♪ 55 あゝ田原坂 23・12・04

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西郷隆盛生誕祭に口一文字のチビ

 『 生誕184年日本が生んだ世界の偉人 西郷隆盛生誕祭 』 が上野公園・西郷さんの銅像前で行われた。生れたのは明治維新の40年前の(文政10年)12月7日であるが、生誕祭はその近くの日曜日に執り行われることになっている。続々と参集する薩摩隼人に薩摩おごじょ。

 明治6年の政変で下野した西郷隆盛(せごどん)が鹿児島に戻って目にしたのは、俸禄の支給がなくなって貧困に喘ぐ元武士たちだった。戊辰戦争の先頭に立った薩摩の武士たちが徳川幕府を倒してみたら、恩賞どころか武士階級そのものがなくなってしまい(明治9年に廃刀令)、不満を募らせていた。
 そこで、西郷隆盛は士族が暴走しないよう私学校を創設、鹿児島県全域にその分校を建てた。そうした動きに新政府は不審を抱き、鹿児島県に届出せずに明治10年1月29日、陸軍省の火薬庫から武器弾薬を大阪に運び出した(エンフィールド銃を改良した後装式のスナイドル銃とその弾薬)。それを見つけた私学校の若者たちがその夜、火薬庫を襲撃(私学校徒が手に入れたのは雨に弱い前装式のエンフィールド銃とその弾薬)
 2月5日に開かれた会議で挙兵が決定されると、西郷隆盛は同志に向って 『 おはん達がその気なら、おいの身体は差し上げ申そ 』 と総大将を引き受けたのであった。

 田原坂(たばるざか)は西南戦争で最大の激戦地となった。政府軍が熊本城救援のための大砲を陸路で運ぶとしたら田原坂を通るより他にない。そうはさせじと薩軍は田原坂~吉次峠(きちじ とうげ)に堅塁を築く。
 3月4日、戦闘開始。14日、薩軍が誇る斬り込み作戦に対抗すべく抜刀隊(主力は旧会津藩士ともいわれている)を投入。互角の攻防。膠着状態の末、15日、田原坂と吉次峠の間の要所を突破。豪雨の20日、田原坂総攻撃。
 激闘の17日間、降り続く無情の雨。雨は血の雨、涙雨。その模様は歌からも読み取れる。


♪ あゝ田原坂  (昭和31年)
[作詞] 高橋掬太郎 [作曲] 山口俊郎 [歌] 三橋美智也
一、
は降る降る 人馬は進む
かわい稚児(ちご)どんが 濡れて行く
あゝ 散るが花かよ 田原坂

ニ、
下げた血刀 笑うて振れば
風に飛ぶ飛ぶ 乱れ雲
あゝ 屍(かばね)晒すか 田原坂

(詩吟)
我が胸の
燃ゆる思いに 比ぶれば
煙は薄し 桜島山

三、
どこで散ろうと 男の生命
啼くな雲間の 時鳥(ほととぎす)
あゝ 尽きぬ恨みの 田原坂


「我が胸の 燃ゆる思いに~」の詩吟は、福岡藩士の平野国臣(ひらの くにおみ)が薩摩藩の島津久光や大久保利通から退去を迫られ、失望のあまり詠じたもので、田原坂ノ戦いとは無関係。


♪ 雨の田原坂 (昭和30年)
[作詞]野村俊夫 [作曲]古賀政男 [歌]神楽坂はん子  
一、
雨は降る降る 人馬は濡れる
憎い矢弾に 血が飛沫く(しぶく)
(とも)は傷付き 捨てては置けず
越すに越されぬ 田原坂

二、
薩摩隼人は 死すとも退(ひ)かぬ
右手の血刀 乱れ髪
花の顔(かんばせ) 口一文字(くちいちもんじ)
散るも覚悟の 美少年

(詩吟)
孤軍奮闘 囲みを破って帰る
壱百の里程 塁壁の間
我が剣は既に折れ 我が馬は斃(たお)
秋風骨を埋む 故郷の山

三、
勝てば官軍 負ければ賊よ
雨は血の雨 涙雨
残る砦も 城山一つ
男泣きする 田原坂


江利チエミの「テネシーワルツ」に対抗して、「ゲイシャワルツ」を歌った神楽坂はん子がブレイク(昭和27年)


♪ 田原坂 (熊本民謡)

雨は降る降る じんば(人馬、陣羽)は濡れる
越すに越されぬ 田原坂


右手に血刀 左手に手綱(たづな)
馬上ゆたかな 美少年


右手を「めて」と言うのは馬手と書くからで、つまり手綱を握る手のこと。左手を「ゆんで」と言うのは弓を持つ手なので弓手と書く。しかし、弓でなく刀を持つと逆になる。つまり唄にあるように、馬手に刀それも血刀、弓手に手綱となる。

田原坂公園に両軍の戦死者1万4千の名が刻まれた慰霊碑が、そして楠の傍には「馬上の美少年像」が・・・

三橋美智也の♪「あゝ田原坂」は薩摩軍の立場からの歌。神楽坂はん子の♪「雨の田原坂」は良く分からない。民謡の♪「田原坂」は政府軍の立場からの歌。 

 その後、各地を転戦。9月24日、鹿児島・城山で最終決戦となる。城山に籠る372人を包囲する政府軍5万。午前4時、一斉攻撃開始。開始2時間後、西郷の脇腹と股に銃弾が命中。『 もう、ここらでよか 』。維新の三傑(木戸孝允、大久保利通)と称された西郷隆盛、享年49。
 7ヶ月に亘った西南戦争はここに終結する。と言うより、坂本龍馬さらに西郷隆盛を失ったわが国にサムシングデビルが入り込んでしまった瞬間といえる。


 それから12年後、大日本帝国憲法発布(明治22年)に伴う大赦(たいしゃ、恩赦のひとつ)で許され、正三位(しょうさんみ、位階のひとつ)を追贈された。上野公園内に銅像建立が決まり、明治31年除幕。身長179cm、体重108kgの西郷隆盛は今も生き続けている。
 
西郷隆盛を評して「世界の偉人」とあるが、「世界的偉人」の方がよいのでは・・・

 
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by chibi-papa | 2011-12-04 17:24 | チビの愛唱歌  

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