今戸神社の招き猫23・07・17

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招き猫その1、看板猫

 浅草寺の二天門より北東750m(徒歩15分)の所に今戸神社(いまど じんじゃ)がある。その鳥居前に招き猫発祥の地の看板が立っている。

 今から千年もの昔、勅命により源義家(八幡太郎義家)とその父が、陸奥国(むつノくに)の安倍貞任(さだとう)を討伐(奥州征伐、前九年ノ役、1051年~1062年)すべく、京都の石清水八幡を勧請して戦勝を祈願したのが、現在の今戸神社である。


勧請(かんじょう) : 神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること。

 その後、八幡太郎義家が出羽国(でわノくに)の藤原清衡(きよひら)を助けて清原氏を滅ぼす(後三年ノ役、1083年~1087年)にあたっても、ここで戦勝を祈願している。その甲斐あって勝ち戦を治めた八幡太郎義家は神徳に報いて社殿を修復している。
 戦乱の兵火に遭ったり、近年では関東大震災(大正12年)・東京大空襲(昭和20年)と何度も被災しながらも、その都度再建されてきた。


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招き猫その2、撫で猫

 社殿脇の可愛らしい 『撫で猫』 を両手でナデナデするチビ。

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招き猫その3、良縁を招く猫
 
 社殿にも招き猫。それも大きな二体。左が雄猫で、右が雌猫で良縁を招くという。そんなわけで、今や女性の間で「婚活神社」として注目を浴びている。

 焼き物として使うこの土地の粘土が良質だったことから今戸焼が栄え、その起源は安土桃山時代にまで遡る。江戸時代には、商売繁盛や招福を願って飾られる今戸焼の招き猫は、浅草界隈の名物のひとつとして知られていた。


招き猫発祥の地の謂れは、昔々、付近に住んでいた老婆が貧しさ故に愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れて「自分の姿を焼き物にしたら福徳を授かる」と言ったという。招き猫は、この地で今戸焼で焼いたのが始まりといわれている。

世田谷区の豪徳寺も招き猫発祥の地とされている。

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沖田総司終焉の地

 境内には幕末に新撰組で活躍した沖田総司(おきた そうじ)終焉の地(しゅうえんノち)の碑がある。と言うのも結核を患っていた沖田総司を診ていた医師・松本良順(新撰組隊士の診療をおこなっていた)が当時の今戸神社に仮住まいしていたことからきている。

沖田総司(おきた そうじ、1842?~1868) : 白河藩士の子として生まれるが、脱藩する。新撰組・一番隊隊長。天然理心流塾頭。
池田屋事件では近藤勇らと斬り込むもその最中に喀血。甲陽鎮撫隊に参加するも途中で病状悪化により落伍。近藤勇斬首から2ヶ月後に亡くなった。享年24、25、27と定かでない。

♪ あゝ新撰組
[作詞]横井 弘 [作曲]中野忠晴 [唄]三橋美智也
三、
菊の香りに 葵が枯れる (菊は朝廷、葵は徳川幕府の意)
枯れて散る散る 風の中
変わる時勢に 背中を向けて
新撰組よ どこへ行く


松本良順(りょうじゅん、1832年~1907年・明治40年) : 佐倉藩出身の幕臣・医師で、将軍侍医として徳川家茂の死を看取った。明治になって初代陸軍軍医総監、貴族院勅撰議員、男爵。
順天堂大学の基礎を作ったのは父・佐藤泰然。外務大臣の林董(はやし ただす)は実弟。

結核の沖田が松本良順により渋谷区千駄ヶ谷の植木職人に匿(かくま)われ、そこで亡くなったとする有力説がある。その植木職人の曾孫に女優の江波杏子(昇り竜のお銀)がいる。

死因別死亡率からすると結核は今やそう恐い病気とはいえない。現在の三大疾病はと言うと①癌、②心疾患(心筋梗塞など)、③脳血管疾患(脳梗塞など)だ。今後さらに癌が断トツになるのではないだろうか。いや癌だけでない、被曝はあらゆる病気を引き起こす。
福島第一原発事故では既にチェルノブイリ原発事故の3分の1に相当する放射性廃棄物(死の灰)が空中や海に出てしまっていて、現在も止まらず出し続けている。それなのに、未だ避難できないでいる人たちが多過ぎる。
また地震・津波による瓦礫に含まれるアスベストで、住民やボランティアが被曝している可能性が高い。20年後に中皮腫になる危険性がある。アスベストはガイガーカウンターでは分からない。素人がアスベスト用マスクをしても防ぎきれるものではない。

(チビの日記!!チビのお出かけ)
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by chibi-papa | 2011-07-17 15:40 | チビのお出かけ  

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