九十九里浜 (93)19・01・01 

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白里海岸 (しらさと かいがん)

 大網から太平洋に向かってまっすぐ走ると白里海岸に出る。渋谷からここまで76km。元日の九十九里浜は晴ていて穏やかだった。

 さらに南端の太東漁港までの20kmを走る。
美しい弧を描く白砂青松の海岸・・・
白子海岸、一松海岸、一宮海岸と続く。
 黒潮の影響なのか暖冬なのか、暖かい。


九十九里浜(くじゅうくりはま) : 刑部岬(ぎょうぶみさき)と太東崎(たいとうざき)の間の約60kmにおよぶ海岸で、源頼朝の命令で測量のため6町(654m)ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承からその名がある(でも、何を目的にここを測量したのかニャ~?)

律令制(りつりょうせい)のもとでは6進法(60進法)で1里(り)=6町、1町(ちょう)=60間、1間(けん)=60寸。1寸(すん)=3、03cm、1里=6×60×60×3、03=65448cm=654m。(99-1)本×654m=64km→約60km。60進法は割り算に便利。と言うことは土地の分割に便利だった。

近世以降は6倍になり1里=36町=6×65448cm=3927m=約4km。今の距離感で言ったら『九十九里浜』でなく『十六里浜』といったところか。

平成18年12月30日の チビの独り言11 でとりあげた船橋市の海老川でも源頼朝(みなもとのよりとも)の名前が出てきたけど、これは下総の千葉氏と関係がある。
伊豆国に流されていた源頼朝が平家打倒の兵を挙げた(1180年)際に、千葉氏を味方につけたことが復権の足がかりとなった。その功績として千葉氏は鎌倉幕府の重臣となり千葉氏は下総国(しもうさのくに)の支配者になった。
そんなわけで下総には源頼朝に因(ちな)んだ故事がある。なお、その後の千葉氏(下総の千葉氏と区別するため武蔵千葉氏と言う)については平成18年12月16日の チビのお出かけ91 を見てね。


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白子海岸 (しらこ かいがん)

 東京から九十九里浜まで自転車に乗って大海原を見に来たニャ。 

大晦日(おおみそか)までに自転車を蘇我(そが)に進めておいて、元日に一気に太平洋に出た。途中大網の手前で雨に降られた。

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太東漁港

 ここから十数キロ沖に広がる水深20m前後の岩礁群あたりが、ちょうど北上する暖流の黒潮と南下する寒流の親潮がぶつかり合っていて、良好な漁場 「器械根」 が形成されている。
 イセエビ(伊勢海老)、サザエ(栄螺)、アワビ(鮑)、タコ(蛸)、イワシ(鰯)、アジ(鯵)、ヒラメ(平目)、スズキ(鱸)など多種多様な魚介類が生息している。特に 「明石蛸」 と並んで二大蛸と称される「太東蛸」は県のブランドにもなっている。蛸漁が解禁される12月から3月までは忙しい。でも、漁船も正月のお飾りをしてお休みニャ~。

お正月 竹に日の丸 大漁旗 (チビ)

 船化粧 祈る大漁 宝海  」 (チビ)


♪ 港 
〔作詞〕旗野十一郎  〔作曲〕吉田信太

     1 空も港も夜は晴れて
     月に数ます船の影
     艀(はしけ)の通い賑やかに
     寄せくる波も黄金(こがね)なり
2 林なしたる帆柱(ほばしら)
花と見まごう船旗章(ふなじるし)
  積荷の歌の賑わいて
港はいつも春なれや

 豊漁の年でありますように。


器械根(きかいこん) : 器械は器械潜水を指す。根は生命活動の原動力で、ここでは漁場を意味している。明治11年(1879)、鮑漁(あわびりょう)に器械潜水が導入されたことによる。器械潜水による多量採取は水産資源の枯渇を招くことになり、早くも明治19年には4月から10月までの間は器械潜水は禁止となった。

太東漁港は太東崎のつけ根にある。一方、刑部岬のつけ根には飯岡漁港がある。このことから九十九里浜は飯岡漁港と太東漁港の間の海岸であるとも言える。太東崎灯台については、平成18年3月25日の チビの愛唱歌♪13 を見てね。

(チビの日記!!チビのお出かけ 93)
・・・今年のキーワードは「ロハスとグレイトコラボレーション」・・・
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by chibi-papa | 2007-01-01 16:30 | チビのお出かけ  

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