松陰神社と豪徳寺(51)18・05・14
2006年 05月 14日
-----動乱の幕末。時代を駆け抜けた青年がいた。大きなうねりを起こした思想家・吉田松陰-----
吉田松陰の教育道場であった松下村塾で、塾生に教育を施したのはわずか通算2年半程。その松下村塾で薫陶を受けた子弟は80数名、明治維新を通して近代日本の原動力となった多くの逸材(久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文、品川弥二郎など)が輩出した。
松陰先生を尊敬してやまないチビは「今日から塾生となって、この8畳の講義室をイメージして勉学に励もう!」と誓うのであった。
※ ここの松下村塾は山口県萩市の松陰神社に保存されている松下村塾を模築したもの。
※ 塾生は各地から英才を集めたのではなく、そのほとんどが近所に住む少年だった。吉田松陰の曇りのない教育によって明治維新は実現したといってもいい。
※ 松下村塾の存在は、教育が施設でないことの証明である。
松陰先生の決意
『 松下陋村なりと雖も(イエドも)誓って神国の幹となさん 』
・ 陋村(ロウソン)の陋は「狭い」「粗末な」の意。
吉田松陰(墓石には通称の寅次郎の名で刻まれている)は徳川幕府滅亡の8年前の安政ノ大獄に連座し、江戸伝馬町の獄中で刑死(享年29)、千住小塚原の回向院に葬られた。
その4年後に松下村塾門下生の高杉晋作らによりこの毛利家の地に改葬された。明治15年、松陰神社となる。
松陰先生、辞世の句
『身はたとひ 武蔵野の野に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』
※ 安政ノ大獄(アンセイのタイゴク) : 安政5年(1858)から翌年にかけ、アメリカ・ロシア・オランダ・イギリス・フランス五カ国との通商条約および将軍継嗣(ケイシ)問題で激化した尊皇攘夷(ソンノウ ジョウイ)運動派に対し、井伊大老がおこなった弾圧。連座者は百余名。吉田松陰、橋本佐内ら8名が処刑された。
この地に改葬されて2年後に起こった禁門ノ変(1864年)のとき、幕府によって破壊された墓所を明治元年(1868年)に修復した際、謝罪の意を込めて葵紋のついた石燈篭などが奉納された。
墓所のすぐ手前にある徳川家からの石燈篭を不審がり、石燈篭の上に飛び乗って、安政ノ大獄による処刑についても謝罪しているのかを確かめようと検分するチビ。
※ 禁門(蛤御門)ノ変 : 1864年、前年の倒幕挙兵を企てて失敗し京を追われた長州藩が、その形勢挽回のために京に兵を進め、会津・桑名・薩摩連合軍と蛤御門(ハマグリ ゴモン)付近で交戦し敗れた事件。
桂太郎は吉田松陰を敬慕(ケイボ)し、自らも拓殖大学を創立し校長として育成に尽くした。三度の桂内閣を組閣後、大正2年に急逝、享年66。
遺言により吉田松陰の霊域に接した場所に葬られている。
「徳川家の謝罪は分かったとして、吉田松陰先生の処刑を断行した井伊家はどうなんだ!井伊直弼(イイ ナオスケ)に聞きたいことがある。これから井伊家の菩提寺の豪徳寺(ゴウトクジ)に向うぞ!」と、チビは凄い剣幕で烏山川緑道を急ぐのであった。
※ 烏山川緑道(カラスヤマガワ リョクドウ) : 三宿から粕谷に至る延長7キロメートルの緑道。緑道に沿って太子堂円泉寺、松陰神社、世田谷城址公園、豪徳寺など歴史に縁のある神社仏閣がある。
凄い剣幕で豪徳寺に乗り込んでみたものの、たまたま三重塔の落慶式の真っ最中。平成15年から築いていた三重塔が堂々完成し、今日がその落慶式。
「オ~ッ。これは立派な宝塔だ!井伊直弼には別の機会に問い質(タダ)すことにして、まずは記念写真!」
彦根藩2代藩主・伊井直孝が鷹狩りの帰りに門前を通りかかると、手招きをする猫がいる。不審に思って寺に寄り、和尚の話を聞いていると、大変な雷雨になった。直孝はこの幸運を喜び、福を招く猫のいる寺としてこの寺を大事にした、だと?戯け話(たわけばなし、ふざけた話)が!
当時の鷹狩は軍事演習なのだから、雷雨も演習の一つと思わないようでは、直孝は腑抜け(フヌケ)だったと言うことになる。まして軍事演習時に雨宿りなんかしているなんて話にならん!猫を出しにした作り話もいい加減にしろ!
しかし、夜叉掃部(ヤシャ カモン)といわれた直孝は大阪夏ノ陣で功績を挙げ、徳川家康や秀忠から一目置かれていた存在なのだ。そして13代藩主の直弼の時の国難に当り幕府の大老として出てきた、井伊家は代々軍事担当の家柄なのだ。ここに、吉田松陰先生と大老・伊井直弼が激突したのであった。
※ 時代背景 : ヨーロッパ勢の世界侵略は、16世紀にまずポルトガルとスペインが先鞭をつけた。18世紀にはそれをイギリス、オランダ、ロシアがそれを塗り替え、19世紀には遅れてフランス、ドイツ、アメリカが侵略を拡大してきた。幕末の頃の世界は殆どがヨーロッパ人に侵略されてしまい、残されていた国は清国と我が国だけになった。
その清国もイギリスに阿片戦争を仕掛けられ、香港を割譲せざるを得なかった。我が国に刻々と迫って来るヨーロッパ勢。国難。激化する尊王攘夷運動・・・。
(チビの日記!!チビのお出かけ 51)
・・・ロハス的な生活(健康で持続可能性の高いライフスタイル)を心がけていきたい・・・
by chibi-papa | 2006-05-14 16:50 | チビのお出かけ