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布施とは喜びを分かち合うこと(独言10)

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穴八幡宮も秋祭り
 
 南の崖を整地したときに横穴が現れ、金銅の阿弥陀像を発見したことから、高田八幡宮から穴八幡宮(あなはちまんぐう)に改称したとのこと。また鳥居の手前に「高田馬場流鏑馬の像」があることからも推測できるように、JR高田馬場駅から1キロ強離れた西早稲田3丁目(穴八幡宮の北側)あたりが本来の高田馬場だったようだ。

 江戸時代、旗本たちが馬術の訓練をした馬場が早稲田の高台にあって、そこを高田馬場(たかだのばば)と言ったのだ。


流鏑馬(やぶさめ)は、現在は近くの戸山公園で行われている。

 ところで、流鏑馬の像の向かい側に真言宗智山派「龍泉院」という小さなお寺さんがある。そこの掲示板に布施(ふせ)について次のようなことが書かれていた。

 「檀ふみ」という女優さんがいます。「檀」とは珍しい名字ですが、本名のようです。「檀」とはインドの「ダーナ」という言葉を漢字で表したものです。意味は「布施」です。さしあたって「檀」さんは「布施」さんということになるのでしょうか。
 「布施」というと、今ではお寺さんへの御礼の金品のことのように思われていますが、本当はそれだけではありません。お釈迦さまの大切な教えの一つで、お釈迦さまは「布施」を心がけなさいと言われます。「布施」とは人にものを上げる事によって、人と喜びを分かち合うことです。「もの」と言っても品物とは限りません。一言の言葉でも良いし、目に見えぬ気持ちでも良いのです。 (略)
 電車で席を譲られたお婆さんが「有難うございます。立たせてしまって、すみませんねぇ」と言うのに出会ったことがありました。相手を立たせてしまった事への思いが素直に伝わってきました。「素晴らしいお婆さんだなぁ」と思いました。席を譲った青年も嬉しそうでしたし、傍で見ていた私も楽しくなりました。 たった一つの思い、一つの言葉が人々の心を温かくしてくれたのです。
 お彼岸は修行の期間ともいいます。お彼岸の間、毎日一つ、それが出来なければお彼岸の間にたった一つでも心の通い合うような布施をしたいものです。  宿香界


 電車内での席の譲り合いで、喜びを分かち合うような場面は意外に少ないようだニァ~。席を譲られても何も言わないで座るお年寄り。何も言わないで座るお年寄りがいるから、黙って席を立つ若者。何か権利と義務のようだなニァ。これでは喜びを分かち合う布施の精神とはかけ離れているニァ~。

 譲られても固辞しつづけるお年寄り、譲った席は空いたまま。厚意は素直に受けてやればいいのにニァ。前に立った人がお年寄かどうかを顔を上げてジロジロ確認するわけにいかないから、雰囲気でお年寄りと思ったら席を譲るので、多少見当違いの時もあるけど、やはりそこは素直に受けて欲しいニァ~。

 それに始発駅で座り終わったところに乗ってきて、席を譲ってくれる人がいないかキョロキョロするお年寄りがいるけど、一台待てば座れるのに。兎角、若者を責めがちだけれど、もっと譲られ上手になって欲しいニァ。少なくとも『どうぞ』、『ありがとう』を声を出して言うことが布施(喜びを分かち合うこと)の基本のようだニァ~。


(チビの日記!!チビの独り言 10) 平成18年9月17日

by chibi-papa | 2006-09-17 19:07 | チビの独り言  

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