「防災ノ日」と大川常吉 24・09・01

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鶴見神社

 大正12年(1923)9月1日の関東大震災。マグニチュード 7、9の巨大地震が襲った。それに因んで、9月1日を「防災ノ日」とした。
 地震発生時刻が昼食の時間帯と重なって、あちこちから火の手が上がり 折からの強風で多数の焼死者を出した。本所被服廠の跡地では火災旋風が巻き上がり、鎮火したのは2日後の9月3日であったという。

 ここ鶴見神社で犠牲者の冥福を祈ると共に防災を誓うのであった。鶴見神社の創建は1400年前の飛鳥時代だと伝えられている。境内には富士塚があり、縄文時代の貝塚も確認されている。ほら、チビの足元近くにも貝殻の破片が見てとれる。


大倉山駅近くの師岡熊野神社の創建は第58代・光孝天皇の頃(平安時代初期)と古いが、鶴見神社はそれより五百年以上も前の、第33代・推古天皇の頃(飛鳥時代)の創建。

本殿前の東西5~8m、南北10mの範囲に厚さ80㎝の貝塚層が良好な状態で確認されている。

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鶴見警察署

 鶴見警察署に呼び出されたわけではないニョ。ボクは泥棒猫なんかでニャい。関東大震災発生当時の大川署長を表敬訪問しに寄ったのニャ~。

 関東大震災は死者・行方不明合わせて10万5千余。さらにもう一つの悲劇はデマにより引き起こされた朝鮮人殺害事件であった。9月2日夕方、自警団が、不穏の動きをとる4人の朝鮮人を鶴見署に突き出してきた。
 翌日、状況は更に緊迫してきた。約3百名を総持寺から鶴見署内に移し保護。1千人を超える群衆がグルリと警察署を取り囲んだ。 「朝鮮人を出せ!」 と激昂する群衆。「朝鮮人に味方する警察なんて、叩き壊せ~!」 その声に扇動され殺気だつ群衆。

 大川署長(46歳)は覚悟を決めた。群衆の前に大きく手を広げて立ち塞がり、「このワシを信頼できんのか!」 と一喝。続けて 「もし、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというなら、その井戸水を持って来なさい!諸君の前で飲んで見せよう!」。持って来たその井戸水をその場でグイと飲み干した。
 こうした署長の体を張った対応に落ち着きを取り戻した群衆は、徐々に引き上げて行った。こうして事態は収まったのである。

 その後、他の警察署で保護されていた朝鮮人も合わせて723人となった。安全を考えて鈴木商店所有の貨物船・華山丸に収容。希望者は神戸へと移送されて行った。


鈴木商店 : 戦前の財閥、商社。三井物産や三菱商事を遥かに上回っていた。当時のスエズ運河を通過する船の一割は鈴木商店所有といわれたほどだった。
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東漸寺

 後にインタビューに答えた大川署長は 「警察官の仕事は人の命を守ることが第一であって、当然の事をしたまでです」 と淡々と語ったという。
 大川署長は関東大震災から17年後の昭和15年に亡くなった。享年63。墓地は東漸寺。鶴見川を越えた潮田町3丁目にあるというので、潮鶴橋(しおつるはし)を渡り、潮田公園の先の東漸寺を訪ねた。


東漸寺(とうぜんじ) : 皇女・和宮が京から江戸に下って来る時に、使用された駕篭があるのは千葉県長生郡一宮町にある東漸寺。平成19年(2007)5月の 「上総一ノ宮」 も見てね。

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故大川常吉氏之碑

 昭和28年、大川署長のお墓の横に在日朝鮮人の方たちによって感謝の碑が建てられた。しかし、そこは墓地の一隅であり人々の目に触れ難い場所であったので、本堂正面向かって右手に移されたという。

 碑文
 「関東大震災当時流言蜚語により激昂した一部暴民が鶴見に住む朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し、当時鶴見警察署長故大川常吉氏は死を賭してその非を強く戒め三百余名の生命を救護したことは誠に美徳である故私達は茲に故人の冥福を祈りその徳を永久に讃揚
(さんよう、褒め称えること)する」
 1953年3月21日 在日朝鮮統一民主戦線 鶴見委員会

 
 ・・・チビは顕彰碑の上から、遥か大川署長を偲んだ・・・
 
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入船公園

 悲惨な事件は、飛び交うデマによるパニックによって起こる。「混乱に乗じて、井戸に毒を投げ入れた」、「放火や強奪をして暴れまわっている」。だけでなく、「今夜、大きな地震がまた起こる」、「富士山が爆発する」 などのデマが飛び交ったことから、極度の不安に駆られた人々は暴徒と化したのである。
 こういった二次災害は災害時の正確な情報と理性によって、断じて防がなくてはならない。それにしても3・11の東日本大震災にみるように、政府、行政自体がマスコミを使って堂々とデマを流すようでは、どうしようもない。

 東漸寺の先の鶴見産業道路を越えたところに入船公園がある。防災を意識した公園である。草刈りを忘れないでね。ここで小休止。麦藁帽子を被っていると、漫画 『ワンピース』 の主人公・ルフィ にちょっと似ているね。チビは何か虫を追っているようだ。
 「防災ノ日」 にあたって、改めて二次災害を含めた防災を考えなければならないと、二百十日の大空を見上げながら思いを新たにした。


山本権兵衛内閣は治安回復に乗り出し、大正12年9月2日に東京全市および京浜地区に戒厳令を敷いた。戒厳司令部は、殺害された朝鮮人は233人で、過剰防衛として367人の日本人を逮捕したと公表した。

二百十日 : 立春(2月4日)を起算日として210日目で、9月1日にあたる。この日は台風の襲来が多いとされていることから、関東大震災の教訓と共に「災害への備えを怠らないように」との戒めを込めて、9月1日を「防災ノ日」と制定された。

工藤美代子著の『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版2009/12)によると、関東大震災時の朝鮮人虐殺はプロパガンダだという。
工藤美代子の夫・加藤康男の名で『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』が再刊(ワック文庫2014/8)されている。
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by chibi-papa | 2012-09-01 22:55 | チビのお出かけ  

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