板橋区役所前~ときわ台(49)18・05・05

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昨日の続き

スタート:都営地下鉄三田線・板橋区役所前駅

 昨日と同じ板橋の橋の上からスタート。さらに緑道に沿って石神井川をのぼる。

五街道のひとつ中山道の一番目の宿場が板橋宿で、板橋本町駅からJR板橋駅まで2km強もの長さがあった。この橋の北を上宿、南を仲宿、さらに江戸寄りを平尾宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼ぶ。
板橋の地名の由来:平安時代、石神井川に架けられた板の橋が当時としては珍しかったため、そのまま地名となった。

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氷川釣り堀公園

 川筋を利用した釣り堀公園があった。池には普段、鮒、タナゴ、鯉、口細(クチボソ)、金魚を放流している、と書いてあるが当面は、和金(ワキン)、ウグイ、タナゴと口細とのこと。4時閉園なので係りの人が鳥除けを張り始めた。
 石神井川にはこの他に、鮠(ハヤ)、山女(ヤマベ)、目高(メダカ)、鰻、泥鰌(ドジョウ)、鯰(ナマズ)も生息していたという。


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双葉ふれあい広場

 非常用のポンプなのかな?動力もないようだけど、はたして井戸水が出るのかニャ~?

 「この井戸水は飲めません」と書かれてあるから出るんだよ。そのままでは飲めなくても、ろ過すれば飲めるようになるんだろう。


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中板橋の袂(タモト)・作品「ささぶね」作者不明

 姉と弟が笹舟で遊んでいるオブジェがあった。この先の旧川越街道に出て、下頭橋(ゲトウバシ)で石神井川に別れを告げて、ときわ台駅に向かう。
 その下頭橋の袂に祠(ホコラ)があった。たびたび木橋が流されるので、1798年(第11代将軍・徳川家斉の頃)に石橋に架け替えられたが、その資金は橋の袂に住みついていた六蔵が橋を渡る人からげて少しずつ貯めたものだった。この祠は六蔵が実は菩薩であったことを今に伝えるもの。六蔵菩薩に頭を下げて下頭橋を渡る。


 橋は人間と水の精霊との交流の場をあらわす神聖なもので、天に繋がる神々が空と地上とを行き来する所でもあると、古代人は考えていた。

(水の)精霊と 交流しながら (下頭)橋渡る 神(神々)と繋がり (六蔵)菩薩に感謝 (チビ)

上板橋宿は、日大病院入口の交差点から下頭橋までの約800mで、町名でいうと弥生町。駅でいうと東上線・中板橋駅あたり(上板橋駅付近ではない)

中山道の脇街道としての川越街道(川越道中)を参勤交代で利用するのは川越藩だけ。上板橋、下板橋、白子、膝折、大和田、大井の6つの宿場を経て川越に達する。江戸から13里(52km)
石焼芋で「栗(9里)よりうまい13里」と言う13里は、川越の さつま芋を指している。川越はさつま芋の産地。うまいキャッチコピーだニャ~。

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天祖神社の五月人形

 旧川越街道をしばらく行くと天祖神社があった。五月人形が飾られていた。今日は端午の節句で子供の日、ボク9歳。いい記念写真になりました。天祖様 「ありがとう」。

端午の節句 : 五節句の一つで、5月5日に男の子の健やかな成長を祝う風習。鎧兜には身体を守るという意味合いが込められている。
端午の節句に欠かせない菖蒲は、尚武(武道を大切なものと考えること)と同じ読みであることと、菖蒲の葉が刀剣の形を連想することから男の子の節句として定着した。

ゴール:東武東上線・ときわ台駅

(チビの日記!!チビのお出かけ 49)
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by chibi-papa | 2006-05-05 19:19 | チビのお出かけ  

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