(105)19・04・14 変貌をとげる秋葉原

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秋葉原UDX(Akihabara Urban Development X)ビルにて

 明治2年(1869)冬、ここ(当時の)神田花岡町一帯で大火事があり、焼け跡は火除け地(ひよけち)に指定され約4万㎡が空き地になった。翌明治3年、その一角に防火祈願の神社「鎮火社」が創建されたが、当時の人々は火伏せ(ひぶせ)の神様なら秋葉権現(あきば ごんげん)に違いないと思い込み、この火除け地を「秋葉ヶ原」(あきばがはら)と呼ぶようになってしまった。

 明治21年(1888)、「秋葉ヶ原」(正式には鎮火社の敷地)(当時の)日本鉄道会社に払い下げとなった(これによりここにあった鎮火社は台東区松ヶ谷に移転)。翌々明治23年、上野駅(東北本線の始点)から秋葉原まで貨物線が延長され秋葉原貨物取扱所が開業した。なぜここまで貨物線を延長したかというと、すぐ傍を神田川が流れているので、貨物駅に掘り割(ほりわり)を引いて水上貨物輸送の窓口にするのに都合が良かったからなんだ。
 その後、大正14年(1925)に秋葉原駅~東京駅間が開業し、旅客輸送もするようになった。さらに昭和7年(1932)にお茶の水駅~両国駅間が開業し、秋葉原駅は交通の要所となる(昭和10年に神田青果市場が設置される)


駅名を付けたとき「あきばはら」を「あきはばら」と誤植したらしい。時代が移り秋葉権現のことを知らなかったのだろう。でも、訂正されずに今日に至っているなんて面白いね!

日常会話では、「あきら」の略称として「あきは」でなく「あきば」が広く使われている、というころが面白いね!

昭和5年(1930)、鎮火社は俗称の秋葉神社を本名に改称してしまうところが面白いね!

Yahoo地図情報の「古地図東京めぐり」で明治時代に合わせると、水上貨物輸送の窓口だった掘り割りが見られるよ!
(昭和50年(1975)貨物営業が廃止された)

 戦後、東京電機大学(当時:電機学校)の学生に販売していたラジオ部品などを扱う店が総武線のガード下に集まったのが、今日の電気街の基となった。1960年代は高度成長にあわせて家電製品の販売店が多くなり、1980年代にはファミコンの普及に伴って、ゲームソフトを取り扱う店が増え始めた。平成元年(1989)、青果市場が大田区へ移転すると、その跡地には昨年(2006年)、秋葉原をIT産業の世界的拠点にするという秋葉原プロジェクトの下、秋葉原クロスフィールド(秋葉原UDXビル、秋葉原ダイビル、トウキョー・タイムズ・タワー)がグランドオープンした。

 平成17年(2005)には“つくばエクスプレス”秋葉原駅が開業し、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラ秋葉原店が開業した。戦前、このあたりは地下には地下鉄(銀座線)が、大通りには路面電車が、そして高架線には国電が走っていて互いに立体交差し、未来都市の象徴だった。そして今、再び未来に向かって羽ばたいていこうとしている。


平成18年(2006)に交通博物館が閉館、さらにアキハバラデパートも閉店になった。時代の流れを感じる。

昭和24年(1949)GHQの露店撤廃令は秋葉原周辺の約50軒の電器商にとって死活問題となった。そこに苦学生の「ヤマチョー」こと山本長蔵がGHQ(連合国軍総司令部)との交渉を買って出て、ここに商売の拠点を勝ち取った。
(今の秋葉原の人たちは山本長蔵の功績を忘れてしまったようだ。功績を讃えるようなものは何もない)

平成17年9月3日に開業間もない“つくばエキスプレス”に乗って筑波に行ったんだよ。チビのお出かけ(21)を見てね!
 
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朝霞駅前にて(19・04・15)

 おまけの写真 (お手手が可愛いでチョ)。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 105)
・・・今年のキーワードは「ロハスとグレイトコラボレーション」・・・


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by chibi-papa | 2007-04-14 23:35 | チビのお出かけ  

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