後ろには閻魔様(217) 22・01・11
2010年 01月 11日
鐘つき堂を兼ねた山門、鐘楼門(しょうろうもん)。
本来、仏教においては死後の世界を説いているわけではありませんが、「死」という事実は仏教の出発点でもあることから、死への恐怖を解決し、充実した人生を送るために閻魔大王ら十王が存在するものと考えている。
今年もチビとパパは閻魔大王に懺悔文を唱えに来ました。
パパの懺悔文
「我れ昔、造るところの諸々の悪業(あくごう)は、みな果てしなき貪瞋痴(とんじんち、煩悩)による。身口意(しんくい)によって生ずるところのもの、全て我れ今みな懺悔し奉る。」
チビの懺悔文(ざんげもん)
「ボクは知らず知らずのうちに悪業をおこなっているかもしれない。それはボクの中に三毒(貪、瞋、痴)があるからなんだ。三業(身、口、意)によって生ずる悪業の全てを閻魔大王の御前にて懺悔し、善業に努め、パパの許で有意義な猫の一生を送っていくことをここにお誓いいたします。」
『 閻魔様 悪業消しに また来ます 』 (チビ)
※ 閻魔大王については、平成18年11月12日(86)、平成20年1月27日(139)、平成21年1月31日(181)も見てニャ。
神前で厳粛な成人式が執り行われている。
♪ 鎌倉 [作詞] 芳賀矢一 [作曲] 不詳 (文部省唱歌)
(五)
若宮堂の 舞の袖
賤の苧環 繰り返し
返せし人を 忍びつつ
※ 賤(しず) : 身分の低い者が着た衣服の布。この賤に白拍子(しらびょうし)の静御前(しずかごぜん、義経の愛妾)の静を掛けている。
※ 苧環(おだまき、小田巻) : 糸を繰る道具。「繰り返す」の枕詞。
時は文治2年(1186)4月8日、満開の鶴岡八幡宮。謡曲「しんむじょう」を舞い終わった静御前は 「これは静と申す白拍子にて候」 と名乗り、再び舞い始める・・・
「吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
・・・さらに続けて・・・
「静や賤 賤の苧環 繰り返し 昔を今に 為す良しもがな」
※ もがな : 文末にあって、強い願望を表す。
※ 吉野山で雪を踏み分けて行かれた義経さまの足跡が、愛おしくてたまらない。義経さまが私を「静、静」と繰り返し呼んでくださったあの頃に、今一度戻れる術(すべ)があれば良いのに。と、虜囚の身でありながら頼朝の前で歌い舞った。
※ 最後のフレーズの本歌には二通りある。
・ 伊勢物語
「古の 賤の苧環 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」
・ 古今集
「古の 賤の苧環 賤しきも 良きも栄は ありしものなり」
実は鎌倉幕府をそして源頼朝を呪う歌であった。頼朝が激怒!それを制する北条政子。果たして静御前の命運はいかに・・・
「招き猫」の上に獅子舞猫。
by chibi-papa | 2010-01-11 19:54 | チビのお出かけ