それぞれの前身(196) 21・06・13

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鬱蒼(うっそう)とした占春園(せんしゅんえん)

 丸ノ内線・茗荷谷駅(みょうがだにえき)から緑道沿いに坂を下って行く。 
この辺りは徳川光圀(みつくに、水戸黄門)の弟(異母弟)を藩祖とする守山藩(福島県郡山市)の上屋敷だった(歴代藩主はここに定住して参勤交代を行なうことはなかったが、本家・水戸藩の監督を受ける立場にあった)。そして占春園は江戸三名園の一つに数えられていた。
 明治36年(1903)、東京高等師範学校(東京教育大学、筑波大学)が湯島聖堂からこの地に移って来て、占春園は校地の一部になった。現在は、筑波大学付属小学校の自然観察園になっているが、一般にも開放されている。


 坂を下った所に東大医学部の前身・東京医学校(東大現存最古の学校建築、明治9年に本郷に建てられたものを昭和44年にここに移築)がある。現在は東大総合研究博物館・小石川分館になっていて、東大の各研究科で利用された学術標本が展示されている。さまざまな動物の頭蓋骨が並ぶ棚があったり、医学の授業で使われた解剖模型や内臓模型もある。
 この小石川分館は小石川植物園内にあるがここからは植物園に入れない。植物園の入口は1カ所。塀に沿って600メートルも歩かなければならない。入場券は入口の前の煙草屋さんで買う(ここは東大の付属施設なので、東大生は当然無料とある)


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小石川植物園の萼紫陽花

 小石川植物園の前身は徳川幕府直轄の小石川御薬園(おやくえん)で161,588㎡(49,000坪) もある。第3代将軍・徳川家光は1638年、麻布と大塚に薬園を設置するがやがて大塚の方は廃止する。一方、麻布の薬園の方は1684年に第5代将軍・徳川綱吉が小石川の別邸に移設。その後、第8代将軍・徳川吉宗は規模を拡大し敷地全部を薬草園にした。1722年には、徳川吉宗は江戸町奉行・大岡忠相(ただすけ)に命じて御薬園内に小石川養生所を設け、貧民のための医療施設を開設した。
 明治10年(1877)、東京大学の設置に伴いその付属施設となり現在に至っている。


 色がついて目立っているのは萼(がく)で、花はその中の小さな点のような部分。小さな点がいっぱい集まっている。紫陽花と違って派手さはなく謙虚という言葉が当てはまるような萼紫陽花(がくあじさい)をよ~く観ると、宇宙のような神秘さを感じる。なにやら哲学的な世界がそこにあるニャ~。
 
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井上円了像と井上記念館

 哲学といえば哲学者・井上円了(えんりょう、1858年~1919・大正8年)の銅像が東洋大学白山キャンパスにある。越後国(新潟県)の寺に生まれ、明治18年(1885)東京大学・哲学科を卒業した井上円了は 「諸学の基礎は哲学にあり」 という教育理念のもとに明治20年、文京区湯島に哲学館を開校。さらに明治37年から大正元年にかけて中野に哲学堂を建設し(中野区立哲学堂公園)、哲学の知識の普及と迷信の打破を目的に全国を講演して回った。
 現代も迷信が蔓延(はびこ)っている。例えば、温暖化によって南極の氷が融けて水位が上がるとか、大麻は麻薬だとか、ダイオキシンは毒物だとか・・・。そんなことで騒いでいる。井上円了が生きていたらこれら現代の妖怪(迷信)を誰に遠慮することもなく打破してくれることだろう。


哲学堂公園のいたる所に哲学に由来する名称が付けられている。平成16年7月19日の チビのお出かけ 2 を見てね。それに平成20年7月13日の チビのお出かけ 161 も見てね。

 哲学館は哲学館大学を経て東洋大学となった。だから東洋大学の白山キャンパスに井上円了の銅像がある。しかし、哲学館は湯島で創立された?そこらへんのことを探求すべく湯島に向かうニャ~。

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東洋大学発祥の地

 春日通り沿いの麟祥院(りんしょういん)の門を潜る(くぐる)とすぐ左に 「東洋大学発祥の碑」 があった。井上円了は境内の一棟を借りて東洋大学の前身・私塾「哲学館」の産声をここであげた。円了29歳。明治20年(1887)のことであった。
 哲学館では今日で言う通信教育も行い哲学の普及に努めた。井上円了の頭の中は哲学、哲学、哲学、迷信打破、迷信打破、迷信打破の思いで一杯であったのであろう。


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春日局の墓

 この麟祥院に春日局(かすがのつぼね、1579年~1643年)の墓がある。第3代将軍・徳川家光の乳母で知られる春日局の隠棲所(いんせいじょ)として徳川家光が将軍になった翌年の1624年に創建された。春日局の死後、春日局の法号に因み(ちなみ)麟祥院となった。
 春日局の墓石は四方から穴が貫通している。とってもめずらしいニャ~!これは春日局が黄泉(よみ、死後の世界)からも天下のご政道(ごせいどう)を見守れる墓を遺言したことによる。よほど家光のことが気がかりだったのだろう。その家光も7年7ヶ月後に亡くなった。その時点で墓石の穴を塞いであげればいいのにニャ~。


 春日局は明智光秀の家臣・斎藤利三(としみつ)の娘・お福として生まれた。斎藤利三の妻は明智光秀の妹であるから、明智光秀はお福の伯父と姪の関係ということになる。明智光秀は本能寺ノ変で織田信長を討ったものの、2週間後には羽柴秀吉の軍に山崎ノ戦で敗れ、京都・小栗栖(おぐりす)の竹藪で野武士によって殺されたといわれている。けれど、首実検されていないから真相は文字通り藪の中。
 そこで東叡山(とうえいざん)・寛永寺を創建した天台の僧・天海が明智光秀という転生説(てんしょうせつ)が出てくる。これって、天海の前身が明智光秀というものだニャ。


平成元年のNHK大河ドラマは 『春日局』 だった。脚本:橋田壽賀子、主演:大原麗子
社内で権勢を振っている古参OLを示す隠語としての 「お局様」 は、この年の流行語となった。

・ 筑波大付属小学校の自然観察園の前身は守山藩の占春園だった。
・ 東大総合研究博物館の前身は東京医学校だった。
・ 小石川植物園の前身は小石川御薬園だった。
・ 東洋大学の前身は哲学館で、麟祥院の境内にあった。
・ 天海の前身は明智光秀だった? 
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by chibi-papa | 2009-06-13 23:00 | チビのお出かけ  

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