長崎原爆ノ日 24・08・09

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東海寺・原爆犠牲者慰霊碑

 慰霊碑の左側には長崎の下ノ川の護岸石が、右側には広島の御幸橋の歩道の縁石が添えられている。いずれも被爆した石である。
 下ノ川が流れる松山町は昭和20年8月9日午前11時2分に原爆が炸裂した中心地である。当時この町には約300世帯1,860人余が生活していた。原爆は松山町上空500mで爆発、巨大な火の玉となり、数百万度の熱線と放射能と爆圧はあらゆる物を一瞬にして破壊し汚染した。町内にいた者は、偶然にも防空壕にいた9歳の少女一人を除き全員が死亡。町の東部を流れるこの下ノ川は水を求めそこで力尽きた者で埋まっていた。川の水も流れることができないほどに。

 現在の護岸には被爆当時の石が用いられている。これは昭和59年から60年にかけて河川改修に伴ない、被災資料として現在地とここ慰霊碑の脇に留め残された。長崎市から寄贈されたここの護岸石は爆心地から100mの距離にあったもので、熱線による剥離が見られる。


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このまま忘れ去られるか

護岸石 枯れた献花に何思う 今にも語る護岸石かな (チビ)

 あれから67年後、民主党(野田佳彦首相)、自民党(谷垣禎一総裁)、公明党(山口那津男代表)の3党合意で、原子力基本法に原子力の利用は我が国の安全保障に資すると入れて、原爆製造を伴う核による自衛の道を開いた。

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史跡めぐり広場・展示スクリーン

 東海寺の参道脇には36階建てのタワーコート北品川が建っている。かつては広大な境内を誇ったが・・・
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by chibi-papa | 2012-08-09 23:00 | チビのお出かけ  

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