戦災資料センター22・08・14 

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猿江恩賜公園

 半蔵門線・住吉駅下車、猿江恩賜公園を通り抜けて東京大空襲・戦災資料センターに向かう。このセンターは東京大空襲の惨状を次世代に語り継ぐため、戦禍の最も大きかった江東区北砂に開館した民間の資料センターです。
 江東区北砂1丁目5-4 電話03-5857-5631

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東京大空襲・戦災資料センター

『世界の子供の平和像』
平和を育む
目を背けません
過去の苦しさ
今の世界から決意します
核兵器も戦争もない21世紀を創ることを
走り続けます
世界の平和を願う歴史のリレーランナーとして 
未来へ


 昭和20年(1945)3月10日未明、325機のアメリカ軍爆撃機B29によって381,300発、1,783トンの集束焼夷弾(しゅうそく しょういだん)を投下された。人口過密地帯は火炎地獄と化し、罹災者は101万人を超え、推定10万人の尊い生命が失われた。多数の非戦闘員も狙ったという点で、8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下に匹敵する虐殺である。これは戦争犯罪である。

集束焼夷弾は、空中で外殻が外れて38本の焼夷弾がばら撒かれるので、クラスター焼夷弾ともいう。その原寸模型が展示されている。

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東京大空襲・戦災資料センター

『戦火の下で』 制作:河野 新
抱きしめた幼い命をひたすら護ろうとする母


 火災の規模が常識を遥かに超えるものであったため、至る所で巨大な火災旋風が発生、炎に酸素を奪われて窒息した者も多かった。屍は炭化し、熱でお腹が破裂し胎児が露出した妊婦もいた。
 この3月10日大空襲で東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積(41k㎡)が焼け野原となった。


この戦災資料センターはある篤志家が提供してくれた用地に、平成14年(2002)にオープンした。館長は昭和45年に「東京空襲を記録する会」を結成した作家の早乙女勝元氏。
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by chibi-papa | 2010-08-14 23:00 | チビのお出かけ  

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