谷保天満宮(53)18・05・27

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谷保天満宮・本殿 お尻が濡れるので中腰

 谷保天満宮の谷保はヤボと読む(谷保駅の谷保はヤホと読み濁らない)。この辺りの地形は立川段丘面(甲州街道)、青柳段丘面(谷保天満宮)、多摩川沖積面(古の甲州街道)と段段になっている。
 鳥居(甲州街道に面している)から下がった所に本殿があるのは珍しい。これは甲州への古道がもっと多摩川寄りにあったためで、そこで立川段丘面に天満宮を建替えようという計画がある。


1601年頃(徳川家康の時代)、街道が整備され甲州街道は今の位置になった。

 千年以上の歴史を持つ東日本最古の天満宮。903年(平安時代)に父・菅原道真(スガワラのミチザネ)が配流先で死去したことを知り、三男・道武(ミチタケ)がここ武蔵の国で父の座像を刻んだのが始まり。

一家離散 : 菅原道真の妻と年長の女子は京に残され、幼い男子と女子の2人は一緒に筑紫・太宰府へ。その他は逆臣の子として長男は土佐に、次男は駿河に、三男・道武は武蔵へとバラバラにされた。三男・道武は父・道真と共にここ谷保天満宮に奉られている。

♪ 菅 公 (かんこう)大正2年 尋常小学唱歌
[作詞]不詳 [作曲]岡野貞一
一、
日陰遮(さえぎ)る 叢雲(むらくも)
干す由(よし)も無き 濡れ衣を
身には著(き)つれど 真心の
現れずして 止(や)まめやと
神の守りを 憑(たの)みつつ
配所に行きし 君哀れ

二、
後を契りし 梅が枝に
東風(こち)吹く春は 帰れども
菊の節会(せちえ)の 後朝(こうちょう、その翌朝)
(えん)に侍(はべ)りし 秋は来ず
御衣(ぎょい)を日毎(ひごと)に 拝しつつ
配所に果てし 君哀れ


東風吹かば 匂い寄越せよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな 』 (道真)・・・都に残した紅梅殿の梅よ、自分が居なくても春が来たら忘れずに咲きなさいよ、そしてその香りを東風に乗せて大宰府まで届けておくれ・・・

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座牛 お尻が濡れるので中腰 

 天満宮といったら牛に梅で決まり。さらにここではなぜかチャボが放し飼いになっている。
いつまで経っても一向に降り止まない雨。恨(うら)めしそうに空を見上げるチビ。


(座牛) : 道真公のお遺骸を牛車(ギッシャ)に乗せお運びしていたら、牛が急に座り込んでしまった。牛はビクとも動かない。そこで、この場所で道真公は永遠にお眠りたいのだと考え、そこをお墓にされた。その場所が現在の太宰府天満宮だとされている。

(飛び梅) : 道真が筑紫・太宰府へ配流(左遷、サセン)されると、京都の紅梅殿(道真は梅が好きでたくさん庭に植えていたので邸宅は紅梅殿と呼ばれていた)の梅が道真を慕って飛んでいったという伝説がある。

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筆塚

 部首が竹カンムリでなく草カンムリになっている。ここらでは竹でなく葦などをフデの軸にしていたのかニャ~?
 筆のカンムリを取った字は、手で筆を持っている象形文字になっている。一番上の横棒は人差し指、その次の長いのは親指、その次のは中指。その三本の指で筆を押さえ、薬指と小指の二本はそっと添えているよう。真中の縦棒はフデそのもの。


 この辺りの段丘崖ラインは複雑なので別の機会に、チビを調査隊長として地形を調べたい。
雨が降りしきる中、濡れながらもポーズを決めるチビ。本日はお疲れさま!明日、お洋服を買ってやるからね!


ヤボの名を取り戻せ! : 石器時代から人が住んでいたであろう谷保(ヤボ)は 「谷を大切に保つ」 ことからこの名がある。しかし、昭和元年に中央線の国分寺駅と立川駅との間に国立(クニタチ)駅が開業(その場所は谷保村にあたるが、村の中心から離れていたため谷保駅とせず国分寺と立川とから一字ずつとった国立駅とした)、そして昭和4年には南武線が開業して駅名は谷保(ヤボでなくヤホ)駅に。さらに昭和26年に谷保村から国立町(昭和42年に国立市)と改称されていった。
やぼの地名を消し去ったのは、住民が谷保-やぼ-野暮という語音に羞恥心を抱いていたためだったが、歴史的にもロハス的にも誇りを持って素晴らしい地名、谷保-やぼを取り戻して欲しい。さらに国立市を谷保市(ヤボシ)に変えたらいかがだろうか。チビからの提案です。

(いにしえ)の 谷保を恥じるは 野暮くさい (チビ)

(チビの日記!!チビのお出かけ 53)
・・・ロハス的な生活(健康で持続可能性の高いライフスタイル)を心がけていきたい・・・




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by chibi-papa | 2006-05-27 19:51 | チビのお出かけ  

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