桜島(今でも小規模な噴火を断続的に繰り返している)が出てくるね。

 さあ、パレード開始。踊り連は全部で57連。一斉に踊り出す。

渋谷の鍋島藩と薩摩藩(113)19・05・13 _e0031605_1311011.jpg
鹿児島おはら節

 丸に十字の旗(轡十字、くつわじゅうじ、薩摩藩の旗)が行く。西郷隆盛に扮した人が愛犬ツンのつもりの玩具(おもちゃ)を引いて行く。「鹿商&女子高(鹿児島商業高校と鹿児島女子高校)」の襷(たすき)をかけた連も行く。エッ、女子高生?アァ~当時のね。

  ♪鹿児島おはら節 [編曲] 中山 晋平

 花は霧島 煙草(たばこ)は国分(こくぶ)
 燃えて上がるは オハラハー 桜島
 ハ ヨイヨイ ヨイヤサット

 見えた見えたよ 松原越しに
 丸に十の字の オハラハー 帆が見えた
 ハ ヨイヨイ ヨイヤサット

 西郷隆盛 おいらの兄貴
 国のためなら オハラハー 死ねと言うた
 ハ ヨイヨイ ヨイヤサット


 おはら祭は昭和24年に鹿児島市制施行60周年の記念として始まった。それは同時に戦後の町興し(まちおこし)の一環でもあり、南九州を代表するお祭りに発展していった。
 渋谷と鹿児島の結びつきは、渋谷一帯を統治していた豪族の渋谷氏が鎌倉時代に今の薩摩川内市(さつませんだいし)のあたりに領地を得たのがその始まり。
 その川内(せんだい)の渋谷氏の子孫・東郷平八郎(とうごう へいはちろう)は日露戦争の時、日本海海戦(明治38年、1905)で完勝した。没後、渋谷・神宮前の東郷神社に祀(まつ)られている。こういった縁で鹿児島の小原良祭りが渋谷でも行なわれている。


 渋谷氏については平成18年9月16日のチビのお出かけ 73 を、
日本海海戦については平成18年7月16日のチビのお出かけ 63 を見てね。

薩摩藩(鹿児島藩) ; 薩摩・大隈(おおすみ)の2国に日向(ひゅうが)の一部、それに南西諸島を領有していた藩。藩主は島津氏で外様大名、石高は77万石と加賀藩に次ぐ大大名(だい だいみょう)
 
 (チビの日記!!チビのお出かけ 113)
・・・今年のキーワードは「ロハスとグレイトコラボレーション」・・・

by chibi-papa | 2007-05-13 15:00 | チビのお出かけ  

<< (114)19・05・19 京... 大多喜城(上総)(112)19... >>