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♪ 19 めんこい仔馬 18・08・13 

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追悼の場・千鳥ケ淵戦没者墓苑

 九段坂を登った右に靖国神社、左奥に千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。千鳥ケ淵戦没者墓苑(ちどりがふち せんぼつしゃぼえん Chidorigafuchi National Cemetery)は大東亜戦争において海外で亡くなられた戦没者の遺骨を納めるために、昭和34年に建設された「無名戦没者の墓」。
 周辺にある国有地を取り込み、墓苑を拡充・整備する計画があるという。


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六角堂

 六角堂の中央に置かれた陶棺の下の地下納骨室及び六角堂奥正面の地下納骨室に35万柱のご遺骨が安置されている。

 チビは動物代表として故国に帰れなかった軍用馬、軍用犬に思いを馳せここに遺骨が安置されていないことを知りながらも毎年8月、ここに献花する。
 軍用馬だけでも100万頭が斥候(せっこう)、行軍、戦闘の乗馬に、あるいは重い大砲を引く輓馬(ばんば)に、軍需品を背負い搬送する駄馬(だば)として戦地に赴き、そして倒れたもの数知れず。運良く終戦まで生き長らえても再び故国に戻れたのはほんのわずかだったという。戦没馬、戦没犬の冥福を祈る。合掌。


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靖国神社の軍用犬慰霊像

 チビは先程、千鳥ケ淵戦没者墓苑にて献花してきたことをシェパードに報告したあと、軍用犬慰霊像の隣りにある戦没馬慰霊像の前で 「めんこい仔馬」 を歌った。「めんこい」 とは東北地方の方言で 「かわいい」 という意味。

♪ めんこい仔馬

[作詞] サトウ ハチロー [作曲] 仁木 他喜雄(にき たきお)
一、 
濡れた仔馬(こうま)の 鬣(たてがみ)
撫でりゃ両手に 朝の露
呼べば答えて めんこいぞ オーラ
駆けて行こかよ 丘の道
ハイド ハイドウ 丘の道

二、
(わら)の上から 育ててよ
今じゃ毛並みも 光ってる
お腹こわすな 風邪ひくな オーラ
元気に高く 嘶(な)いてみろ
ハイド ハイドウ 嘶いてみろ

三、
紅い着物(べべ)より 大好きな
仔馬にお話してやろか 
遠い戦地でお仲間が オーラ
手柄を立てたお話を
ハイド ハイドウ お話を

四、
西のお空は 夕焼けだ
仔馬帰ろう お家(うち)には
お前の母さん 待っている オーラ
唄ってやろかよ 山の唄
ハイド ハイドウ 山の唄

五、
明日は市場か お別れか
泣いちゃいけない 泣かないぞ
軍馬になって 行く日には オーラ
みんなで万歳 してやるぞ
ハイド ハイドウ してやるぞ


昭和16年1月にレコード発売。
同年3月封切の映画 『馬』 (主演 高峰秀子)の主題歌。

 こうやって大事に育てられた馬も徴発(ちょうはつ)され、戦地に散っていったのであろうか・・・この童謡のモデルは勝山号(かつやま ごう)という南部馬だった。

 勝山号は昭和8年に岩手県・北東部の九戸郡軽米町(くのへぐん かるまいまち)の牧場で生まれた。馬籍名は第三ランタンタン。1歳5ヶ月の時、二歳馬競り市(にさいば せりいち)で馬喰商(ばくろうしょう、牛馬の売買を商いとする人)に買い取られ、間もなく陸中・南部の江刺(現在の岩手県奥州市江刺区)の伊藤新三郎の飼育馬となり、農耕馬として働いた。こんな平凡な馬を一変させたのは戦争。軍馬として昭和12年9月に歩兵隊乗馬として徴発され、勝山号と改名。時に4歳4ヶ月。

徴発(ちょうはつ) : 軍が戦時に必要な軍需品を民間から取り立てること。対象は食糧、馬、車両、労働力など。

 5歳で中国大陸に渡り将校馬として蘇州(そしゅう)、徐州(じょしゅう)などを転戦。昭和13年8月に2度目の負傷で病馬収容所で治療を受け、昭和14年3月に部隊に復帰し再び前線へ。昭和14年12月、軍馬甲功賞が陸軍大臣から授けられ、昭和15年、内地に帰還。同年3月30日、朝日新聞社主催による 『軍馬 勝山号に感謝する』 催しが日比谷公園で開かれ、ここでサトウハチローが作詞した童謡が発表された(レコードの発売は昭和16年1月) 。
 敗戦直前の昭和20年8月10日、軍の指示により兵舎を脱出。敗戦で国内部隊にいた軍馬は全てお払い箱となり食肉業者に一括払い下げとなったが、勝山号は間一髪の脱出だった。同年10月17日、江刺の飼い主のもとに奇跡的に帰郷した。

 江刺に戻ってからはまた農耕馬として働いたが、それも束の間、2年後に戦傷が原因の神経障害が現れ苦しみながら絶命した。解剖したところ頭と首から砲弾の破片が出てきた。飼い主は特別許可をもらい自宅裏の丘に埋葬し墓標を立てた。
 昭和54年には九戸の牧場の裏山にある神社境内に記念碑が建てられた。平成7年、江刺から分骨してもらいその記念碑の地下に納骨した。そこには第三ランタンタン、勝山号、どちらの名が記されているのであろうか・・・競り市で競り落とされてから実に61年ぶりに生まれ故郷の九戸に帰った。
  

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顕彰の場・靖国神社
 
 福沢諭吉が主宰する「時事新報」の論説(明治28年)に「戦死者の大祭典を挙行すべし」とある。戦争に備えて死を恐れずに戦う兵士の精神を養うために可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与えて、戦死することが幸福であると感じさせるようにしなければならない。
 そのための方策として、「帝国の首都東京に全国戦死者の遺族を招待して、明治天皇自らが祭主となって戦死者の功績を褒め称え(ほめたたえ)、その魂を顕彰する勅語(ちょくご)を下すこと」である。

 高橋哲哉(てつや)の 『靖国問題』 によると、これは戦死者を出した遺族の悲しみを歓びの感情に変えてしまう「感情の錬金術」だと述べているが、これについてチビはどう思う?


(チビの日記!!チビの愛唱歌 ♪ 19)

by chibi-papa | 2006-08-13 14:28 | チビの愛唱歌  

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