坂本龍馬の菊人形22・11・03

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湯島天神の菊人形
 
 湯島天神で11月1日より菊祭りが開催されていて、境内には2千株の菊が咲き誇っている。恒例の菊人形はNHK大河ドラマ 『龍馬伝』 をモチーフにしたもの。坂本龍馬とお龍こと楢崎龍(ならさき りょう)さん。お龍さんったら手を振っちゃって、まあ仲がいいこと。

 慶応2年(1866)、薩長同盟を成立させた2日後、寺田屋事件が起きた。京都・伏見の寺田屋に宿泊していた龍馬を伏見奉行の捕り方が取り囲んだ。それに逸早く(いちはやく)気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり、龍馬らに危機を知らせた。龍馬は親指を負傷しながらも辛くも脱出。
 身の安全と療養を兼ねて薩摩・霧島の旅に出る。もちろんお龍を連れての(新婚)旅行であった。龍馬30歳、お龍25歳。しかし二人の蜜月は短かった。翌慶応3年、刺客に倒れる。明治維新の1年前のことであった。刺客の黒幕はサムシング・デビルだった。


 お龍はその後、45歳の時に再婚する。再婚しても龍馬の妻だったというプライドを捨てきれないまま明治39年(1906)、66歳の生涯を閉じた。その墓石には 「坂本龍馬之妻龍子」 と刻まれている。それを許した夫も度量が広いニャ。

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遣米使節150年

 いやに西日が強く当たるニャ~!

 坂本龍馬が生を受ける9年前、小栗忠順(おぐり ただまさ)は、2500石の旗本(新潟奉行)の子として明治維新の41年前の1827年、神田駿河台で生まれ育った(この辺り一帯に小栗家の屋敷があり、写真の案内板はYMCAビルの一角にある)。知行地が上野国群馬郡権田村だったことから小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)と呼ばれる。
 安政6年(1859)目付となり翌年、日米修好通商条約批准のため渡米した。世界一周して帰国後、外国奉行や勘定奉行などの要職につき幕府の財政立て直しを図ったが、失職し知行地の権田村の烏川河原で官軍により斬首された。享年41。

 遣米使節から今年でちょうど150年。地元・群馬県高崎市では来月「遣米使節150周年記念式典」を行い、幕末の変動期に埋もれてしまった小栗上野介を顕彰する。
 
大老・井伊直弼は安政5年(1858)に日米修好通商条約を締結した。その条約批准のため翌年、小栗上野介は渡米したが、渡米の2ヶ月後の安政7年3月3日、井伊直弼は桜田門外で暗殺された。

小栗上野介は9カ月間かけて世界一周してきた。それはまさに観光で、光を観てきた。物見遊山でなかった。帰国後4年、軍艦奉行として以前から構想していた製鉄所兼造船所を横須賀建設に着手する。これは遣米使節として、ワシントン海軍工廠を見学したことに触発された。

遣米使節の功により、200石加増され2700石となる。

横須賀造船所については、平成18年(2006)7月6日のチビの日記「旗艦三笠」を見てね。 




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by chibi-papa | 2010-11-03 23:00 | チビのお出かけ  

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