浅草神社、浅草寺(10)16・12・26  

e0031605_16404296.jpg
三社さま

 浅草寺の奥右に浅草神社がある。明治維新の神仏分離令により浅草寺と袂(タモト)を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、明治6年に浅草神社の名称になる。
 今なお 「三社さま」 として親しまれていて、毎年5月中旬の週末に町をあげて行われる三社祭は、この三社さまのお祭り。


三社祭(沢村貞子著 『私の浅草』より)
 「私が娘の頃の三社祭は、氏子たちにとって、お盆やお正月より、もっと待ち遠しいものだった (中略) 娘たちも、きれいに髪を結いあげ、こざっぱりした着物に新しい下駄をはいて、朝から浮きうきしていたけれど・・・女はやっぱり忙しい。男の飲むお酒からお煮しめ、おこわ、おつまみの枝豆も色よく茹でなければ・・・と眼がまわった。」
 三社祭の情景が伝わってくる。カラッ風のこの浅草に、初夏の爽やかな風が吹き渡って来たかのようだ。来年の話をすると鬼さんが笑うかも知れないけど、三社祭に来よう。御神輿を担ぐんちゃ!セイヤ、セイヤ!

e0031605_16405832.jpg
宝蔵門と五重塔

 右は宝蔵門で、国宝の法華経などが収蔵されている。その左右には仁王像が奉安されているので、かつて仁王門と言った。

 仁王様の背の高さは6メートルちかくもある。大きいニャ~。

 大相撲の北の湖と明武谷をモデルに制作されたんだよ。

 明武谷(ミョウブダニ)って誰?

 吊り出しを得意技として昭和40年頃活躍した力士で、最高位はたしか関脇だったな。ところで五重塔だけど・・・


e0031605_5425593.jpg
「塔」の石柱

 五重塔はかつて交番(観音前警備派出所)の前あたりにあった。その場所には「塔」の文字を彫った10センチ角の石柱が埋められている。

 仁王門も五重塔も1648年から翌年にかけて第3代将軍・徳川家光が建て、1855年の安政江戸地震(マグニチュード7.0~7.1)にも、大正12年(1923)の関東大震災にも耐えたんだ。でも、昭和20年(1945)の焼夷弾には本堂も仁王門も五重塔もなすすべがなかった。宝蔵門は仁王門と同じ場所に昭和39年に、そして五重塔は昭和48年に仁王門の右側にあったのを左側に再建された。
e0031605_6192985.jpg

 
安藤広重の「名所江戸百景」 (100. 浅草金龍山) には雷門から見た五重塔が仁王門の右に描かれている。安政2年(1855)10月の地震で五重塔の九輪(クリン、相輪ともいう)が曲がってしまったのを、翌年5月に修復。それを祝う気持ちを込めて、紅白(朱塗りと雪景色)の配色で表現している。

e0031605_19265445.jpg 
このように九輪がクリンと曲がってしまった。(東大地震研究所所蔵「浅草寺大塔解釈」)

 
 「応永縁起」によると最初の仁王門と五重塔は、共に平安時代・中期の942年に建てられたとのこと。
そっか~。浅草寺は東京都内最古のお寺さんなんだニャ~。
  
 
e0031605_16411344.jpg
雷門

 右に風神像、左に雷神像があるところから風雷神門、縮めて雷門といわれているんだ(提灯の反対側には略さないで風雷神門とある)。

 それにしてもでっかい提灯だニャ~。

 直径3.5m、高さ4.5m、重さは600kgもあるんだって。

 空洞なのに?


628年、宮戸川(ミヤトガワ、現在の隅田川)の河口で漁師の網に5センチほどの黄金の観音像がかかり、これを奉安したのが始まりという。だから、彼らを祀る昔の三社祭の神輿は、隅田川河口から浅草橋まで船できて、そこから浅草寺まで巡行していた。
628年(飛鳥時代)は、第33代・推古天皇(スイコ テンノウ、初の女帝)が亡くなられた(享年74)年である。

(チビの日記!!チビのお出かけ 10)
[PR]

by chibi-papa | 2004-12-26 00:00 | チビのお出かけ  

<< 平成16年(2004) INDEX ♪ 4 ジングル・ベル 16・... >>