(193) 21・05・10 住友三角ビル広場

e0031605_43251.jpg
自性寺の招き猫・玉ちゃんが西新宿に!

 『人に命あれば猫にも命あり 江戸の里を開きし太田道灌 この地の北で戦に破れ あわや命を失わん時 一匹の猫現れ逃げ道を案内 命を取り留め江戸を開いた なれどこのかくれた江戸の恩猫も猫なるゆえに名も残らぬは不憫 江戸のいゝたま 玉ちゃんと名づけ 後々までの江戸の守りとす』 と刻まれている。

 ここから3~4キロ北にいた猫がここで石像になっている。
 室町時代中期、京都では応仁ノ乱が終結しようとする頃、関東ではまだ関東ノ争乱が続いていた。1477年、太田道灌は豊島氏討伐にとりかかる。江戸城を出撃した道灌は豊島氏の平塚城(北区上中里)の城下に火を放つ。
 平塚城からは豊島氏の軍勢が飛び出してくる。逃げる道灌。東中野の氷川神社で援軍と合流した道灌は、江古田、沼袋付近(妙正寺川と江古田川の合流地点)で、平塚城からの追手と石神井城と練馬城から出撃して来た豊島勢と遭遇した。数においては豊島勢が勝り、苦戦の道灌は黒猫に自性寺(じしょうじ、西落合)まで道案内され、そこで一夜を明かした。そのことで危機を逃れた道灌は反撃に転じ、豊島勢を破り(江古田・沼袋原ノ戦い)、さらに豊島氏の居城・石神井城と練馬城を攻め落とした(練馬城は現在、豊島園になっている)
 太田道灌はこの黒猫に恩義を感じ、その死後は地蔵尊を造って供養し、自性寺に奉納した。そんなことから自性寺は猫寺といわれている。そして、その黒猫はいつしか玉ちゃんと名付けられ、新宿新都心を大きな目でじっと見つめている。

[PR]

by chibi-papa | 2009-05-10 23:00 | チビのお出かけ  

<< (194) 21・05・16 ... ♪ 44 鴎の水兵さん 21・... >>