23・5・4 大聖寺藩

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東京大学構内

 25年前の今日5月4日、チェルノブイリ原発事故の放射性物質が日本で検出された。昭和61年(1986)4月26日チェルノブイリ原子力発電所・4号機はメルトダウンの後、核爆発した(福島第一原発では3月14日に3号機が核爆発)
 世界中に緊張が走る中、チェルノブイリから8,000km離れている日本にまでまさか死の灰(放射性物質)が飛んでくるとは思ってもいなかった。5月2日の新聞には科学技術庁の見通しとして 『放射性物質日本到達の可能性低い』 と報道されたが、大阪・熊取にある京都大学原子炉実験所の小出裕章助手は観測態勢に入った。
 5月3日は朝から雨だった。その雨水からは検出されなかった。3日夜から4日にかけても雨だった。その雨水からはヨウ素131、セシウム137、セシウム134が検出された。ジェット気流に乗ってわずか1週間で到達したのだった。


 昭和61年5月4日に検出されたヨウ素131は環境中のであってその後、野菜などに濃縮され6月6日頃にはヨウ素131は5月4日の7倍になる。それを見越して一番低い5月22日に金丸信自民党幹事長は 『直ちに健康に影響を与えるものではない』 と安全宣言を出し、観測を打ち切ってしまった。その本音は原発反対運動が活気づくのを恐れたためであった。

 最初に気が付いたのはスウェーデンだった。チェルノブイリ事故の2日後、ストックホルムから北へ120kmにある原子力発電所の一帯は雨が降っていた。その原発では職員がトイレに行くために放射線管理区域から一度外に出るため放射線測定器によるチェックを受けなければならない。通常はここで何も変わったことが起きないのに、この時は強い放射線が靴から検出され、警報が鳴った。騒ぎはここから始まった。
 セシウム134が検出されたことから(核実験でないことが分かり)最初はその原発から漏れているのではないかと緊張が走り、警戒態勢が敷かれた。検出されたヨウ素131からはおおよその経過時間が分かった。さらに飛行機によるバルト海上でのサンプル収集と、数日前からの気象データ(特に風向き)とを突き合わせた結果、ソ連のベラルーシかウクライナ地方の原発らしいことが分かった。
 しかし当時は冷戦中でソ連内の情報はヴェールに包まれていた。そこで外交ルートを通じてソ連政府に打診。ソ連政府は隠し通せないと判断して国営通信社を通して原発事故があったという短い発表を行った。
 それから5年後の1991年にソビエト連邦が崩壊し、ウクライナとベラルーシとロシアに分かれた。その頃から子供に甲状腺異常が目立ち始めた。


 福島原発事故では原発推進派の佐藤雄平・福島県知事は3月19日に長崎大学の山下俊一教授を福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして招聘(しょうへい)。県内各地で 「年100mSv以下は安全」 と講演して回っている。それが「20mSv/hrでは安全とは言い切れないが国の指示に従う義務がある」に変わる。そして「避難したければ好きに避難して下さい。ただ避難できる場所ありますか?」と開き直る。
 そんなことに振り回されて避難が遅れ、チェルノブイリ事故以上の犠牲者が出るのではないかと懸念されている。県民をあたかもモルモットに見立てているようだ。今後は疫学的調査の対象にされるだろう。


 福島県民の多くが悪魔のような御用学者(誤用学者?)の言葉を信じて後悔することだろう。しかし、山下俊一(としかず)リスク管理アドバイザーの助言を受け入れて避難しなかった県民側にも騙された責任はある。最後は自分の身は自分で守るしかない。

 3月21日 福島市内での講演会にて
『お願いしたいのは、皆さんと県あるいは国の信頼関係の絆をつくるということです。今、何を信用して良いかと。今、皆さん方が最も信頼できるデータは何かと言うと、それは好むと好まざるとに拘らず我々は日本国民です。日本は戦争に敗れ、そして原子力産業を支え、今の復興を成し遂げたこの日本において、我々が少なくとも民主主義国家として信じなくてはいけないのは、国の方針であり、国から出る情報です』(山下俊一)
まるで、戦前、戦中のアジ演説みたい。「絆」 という綺麗な言葉を使って、大切なモルモットを県外に逃がさないようにしているようだ。

 枝野幸男官房長官や東京大学の御用学者たちは 『直ちに健康に影響がない』 と安全デマ、安心デマを飛ばしまくっている。こういう人達が風説被害を撒き散らすとは一体どういうことなんでしょうか。今後検証されなければならない。
 チェルノブイリの例でも明らかなように、放射能障害は晩発性なので、被曝後5年、10年あるいは20年後に確率的に影響が出てくる。影響が出てきたら知らん顔を決め込むつもりなんでしょうか。 『直ちに健康に影響がない』 は数年後には 『人類で最悪の惨事』 になるだろう。


チェルノブイリの原発事故の4年後から小児甲状腺癌が多発したが、それを徹底して無視したのはIAEA(International Atomic Energy Agency、国際原子力機関)と原子力と結びついた医学者たちだった。
福島原発事故による小児甲状腺癌が多発したら、日本政府は必死になってそれを打ち消す行動に出るのだろう。いったいチェルノブイリ事故から何を学んだというのだろうか?

 越前国と接する加賀国・大聖寺藩(だいしょうじはん、加賀藩の支藩)の上屋敷は本郷台地にあった。石碑には領内で生産された九谷焼の皿がはめ込められている。
 初代・前田利家の4男である3代藩主は隠居に際し、3人の子に財産を分与した。長男に加賀藩4代目の家督を譲り、次男に富山藩、3男には大聖寺藩を分与した(大聖寺は3男の院号)。大聖寺藩は明治維新まで230年14代の藩主を出した。


 明治になって本郷台地には東京大学が設置された。その本郷台地の船着き場(根津)だった辺りの東斜面は、江戸時代から躑躅で有名だった。

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根津神社

 根津神社の躑躅祭(つつじ まつり)は先月9日から始まっていて、明日5日まで開催されている。今が遅咲きの見頃で、賑わっていた。

 内閣府原子力安全委員会委員長の班目春樹(まだらめ はるき、東大卒、東大教授などを歴任)は福島県内の小中学校の校庭利用を、安全委員会としての議事録も作らずに政府案の放射線量年20mSvを認めてしまった。
 この年20mSvは外部被曝だけのようだ。これに呼吸、食品、水道水からの内部被曝を考慮して単純に4倍すると年80mSvとなってしまう。これではいくらなんでも酷過ぎる。狂った基準を設定した菅政権はここで人体実験をする気でいるようだ。子供たちが将来、スローデス(slow death)を引き起こさないよう細心の放射線管理政策を執るべきだ。
 真意は福島県中通りの交通動脈を守るためのようだ。中通りには東北新幹線、東北本線、東北道、奥州街道が走っていて文字通り交通の動脈となっている。そこを強制避難区域に指定しないために子供たちに犠牲を強いているようだ。
 その証拠に山下俊一は講演で、「皆さんはここに住み続けなければならない。ここで生きていかなければならない。現実です。理論じゃない」 と言い切った。


子供たちの未来を奪う権利は誰にもない。それを奪おうとする輩は鬼か悪魔である。

 チェルノブイリ事故では、148万Bq/㎡以上を強制避難区域に指定した。

 福島第一原子力発電所は小康状態を保っているかように報道されているが、刻々と深刻さを増している。

(チビの日記!!チビのお出かけ)
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by chibi-papa | 2011-05-04 23:00 | チビのお出かけ  

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