都電でゆっくりと(43) 18・04・15

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大隈会館・早稲田大学(最寄の停留所:早稲田)

 大隈重信は明治7年(1874)に早稲田に別邸を構えた。大隈庭園は高松藩の下屋敷にあった名園を大隈重信が改造したもので、没後の大正12年に早稲田大学に寄贈した。その大隈庭園は生憎(あいにく)閉園日だった。四季折々の草花が美しいという庭園に入れなくて残念!せめて大隈会館から庭園の方に向けてハイ・ポーズ。
 都電に乗った。チンチン電車と言った。発進する時、今でも「チンチン」。その平均時速は14km。とってもロハス的。


大隈重信(天保9年-大正11年、1838-1922) : 佐賀藩士、政治家、教育者。第8代・第17代内閣総理大臣。東京専門学校(現:早稲田大学)の創立者。

大隈会館の奥というか新目白通りにリーガロイヤルホテル東京がそびえ建っている。このホテルを土地信託方式で建てたことにより、大隈会館の建設費用はその配当金で償還できるので、大学の資金にはほとんど頼らずに建設できたという。その仕組みとは・・・
①大学の土地を信託銀行に30年間信託する
②信託銀行はその土地にホテルを建設し、ホテル会社に賃貸する
③ホテル会社はホテルを経営し、信託銀行に賃借料を支払う
④信託銀行は大学に信託配当金を支払う
⑤大学はその信託配当金を大隈会館建設の借入金の返済に充てる
これで、30年経つと土地もホテルも大学の所有になる(大隈会館は最初から大学の所有)

都電・荒川線 : この線はもともと王子電気軌道㈱の路線で、そのほとんどが専用軌道上を走っていたため、都電が相次いで廃止されるなか唯一この荒川線(早稲田~三ノ輪橋)だけが生き残った。
停留所数30、路線距離12kmを1両のワンマン運転で50分かけて走る。軌間は1m37cmの偏軌。都電全盛期(昭和30年代)の主力形式の6000形は飛鳥山公園に静態保存されている。

早稲田(大隈会館)→面影橋→学習院下→鬼子母神前→雑司ヶ谷→東池袋4丁目→向原→大塚駅前→巣鴨新田→庚申塚(とげぬき地蔵)→新庚申塚(染井霊園)

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おばあちゃんの原宿・巣鴨とげぬき地蔵(最寄の停留所:庚申塚)

 境内のパンジー(三色菫)が綺麗だね。パンジーの蕾は下を向く、その形が頭を垂れ物思う姿に似ているので、パンセ(フランス語で考える)から名づけられた。
 フランスのパスカルの「パンセ」の中に「人間は考える葦である」という有名な言葉がある。猫のボクだっていろいろ考えてるよ!


パスカル : (1623~1662 享年39)フランスの哲学者、数学者、物理学者。パスカルの死後、遺稿が整理されて出版されたのが「パンセ」で、「人間は考える葦である」とか「クレオパトラ(Kleopatra)の鼻がもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」などの引用句が多い。

パスカルは、流体静力学の基本原理であるパスカルの原理、三角形の内角の和は180°であることや、1からnまでの和は、(1+n)×n÷2であることを証明した。
圧力の単位としてのパスカル(Pa)はパスカルの原理に因んでいる。台風の中心気圧としてヘストパスカル(hPa)が使われている。

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ソメイヨシノの里・染井霊園(最寄の停留所:新庚申塚)

 明治以前からこの地には植木屋が多く、ソメイヨシノのソメイはここの地名をとった。近くの染井吉野児童遊園には、ソメイヨシノの元となった大島桜と江戸彼岸桜が植えられている。

今や桜の代名詞となったソメイヨシノは江戸時代末期に染井村の植木屋から吉野桜として売り出された。吉野桜だとヤマザクラと間違われるので、地名の染井を加えてソメイヨシノと呼ばれるようになった。
この吉野桜は大島桜と江戸彼岸桜を交配してつくりだされたことが、のちの調査でわかった。ちなみに、アメリカのポトマック(Potomac)河畔の桜もソメイヨシノ。

ソメイヨシノの寿命は短く60年程度。戦後植えられたソメイヨシノはそろそろ寿命が来ている。
一代雑種のため自家交配では結実しない。人の手で挿し木、接ぎ木で増やしていったもので、全てのソメイヨシノが一本のソメイヨシノからのクローンと言える。このことが一斉にパッと咲いてパッと散る理由になっている。

(チビの日記!!チビのお出かけ 43)
・・・ロハス的な生活(健康で持続可能性の高いライフスタイル)を心がけていきたい・・・
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by chibi-papa | 2006-04-15 20:39 | チビのお出かけ  

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