23・10・2 藤田東湖 『正気の歌』

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藤田東湖の記念碑 (小石川後楽園内)

 156年前の今日午後10時、マグニチュード6.9の直下型地震が江戸を襲った(震源地は荒川の河口付近)。安政2年の安政江戸地震である。一旦は庭に避難した藤田東湖であったが・・・。
 記念碑には 「藤田東湖先生護母致命之処」 とある。記念碑の前で東湖の 『正気の歌』 を朗読した。


 天地正大の気、粋然として神州に鍾(あつ)まる
 秀でては不二の嶽となり、巍々(ぎぎ)として千秋に聳ゆ
 注いでは大贏(たいえい)の水となり、洋々として八洲を環る
 発しては万朶の桜となり、衆芳 与(とも)に儔(ちゅう)し難し、
 凝っては百練の鉄となり、鋭利 鍪(かぶと、兜)を断つ可し


 藤田東湖は水戸藩の水戸学の学者で、1840年、34歳で側用人として藩政改革にあたるなど、藩主・徳川斉昭(なりあき)の絶大な信用を得るに至った。1853年にペリーが浦賀に来航すると、幕府・海岸防禦御用掛(かいがん ぼうぎょ ごようがかり、海防掛)として、海防参与として幕政に参画した斉昭を補佐した。

 大地震発生。一旦は庭に避難するも、火鉢の火を心配した母親が再び邸内に戻ると東湖も後を追う。落下してきた梁(はり)を肩で受け止め母親を脱出させるも、東湖は力尽き梁の下敷きとなった。護母致命(命を差し出してでも母を護る)、享年49。

 水戸学の尊皇攘夷の思想は幕府のための尊皇(佐幕のための勤皇)であったが、皮肉にもこの尊皇攘夷がやがて倒幕と結びついてしまうのであった(勤皇=佐幕 → 勤皇≠佐幕)


藤田東湖(ふじた とうこ)の「東湖」は、生家の東に千波湖があったことからきている。

安政三大地震(第13代将軍 徳川家定の治世時に発生)
安政元年(1854)11月4日:安政東海地震 M8.4 犠牲者3千人
安政元年(1854)11月5日:安政南海地震 M8.4~8.5 犠牲者 数千人
安政 2年(1855)10月2日:安政江戸地震 M6.9 犠牲者4千人
安政東海地震では房総半島から四国まで最高10mの津波が発生。なお、嘉永7年=安政元年。
現在、関東・東海・東南海・南海で連動型の巨大地震となる危険性が取り沙汰されている。

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白壁の塀

 『正気の歌』 はまだまだ続く、

 ・・・
 ・・・
 屈伸天地に付す、生死またなんぞ疑わん
 生きてはまさに君冤を雪ぐべく、復 綱維を張るを見ん
 死しては忠義の鬼となり、極天 皇基を護らん


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商和稲荷神社の彼岸花

 小石川後楽園では彼岸花がいっぱい咲いていた。ここにも彼岸花(曼珠沙華)。渋谷区東2丁目のお稲荷さんに咲く曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
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by chibi-papa | 2011-10-02 22:00 | チビのお出かけ  

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