等々力渓谷と古墳 (68) 18・08・19 

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谷沢川

 東急電鉄・二子玉川駅(通称:ニコタマ)で大井町線に乗り換える。等々力駅の手前から谷沢川(やざわがわ)が見える。国分寺崖線(こくぶんじ がいせん、ハケという)を浸食してできた等々力渓谷(とどろき けいこく)の深さは10m、全長1kmの渓谷で、崖の地肌から滲み出た水が矢沢川に流れ込んでいる。涼呼ぶ木漏れ日(こもれび)が川面に揺れ、指にちらつく葉漏れ陽(はもれび)が心地いい。

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崖地の日本庭園

 等々力渓谷公園の一部として去年の4月に新たに拡張された部分がある。冠木門(かぶきもん)を潜ると、崖や湧き水など自然環境を巧に活かした庭園が、そして書院造りがある。葉裏の幽けく(かそけく)戦ぎ(そよぎ)が心地いい。
 脇には切り通しがあって、武蔵野台地のローム層の断面を見ることができる(もっとはっきり地層が見られるのは不動ノ滝あたり)。


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不動ノ滝

 「等々力」の地名は、2筋から落ちる滝の音が「轟き」響いたところからついた、との言い伝えがある。かつてはこの滝に打たれて行をする修行僧が各地から訪れたというから、修行僧の発する声も轟き響いたんじゃないかニャ~?
 写真では分かりにくいが、龍の口(龍は水の守護神)から流れ落ちている。

 滝の右手は武蔵野台地を形成する地層が観察できる。地層は上から黒土層、立川ローム層、武蔵野ローム層、武蔵野礫層(れきそう)そして12万年前の寒氷期に出来た粘土層の上部東京層の順で見られる。上部東京層からは貝の化石が見つかるかニャ~。

 等々力不動尊への階段脇に茶屋「雪月花」(せつげっか)がある。縁台で一休みしてから、急な階段を登って渓谷から出る。


ローム(loam)層 : 砂と粘土が混ざり合った柔らかい土の層。

上部東京層 : 横浜・下末吉地区では下末吉層という。

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等々力不動尊

 等々力不動尊の前にある大通りを渡った所に古墳がある。御岳山古墳(みたけさん こふん)と書かれた石柱を見つけなければそこが古墳だったとは気が付かない。直径42m、高さ5mの円墳(円墳に見えるが元は帆立貝形前方後円墳だったかも?)。草が鬱蒼(うっそう)と茂っていた。

 チビ; 多摩川に沿って田園調布あたりまでは古墳が多いんだってね。

 パパ; 荏原台古墳群(えばらだい こふんぐん)と呼ばれていて、ここ御岳山古墳からは副葬品として周りに7つの鈴のついた鏡が発見されたんだって。

 チビ; 都指定有形文化財の七鈴鏡でしょ。ねえ!等々力渓谷の向かいには大きな古墳があるというよ。行ってみようよ。

古墳 ; 墳丘を持った古い墓のことで、古墳時代(3世紀後半~7世紀末までの450年間、日本が国家として形成されていった時代)に造られたものを特に古墳といい、それ以外の時代に造られたものは墳丘墓(ふんきゅうぼ)と呼んで区別する。最大の古墳は堺市にある仁徳天皇陵(にんとくてんのう りょう)の前方後円墳で全長486mもある。

荏原台古墳群 : かつて武蔵国荏原郡(むさしのくに えばらぐん)と呼ばれた地域には古墳が数多いことから、これらをまとめて「荏原台古墳群」といい、さらに世田谷区側を「野毛古墳群」、大田区側を「田園調布古墳群」と呼び分けている。
武蔵国は645年の「大化ノ改新」の際(大化ノ改新で日本を国と郡に分割して統治する国郡制度を採用)に誕生した地名で、現在の埼玉県、東京都と神奈川県の一部(川崎市・横浜市)にあたる。荏原郡は現在の品川区、目黒区、大田区、世田谷区と港区、千代田区の一部にあたる。

七鈴鏡(しちれいきょう) : 鈴のついた鏡(鈴鏡)の出土例は群馬県を中心とする北関東に多く、そこで製作された鈴鏡がここ南武蔵にも及んでいたことが想像される。大田区・西岡第28号古墳からは六鈴鏡が出土している。 

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野毛大塚古墳(朝顔形円筒埴輪のレプリカに跨るチビ)

 野毛大塚古墳(のげおおつか こふん)は全長82mの帆立貝形の前方後円墳(ぜんぽう こうえんふん)で、三段に構築された墳丘は、直径68m、高さ10m。その墳頂部には4基の埋葬棺があり、そこから武器や武具、銅鏡や勾玉(まがたま)など多種多様に副葬品がザックザク。5世紀前半の古墳時代に築造された南武蔵の有力な首長の墓で、畿内政権と直接的な交渉があったことが窺(うかが)える。

 階段はあるけど草に覆われているので途中で諦めて、側面をイチ(第一テラス)、ニイの(第二テラス)、サン(頂上)、ダーッと駆け登る。


 チビ; 墳頂(ふんちょう、古墳の頂)は結構広いんだね。

 パパ; 直径は17m位あるかな?

 チビ; ここから見ると前方後円墳の変形で帆立貝形をしているのが良くわかるね(分かり易いように埴輪の模造品が並べてある)。それに周濠(しゅうごう)があったことも分かるね。周濠を含めると全長104mにもなるんだニャ~。大きな古墳だね。ところで基本的な質問なんだけど~、なぜ前方後円墳というの?

 パパ; 我が国独特の形で、上から見ると前が四角形で後ろが円形になっているからだよ。四角形のことを方形(ほうけい)というんだ。前が方形で後ろが円形の古墳、名付けて前方後円墳。

 チビ; 何を基準に前とか後ろなの?

 パパ; 円形が埋葬のための丘陵で、その前の台形(上から見ると四角形)のところに祭壇を置いたからなんだ。だからと言ってあまり前とか後ろを気にすることはないよ。前円後方墳としてもかまわないけど、江戸時代の国学者が前方後円墳と定義したので、そのまま使っているのさ。

 チビ; 棺(ひつぎ)はどうやって後円墳まで運んだにょ?

 パパ; 後円部の濠に椚(くぬぎ)などで作った橋が架けられていたんだ。


 チビ; 登ってくる途中に2段のテラスがあったけど石ころが敷き詰められていたね。多摩川から運んできたんだろうね。でも、ここから多摩川が見えないのが残念だにゃ~。ここから近いのに。

 パパ; 当時は遮る(さえぎる)ものがなかったろうから多摩川が良く見えただろうね。それにテラスだけでなく側面全体に直径15cm位の石で覆ってあったそうだよ。

 チビ; じゃ、遠くから見たら古墳全体が白っぽく光って見えたんだろうね。さぞ壮大だったんだろうね。 

 チビとパパは膨大な副葬品が納められていた埋葬施設のあたりに腰を降ろして、今から1600年前の古代のロマンについて語りあった。日差しが強かった。

埴輪 : 古墳時代に特有の素焼きの焼き物で、円筒埴輪には朝顔形円筒埴輪(あさがおがた えんとうはにわ)など、形象埴輪には家形埴輪、動物埴輪、人物埴輪などがある。ここの朝顔形円筒埴輪は古墳上に並べ、古墳を聖域として区画する役割を果たしていたと考えられる。

周濠(しゅうごう) : 周溝(しゅうこう)ともいい、古墳の周囲に掘られる掘状の溝で、墳丘と自然地形を明確に区切るために設けられた。ここの周濠の形は馬蹄形をしていたというが一部しか確認できない。

葺石(ふきいし) : 古墳を保護するために斜面に石を葺き並べることで、日照に応じて輝くので視覚的に威容な雰囲気を感じさせる。

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野毛大塚古墳の造営現場の模型

 最後の工程の葺石をしているところ。左下には造出し(つくりだし)が見えるが、その役割はまだ解明されていない。模型は世田谷区立郷土資料館に展示されている。

(チビの日記!!チビのお出かけ 68)
・・・慈悲の心を忘れずに、ロハス的な生活を心がけていきたい・・・
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by chibi-papa | 2006-08-19 15:40 | チビのお出かけ  

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