(88)18・12・02 東京空襲犠牲者追悼碑

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東京空襲犠牲者追悼碑(横網町)

 近くに大相撲の国技館があるせいか、横網町の横網(よこあみ)を横綱(よこづな)と間違い易い。その国技館の前を通って、旧安田庭園で隅田川の水系を利用した潮入り回遊庭園を散策したあと隣接する横網町公園へ。横網町公園は元:本所被服廠(ひふくしょう)があった所で、大正12年9月1日の関東大震災で多くの犠牲者が出た。公園内には慰霊堂、復興記念館(被災遺留品を展示)がある。それに平成13年に造られた「東京空襲犠牲者追悼碑」がある。


関東大震災で本所被服廠跡に避難してきた住民3万8千人が火災旋風に巻き込まれて焼死した。板トタンが強烈な旋風で吹き飛ばされ、隣の旧安田庭園の樹木に巻きつくほどだった。関東大震災の教訓を忘れないよう9月1日を「防災の日」に制定した。

 太平洋戦争で東京は昭和17年4月18日の初空襲から敗戦当日の昭和20年8月15日までアメリカ軍の度重なる空爆により甚大な被害を受け、非戦闘員である多くの都民が犠牲となった。これは国際法違反の非戦闘員大量虐殺であり戦争犯罪であった。指揮をしたカーチス・ルメイ少将自身も後年、「アメリカ軍が負けていたら、自分は戦犯として裁かれていた」と述べている。

 なかでも一番被害が大きかったのは昭和20年3月10日の空襲であった。その犠牲者は8万人とも10万人ともいわれ、焼失家屋は28万戸、東京の3分の1の面積40平方kmが焼失した。3月10日を決して忘れないために東京都はこの日を条例で定め、毎年3月10日に慰霊堂で追悼行事が行われている。
 一連の空襲による正確な犠牲者数は不明であるが、判明した分の犠牲者名簿が追悼碑の内部に納められている。碑の斜面を覆う花は生命を象徴しているという。
 追悼碑と慰霊堂に合掌・・・


この碑の正式名称は「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」と長ったらしい名称。

 浪花屋の鯛焼き(衣は薄くてカリッとしていて餡は甘さおさえ目)を食べながら江戸東京博物館へ。常設展示室ではアメリカ軍による非戦闘員大量虐殺の東京大空襲コーナーがあった。企画展示室では「江戸の誘惑」と題して、ボストン美術館所蔵の肉筆の浮世絵展が開催されていた。今月10日まで。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 88)
・・・ロハス的な生活を心がけていきたい・・・
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by chibi-papa | 2006-12-02 00:00 | チビのお出かけ  

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