田園調布駅舎(70) 18・09・02 

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宝来公園・池

 湧き水を利用した池。

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宝来公園・緑

 武蔵野の面影を偲ばせる緑。
 大正14年、付近の急速な宅地開発が進むなかで、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布会は街の一画を公園として残した。昭和9年に田園調布会より東京市へ寄付され、昭和11年に宝来公園として開園された。大田区へ移管されたのは昭和25年。


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田園調布駅・復元された旧駅舎

 宝来公園(ほうらいこうえん)から真っ直ぐに伸びる銀杏並木を歩くこと4~5分で駅前ロータリーに出る。振り返ると放射状に伸びていて、左から2番目の銀杏並木だった。田園調布は渋沢栄一の提唱した田園都市計画によって開発された。
 大正12年(1923)に建てられた駅舎は、目蒲線・田園調布駅の地下化(平成6年)及び東横線・田園調布駅の地下化(平成8年)により旧駅舎は解体された。しかし地元住民らの要望で、平成12年(2000)に復元された。 西日が眩(まぶ)しいニャ~。


渋沢栄一(しぶさわ えいいち) : 現在の埼玉県深谷市出身の実業家で近代日本資本主義の父と呼ばれる。第一国立銀行、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント、帝国ホテルなど多種多様の企業の設立に携わり、その数は500以上とされる。

田園都市計画 : 都会の利便と田園の趣味を謳い文句(うたいもんく)にした田園都市建設構想は具体的には渋沢栄一の4男・秀雄によって進められた。大正7年(1918年) 、田園都市会社を設立して支配人になり、大正10年に160万㎡(48万坪)の用地買収を完了させた。大正11年に鉄道敷設工事を開始すると共に田園都市会社から目黒鎌田電鉄を分離(昭和3年には田園都市会社が目黒鎌田電鉄に合併吸収される)
当時の調布駅西口を中心に半円状に道路を配し、一区画百坪、上下水道完備の高級住宅地に大正13年、住民の初入居となった。 

田園調布駅 : 東横線と目黒線(平成12年に目蒲線の駅から目黒線の駅に改称)が通るこの地下駅は、渋谷方面と目黒方面、横浜方面と武蔵小杉方面が同一のホームになって便利になった。

 (チビの日記!!チビのお出かけ 70)
・・・ロハス的な生活を心がけていきたい・・・
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by chibi-papa | 2006-09-02 23:13 | チビのお出かけ  

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