吉祥寺 お寺はどこ?(95)19・01・14

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JR吉祥寺駅・北口駅前

 吉祥寺(きちじょうじ)は武蔵野市にあって吉祥寺駅を中心とする繁華街、ジャズの街、それに漫画家が多く住んでいることで知られている。吉祥寺が付く町名は駅の北側に吉祥寺本町、吉祥寺東町、吉祥寺北町が、駅の南側には吉祥寺南町がある。

 チ ビ 井の頭池のある井ノ頭公園(いのかしら こうえん)って本当は三鷹市だけど、一般的には吉祥寺(武蔵野市)にある公園と思われているね。

 パ パ 人気のある地名だから吉祥寺駅から約1km圏を吉祥寺と呼んでいるんだよ。

 チ ビ 中央線沿線の高円寺駅にも国分寺駅にもそれぞれ高円寺、国分寺というお寺さんがあるけど、吉祥寺というお寺はどこにあるのかニャ~?

 パ パ お寺さんは文京区の本駒込(ほんこまごめ)にあるんだ。それも今から350年前の1657年(第4代将軍・徳川家綱の治世)に起きた「明暦ノ大火」(めいれき ノ たいか)で全焼して、神田駿河台(かんだ するがだい)から本駒込に移ったんだ。

 チ ビ 門前町(水道橋付近)に住んでいた人達も、お寺さんと一緒に本駒込に移ったんじゃなかったの?

 パ パ ところが、住民はここに集団で移って来たんだよ。

 チ ビ なぜお寺さんと一緒じゃなかったの?

 パ パ 明暦ノ大火を契機に幕府は大規模な都市計画を実施したんだ。そこで吉祥寺があった神田駿河台一帯を火除地(ひよけち)に指定して、お寺は本駒込(北に3km)に、住民には武蔵野(西に17km)のこの地を代替地として与えたんだ。

 チ ビ お寺さんとバラバラになっちゃたんだぁ~。それでこの土地に今まで慣れ親しんだお寺さんの名前を付けたというんだね。ねぇ~、これから本駒込の吉祥寺に行ってみようよ!

吉祥寺の歩み
・1659年(明暦ノ大火の2年後)、幕府からここの土地を与えられ(さらに5年間食料を与え、造宅費用は貸与するという条件付きで)吉祥寺門前町の住民が移住。すでに5年前に完成していた玉川上水を利用して農地とし、吉祥寺村が誕生する。(五日市街道があり、また井ノ頭池を見下ろす場所に第3代将軍・徳川家光が造営した御殿もあった。
・明治22年(1889)、後のJR中央線、甲武鉄道(新宿~立川)が開通。最寄り駅は武蔵境駅。
・明治32年、吉祥寺駅開業。
・大正 6年(1917)、井ノ頭公園開園。
・大正12年、関東大震災で都内からの移住で人口増。
・大正14年、成蹊(せいけい)学園が池袋から移転。
・昭和 8年、京王帝都電鉄 渋谷駅~井ノ頭公園駅間開業。
・昭和 9年、京王帝都電鉄 井ノ頭公園駅~吉祥寺駅間開業。
・昭和19年、吉祥寺駅北口一帯が強制疎開で家屋取り壊し。
・昭和20年、敗戦。駅前マーケット出現(ハモニカ横丁にその面影が)
・昭和40年、中央線の複々線高架工事始まる。
・昭和41年、駅周辺再開発案可決、ビルの建設ラッシュ始まる。

五日市街道 : 江戸初期に五日市(現:あきる野市)や檜原(ひのはら)から木材や炭を運ぶために整備された街道。

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吉祥寺の大仏様

 吉祥寺の創建は室町時代の1457年、太田道灌(おおた どうかん)が江戸城を築いた際に現在の和田倉門(わだくらもん)近くの井戸から「吉祥」(きっしょう、良い前兆)という銘(めい)が入った金印(銅印?)が発見され、これは縁起が良いということで、現在の「西ノ丸」に吉祥庵(きっしょうあん)として祀(まつ)ったのが始まりという。吉祥庵はやがて吉祥寺(きちじょうじ)となる。

 豊臣秀吉から関八州(かんはっしゅう)を与えられた徳川家康は1590年に江戸城に入り、江戸城を拡張した。その際、西ノ丸にあった吉祥寺を神田駿河台(当時は神田山)に移した。このときの吉祥寺の表門は現在の水道橋付近にあったというから壮大な境内だった。
 その吉祥寺は江戸時代の明暦3年(1657)1月18日の明暦ノ大火で全焼。幕府は大規模な都市計画事業を発動。江戸城周辺にある寺社を移転させて火除地(ひよけち)にするため吉祥寺はここ本駒込に移された。


関八州 : 関東8国のことで、相模(さがみ:神奈川県)、武蔵(むさし:東京都と埼玉県)、上野(こうずけ:群馬県)、下野(しもつけ:栃木県)、安房(あわ:千葉県)、上総(かずさ:千葉県)、下総(しもうさ:千葉県)、常陸(ひたち:茨城県)をいい、現在の関東地方にあたる。

水道橋 : JR水道橋東口にある水道橋は当時、吉祥寺橋と言った。寺は神田駿河台にあったがその門前町は水道橋あたりにあった。

延焼被害 : 現在の文京区は6割が焼失、千代田区・中央区はほぼ全域が焼失。さらに運河を越え、隅田川を越えて延焼していった。江戸城はかつて吉祥庵があった「西ノ丸」は延焼を免れたがそれ以外は焼失した(19日には天守閣も焼け落ちた)。大名屋敷160、旗本屋敷770、町屋400町(片町では800町)、寺社350、倉庫9000、橋60が焼失。当時の江戸の人口70万人(推定)の内、7万から10万人が犠牲になったという、江戸時代で最も大きな火災。

・1月21日;被災者への粥(かゆ)の給食開始(1ヶ月間続行)
・2月 9日;被災した大名に下賜金(かしきん、将軍からの見舞金)
・2月10日;被災した町人に下賜金
・5月 9日;江戸城の再建開始(但し、天守閣は再建しないことに決定)

主な寺社の移転先 : 西本願寺は横山町→築地、東本願寺は神田明神下→浅草、霊巌寺は霊巌島(中央区新川1丁目)→深川、山王権現社は三宅坂上→溜池上にそれぞれ移転。霊巌寺(れいがんじ)については平成18年5月3日の チビのお出かけ47 を見てね

本駒込 : 豊島区の駒込と区別するため、郷区の駒込という意味で本駒込とした。駒込駅は豊島区。本郷区は昭和22年に小石川区と合併して文京区となった。

 チ ビ (すご)い大火災だったんだね。火元というか火事の原因はなんだったのさ?

 パ パ 火元は本郷にあった本妙寺といわれていて、振袖を供養しようと思って火の中に入れた瞬間、突風が吹いて火のついた振袖が舞い上がって本堂に火がついたといわれているんだ。だから明暦ノ大火を振袖火事(ふりそで かじ)ともいうんだ。その本妙寺に明暦ノ大火供養塔があるらしいよ。

 チ ビ 振袖って、未婚の女性が着る袂(たもと)の長い着物のことでしょ。その本妙寺に行ってみようよ!パパ、パパ、そっちは本郷と逆の方向だよ!

 パ パ 本妙寺は明治41年に本郷から巣鴨に移っているのさ。ここから北西に2kmばかりの所なんだ。

 チ ビ パパ~、オンブして~。オンブ~。

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本妙寺・本堂

 チ ビ オンブは楽ちんだよ~。らくちん、らくちん。

 ・・・・・・・・・・

 チ ビ さっきの話の続きなんだけど・・・なんで振袖を供養したの?

 パ パ それはね、娘おきくは花見の時に寺小姓(てら こしょう、寺で雑用をする少年)を見初(みそ)めて、寺小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖を誂(あつら)えてもらってね、毎日それを着ては寺小姓を思い続けた。そしたら恋の病に臥(ふ)せってそのまま明暦元年1月16日に16歳で亡くなってしまった。
 そして、その振袖は古着屋へ。その振袖は娘お花の手に渡ったが、それ以来お花は病気になって翌明暦2年の同じ日に亡くなった。
 そして、振袖は再び古着屋へ。今度は娘おたつの手に渡ったんだって。そしたらおたつもその翌明暦3年の同じ日に亡くなってしまったんだ。


 チ ビ 葬儀が終わったら振袖を古着屋に売っちゃうの?

 パ パ 昔は葬儀には亡くなった人が生前一番愛用した衣類を棺(ひつぎ)に掛けるのが慣例で埋葬の後にはその衣類が古着屋に売られ、墓の穴掘り人足の清め(浄め)の酒代にされたんだ。上手(じょうず)なリユース(Reuse、再利用)のシステムといったところかな。

 チ ビ そうなんだぁ~。そして三人の娘さんが明暦元年、2年、3年と立て続けに・・・それも同じ日に・・・これはミステリーだ!それで?それで?

 パ パ おたつの葬儀におきくの両親とお花の両親もたまたま来ていて、三家で相談して因縁の振袖を葬儀の2日後に本妙寺で供養してもらうことにしたんだって。

 チ ビ 娘たちの思いが籠(こ)もっているであろう振袖を読経供養して燃やしたところ、火のついた振袖が舞い上がって本堂に燃え移ってしまった。それが江戸中に広がったというんだね。それで振袖火事というのか。よく出来た話だニャ~。

 パ パ そうなんだ。話が出来過ぎているだろう。実際の火元は老中・阿部忠秋(あべ ただあき)の屋敷といわれている。でも、老中の屋敷が火元となると幕府の威信が失墜してしまうというので、幕府の要請によって阿部の屋敷に隣接する本妙寺が火元ということにしたんだ。

 チ ビ その論拠はあるのかニャ?

 パ パ 火元であるはずの本妙寺は何の咎(とが)めもなく数年後には同じ場所に再建され、10年後には寺として異例の格上げすらされている。それから阿部家は本妙寺の檀家でないのに大正12年(1923)に至るまでの260余年間毎年、回向供養(えこう くよう)の名目で米15俵(明治維新後は金15両)が納められていたんだよ。

 チ ビ 供養料というのであれば、この大火のために幕府が建立した両国・回向院にするのがスジだよね。阿部忠秋の屋敷が火元に違いない。それから大正12年で打ち切ったのはなぜなんだろう?

 パ パ 大正12年9月の関東大震災に至って回向供養料を終了したんだ。それにこの明暦ノ大火は放火だったという説もあってね、真相は・・・
 さ~てと、本妙寺に着いたよ。チビ、降りなさい。ここで写真を撮ろう!ハイ、チーズ。さぁ~、本堂の右脇にある「明暦ノ大火供養塔」へ!


 供養塔に手を合わせ、明暦ノ大火での犠牲者の冥福を祈る。この大火で身元不明の遺体は本所牛島新田(墨田区両国2丁目)へ船で運ばれ埋葬された。その供養のため大火のあったその年に両国・回向院が建立された。
 毎年12月から3月にかけて火災が多い。今からちょうど350年前の1657年(明暦3年)1月18日から2日間にわたって燃え続けた明暦ノ大火を忘れず「火の用心」を徹底しよう!火のよ~じん!!火のよ~じん!!


明暦ノ大火で焼け出された神田連雀町(万世橋と須田町1丁目、淡路町2丁目に囲まれた界隈)の人たちは、三鷹市連雀に移された。連雀とは連尺(行商人が背負う荷籠)のことで、尺が雀に変わった。
 ・吉祥寺門前町の住民 → 武蔵野市吉祥寺へ移住
 ・神田連雀町の住民 → 三鷹市連雀へ移住

 帰りしな(帰る途中)、「おばあちゃんの原宿」といわれる「とげぬき地蔵」に寄った。今日は縁日とかで地蔵通り商店街は参拝者と出店で大賑わい 「ドットコム(. com) 」 。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 95)
・・・今年のキーワードは「ロハスとグレイトコラボレーション」・・・
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by chibi-papa | 2007-01-14 16:33 | チビのお出かけ  

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