上総一ノ宮 (111)19・05・03 

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玉前神社(たまさき じんじゃ)

 上総一ノ宮駅(かずさいちのみや えき)から徒歩7~8分の所に玉前(たまさき)神社がある。
 室町時代の戦火で社殿、宝物(ほうもつ)それに文書(もんじょ)の多くを焼失してしまい、創建の年数などが分からなくなってしまった。しかし、平安時代・初期に纏(まと)められた延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にその名が載っていることから少なくとも1200年の歴史があることが分かる。
 鎌倉時代には上総国一ノ宮(かずさノくに いちのみや)としての格式を保った神社で、現在の本殿、拝殿、幣殿(へいでん)は江戸時代・中期に建てられた。
 社殿は珍しい黒漆塗りの権現造りになっている。壮大な神事(しんじ)の「上総裸まつり」が有名。


 『 玉浦の 太東崎に その名あり 社殿もチビも 黒の権現 』 (チビ) 

権現造り(ごんげんづくり) : 本殿と拝殿を幣殿でつないだ神社建築様式。権現とは仏が衆生を救うため現れた神のこと。
玉前の由来 : 九十九里浜を古くは「玉の浦」と讃え、太東崎(たいとうざき)を南端とするところから玉崎、それが玉前となった。

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東漸寺(とうぜんじ)

 玉前神社から徒歩15分ほど行くと東漸寺がある。ここには和宮(かずのみや)の駕籠(かご)が保管されている。
 皇女(こうじょ、天皇の娘)和宮は公武合体(こうぶがったい、幕末期に朝廷の伝統的権威と結びつき幕藩体制の再編強化を図ろうとした)のため有栖川(ありすがわ)親王との婚約を破棄されてまで、15歳で第14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)と婚儀をあげることになった。駕篭は京都から江戸に下る時に使用されたものである。


 なぜここに保管されているのかというと、一宮藩主がその時の供奉(ぐぶ、行幸などの行列に供をする)総奉行を勤め、その労のねぎらいとして駕籠を賜ったという。本堂外単の天井に保管されている駕籠を見せていただいた。菊の紋章がついた小ぶりの駕篭だった。

・ 1861年10月20日 京を出立(中山道廻り)
・ 1861年11月15日 26日間かけて江戸に到着
・ 1862年02月11日 婚礼


 幕末の激動期に15歳の和宮はどのような思いを持って、駕籠に揺られて江戸に来られたのであろうか。和宮の尽力によって江戸城は無血開城となり、江戸は戦火を免れたと言っても過言ではない。
 
 『 和宮 駕籠に揺られて お輿入れ 時代(とき)に揺られた 御歳十五 』 (チビ)

一宮藩(いちのみや はん) : 加納家は代々紀伊徳川家の家臣であったが、第11代将軍・徳川家斉(いえなり)の治世の時の1826年に一宮藩を興した。譜代大名、1万3千石。第2代藩主は公武合体運動を推進して活躍し、皇女和宮の供奉を仰せつかった。
第4代藩主は明治2年の版籍奉還(はんせき ほうかん、諸大名から天皇への領地と領民の返還)で藩知事となりその後、一宮町長となった(その子は戦後に千葉県知事を務めた)。明治4年の廃藩置県(はいはん ちけん)で一宮藩は廃藩となり一宮県となり、木更津県(きさらづけん)を経て千葉県に編入された。

皇女・和宮については平成18年(2006)5月の 「♪ 16 宮さん宮さん」 も見てね。 

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洞庭湖(どうていこ)

 水田が切れると梨畑が続く。その先に洞庭湖がある。徒歩30分くらい。江戸時代・初期に灌漑用に造られた人造湖だというが、天然の湖のようだ。
 チャイナの三大湖(洞庭湖、青海湖、太湖)からその名をとったという。


 『 連休に 一匹(ひとり)佇む 洞庭湖 まどろむ夢は チャイナの大湖 』 (チビ)

 (チビの日記!!チビのお出かけ 111)
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by chibi-papa | 2007-05-03 00:00 | チビのお出かけ  

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