みずくらいど公園 23・11・12

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みずくらいど公園 (拝島駅から北に700m)

 江戸幕府が1653年に江戸市民の飲料水の確保を目的として、多摩川から引水し、江戸市中へ配水するために開削(かいさく)した工事跡に石碑が立っている。
 開削工事の跡がなぜここに残っているかと云うと、この場所の工事が失敗して新しい堀を北側に掘り直したため、当初の掘跡が残されたもの。これが 「みずくらいど公園」 として保存されている。
 なぜ折角掘り進んだのに失敗したかというと、通水してみたらここで水が地中に吸い込まれてしまった。実はこの付近の土は、水喰土(みずくらいど)だったのだ!


水喰土 : 浸透性の高い関東ローム層で、水はみるみる吸い込まれてしまう。

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玉川上水開削工事跡

 掘られた場所に降りてみる。全て人力で、クワ(鍬)やツルハシ(鶴嘴)で掘った土をモッコ(畚)で運び出した。そして期待に胸を膨らませて通水した水が、この辺りで見る見る地中に吸い込まれるのを玉川兄弟をはじめ人夫が見た時には、さぞ落胆したであろう。
 でも、直ぐに気を取り直して北側に付け替えた。こうした苦難を乗り越えて、羽村から四谷大木戸までの43km(高低差92m)を、たった8ヶ月で完成させたのである。この玉川上水開削工事跡は、近世前期の大規模な土木工事の遺構として歴史的、学術的に貴重なものと云える。


 ・ 1653年4月 : 開削工事開始。
 ・ 同年  11月 : 開削工事完了。
 ・ 1654年6月 : 江戸市中へ通水開始。
 ・ 1895年(明治28年) : 淀橋浄水場完成。 
 ・ 1965年(昭和40年) : 淀橋浄水場(新宿)を廃止したことにより、上水として311年間の使命を終える。


先達の 努力の址(あと)が 身に沁みる 落ち葉が隠す 鶴嘴の音 (チビ)

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玉川上水緑地でバードウォッチング

 ヤマガラ(山雀)、ホオジロ(頬白)、ヒヨドリ(鵯)、コゲラ(小啄木鳥、小さなキツツキ)、カワラヒワ(河原鶸)、ジョウビタキ(尉鶲)、ツグミ(鶫)それにアオジ(蒿雀)などがいると書いてあるので、覗いたけれど、み~んなお昼寝中みたいだニャ~!

尉鶲(ジョウビタキ)、鶫(ツグミ)、蒿雀(アオジ)は冬鳥。

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玉川上水が右に折れてる

 白濁模様の玉川水路は拝島駅から一路東へと延びている。天王橋を過ぎると、瀬切れ状態の残堀川(ざんぼりがわ)と交差している。玉川上水の方が水位が3mほど高いのに、伏越し(ふせこし)と呼ばれる工法で、何と川幅18mの残堀川の下を潜り抜け(深さ8m、長さ30m)ている。

狭山池を水源とする残堀川は、かつて玉川上水に合流していたが、明治になって残堀川が汚れてきたので、玉川上水の下を潜らせて多摩川に放流するようにした。戦後、残堀川の氾濫対策として現在のような形に改修された。
 
 そこからさらに850m行った立川市砂川町3丁目29番あたりで、上水路が折れ曲がっている。何か理由があるようだ。
 並行して走っている西武拝島線は土盛りをした高架になっている。しかし、都道55号(所沢-武蔵村山-立川線)の辺りでは地形が盛り上がっていて線路は土盛りの必要がなくなっている。
 このような地形の起伏(撓曲、とうきょく)から、地層を見なくてもここに活断層があるということが容易に認定できる(変動地形学)。残堀川の河岸が起伏している所と結んだ線に立川断層が走っていて、玉川上水はその立川断層を迂回する形で掘り進んだことが分かった。


活断層:極めて近き時代(新生代第四紀)まで地殻運動を繰り返した断層で、今後も活動する可能性のある断層を言い、かつ断層面が地表まで達しているものをいう。
と言うことは平野部では断層面が埋もれてしまうので、それは活断層ではないことになってしまい、曖昧な定義であると言わざるを得ない。
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by chibi-papa | 2011-11-12 18:14 | チビのお出かけ  

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