22・12・31 根岸古墳群

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城山公園(岡の城山)

 ここは東武東上線・朝霞駅から東に1、5km。黒目川(くろめがわ)を真下に見る舌状台地(岡)の先端部に、かつて城があった。比高は10~14mで、四つに区分された郭(くるわ)、櫓台(やぐらだい)や空堀(からぼり)があって、かなり工夫された造りになっている。写真の窪みは二ノ郭と本郭との間の空堀で、深さは4~5mあったという。
 太田道灌(1432~1486)がこの地に城を築いたという伝承がある。豊島氏と敵対関係になったことにより豊島氏の石神井城(石神井公園)ー 練馬城(豊島園)ー 平塚城(北区上中里)ラインで、太田氏の江戸城・河越城(川越)間の連絡が断たれてしまうことになる。そこで、江戸城と河越城の中間地点のここに城を築き豊島氏攻略の前線基地にしたようだ。あるいは豊島氏を滅ぼした後で江戸城と河越城の中間地点として、ここに城を築いたのか定かでない。
 台地斜面部には貝塚跡があり、ここが縄文時代から人々に利用されていたことが分かる。


黒目川 : 古くは久留米川とも表記した。水源は東久留米の小平霊園の「さいかち窪」。

太田道灌と豊島氏との間で争いが起きたのは、関東管領勢の太田道灌が江戸城を築いたため、豊島氏の権益を脅かしたことにある。そこで、豊島氏は対抗手段として古河公方勢についた。室町時代・中期に起きた関東管領勢と古河公方勢の争いを享徳ノ乱(関東ノ争乱ともいう 1454~1482)という。
太田道灌と豊島氏の争いは、平成21年1月10日の チビのお出かけ 179 を見てね。

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柊塚古墳(ひいらぎづか こふん)

 根岸古墳群は新河岸川(しんがしがわ)と黒目川の堆積作用によってつくられた沖積地を見下ろす台地に分布している。
 その根岸古墳群で唯一現存する柊塚古墳は、古墳時代後期(6世紀前半)の前方後円墳だが、前方部は大幅に削られ宅地になっている。後円部の高さは8m。
 後円部の棺は木炭と粘土で保護され(木炭槨、粘土槨)、家形埴輪や土師器(はじき、文様のない素焼きの土器)が出土した。そして周濠からは人物埴輪、円筒埴輪、馬形埴輪が出土している。
 柊塚古墳歴史広場の入口には円形埴輪の形をした車止めや馬形埴輪のモニュメントがある。さらに家形埴輪の外観をしたトイレがある。


怪しげな猫形埴輪?は、平成18年8月26日の チビのお出かけ 69 を見てね。

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一夜塚古墳址の碑

 柊塚古墳より古い6世紀初頭のものと思われるこの大型円墳の石碑は、朝霞第二小学校の門脇にある。校庭整備のため窪んでいる所を埋めるため古墳の土を利用した。その土採り作業中に、墓室内部の棺を保護するための木炭槨(もくたんかく)が見つかっており、銅境、菅玉(くだたま、首飾り)、直刀(ちょくとう、反りのない刀)、甲冑(かっちゅう、鎧と兜)、馬具(馬に付ける杏葉などの装飾)が出土した。その杏葉(ぎょうよう)は金属製のだったのだろうか?

 この他にも、狐塚、男塚や女塚などの古墳があったようだが削られてしまっていて、かつて古墳があったことを伺わせるものは何もない。
 一夜明けるとお正月。皆さ~ん、良いお年をお迎え下さい。


野毛大塚古墳については、平成18年8月19日の チビのお出かけ 68 を見てね。

漢字 (郭 と 槨 と 廓)
・ 郭 : 囲まれた場所を意味し、城郭(じょうかく)、輪郭(りんかく)など。読みは「カク」、「くるわ」。
・ 槨 : 木偏がつくと、墓室内部の棺を保護するものとなり、木槨(もっかく)、石槨(せっかく)、木炭槨、粘土槨など。読みは「カク」。
・ 廓 : 广(まだれ)は部屋を意味し、遊廓(ゆうかく)など。読みは「カク」、「くるわ」。

漢字 (阯 と 址)
・ 阯 : 阝偏(こざとへん)は丘の意。止は足の意で、遺跡の意味。読みは「シ」、「あと」。石碑には古墳阯と 「阯」 の文字が刻まれているが、現在は土偏の 「址」 を使う。
なお、止は足の裏の象形文字で、もともと足を意味したが、もっぱら 「とめる」、「とまる」 の意味に使われるようになったため、口(膝の皿を表す)を付け加えて足とした。
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by chibi-papa | 2010-12-31 23:00 | チビのお出かけ  

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